
- 青森に旅をして渋沢神社に詣でた。渋沢家三代に仕え、財閥解体後実業家として成功した杉本某氏が敬拝して已まぬ栄一、敬三を神様に仕立てたお社で、何故か鳥居がなかった。それ以来いつか渋沢家の業績を勉強してみたいと思っていたが、意外にその機会が早く訪れた。佐野真一著「渋沢家三代」が文春新書から発刊されたのである。以下はその読後の感想である。
- 渋沢栄一は日本近代資本主義の父として知らぬものはないだろう。幕末期埼玉県深谷の富農の子に生まれ、討幕派から一転して一橋家の家来になる。パリ万博使節団随行員となり帰国後新政府に経済担当官に仕官、やがて下野して実業家の道を歩く。一つ間違えば命を落とす波瀾万丈の半生を乗り越えたあとも、三井、三菱との大勝負あり新渡戸の開拓破綻穴埋めありで決して順調ではなかった。新渡戸とは稲造を生む篤農一家のことである。総括して、資本の論理の暴走を押さえながら西欧の先進制度を取り入れ根付かせるのに功績ありということで、実業界ではただ1人子爵位を貰う。爵位は上から公・候・伯・子・男となっていて子爵と言ってもやっと4番目ではあるが。論語の倫理観と巧みな算盤を組み合わせた「財なき財閥」を作ったと著者は讃え上げる。
- 頭取あるいは理事長が、銀行あるいは信金を私物化した挙げ句の果てに破産させる、預金は結局税金で補填されると言った事件に飽き飽きしている現代日本人は、戦前まで社会が持ち続けた金銭に対する厳しい倫理観に郷愁を感じている。切腹もせず夜逃げもせず堂々と大邸宅に居続け、差し押さえ前に所有権を移転させて開き直っている破廉恥面を見ては、「昔はちがった」と思うのも当然である。だが彼らの行為が間違いなくキャピタリズムの本当の顔である。4000年前の論語の倫理観などもう世界的にも通用するはずがない。今は良心や道徳でかっては規制し得た悪徳行為を事細かに取り締まり法で制限し、違法に罰則を強化し粗漏無きよう努める以外ない。アンフェアな行為に異常に寛大なのが日本の法務界である。早々に論語の呪縛からの離脱を望みたい。
- 渋谷家の女たちは現代感覚で云うなら忍従の一生であった。20人を下らないと言う栄一の子供の内記録に出てくるのが9人で、その2人は名が判っている妾の子である。あとは栄一が表に出ないように処理している。そんな栄一を長女は日記に「尊大人」と呼び、私の記憶では軍国時代でも天皇陛下にしか使わなかったほどの、最上級の敬語を使って彼の日々の行動を描写している。廃嫡された栄一の子篤二は何十年も本宅に戻らず芸者と同棲したまま死を迎える。本妻は責任感からか本宅を出て借家を転々とする。何とも理解しがたい道徳観だが、更にその思いを募らせるのは、本妻の子敬三が寄りつかない父に豪壮な妾宅を建ててやるくだりである。渋沢本家「東ノ家」も似たり寄ったりだった。奥方が死んだとき箪笥から三越の畳紙に包まれた上等の着物がたくさん出てきた。買い物で僅かに憂さ晴らしをしていたのではないかと著者は書く。論語は夫婦関係の倫理に最後の一線を設けなかった。
- 敬三は戦中戦後にかけて官界の要職にあった。日銀総裁から大蔵大臣になり公職追放にあった。敗色濃厚となった頃から終戦後の混乱期まで、時流に押しまくられながらも、なすべきをなす背骨を見せている。引き受け手がなかったポストだった。一方文化人として民俗学に凝った彼は著作も発表し民具の収集にも情熱を注いだ。彼の私立の民族学博物館が万博あとに誕生する国立民族学博物館の母体になったとある。渋沢コレクションのような形で寄贈されたと云うことかとも思い、民博のホームページを見たが、記載がないので問い合わせのE-メールを出しておいたらすぐ返事があり、「旧文部省史料館資料」という名で確かに民博の母体となったとあった。民博より先んじること40年、たいした眼力である。
- 渋沢邸は彼の代に財産税として物納され今渋沢神社の近くに移転されている。屋敷はのちに鹿島建設を興す名棟梁の手になる明治の傑作だそうだ。邸内に同族会の間がある。同族会とは後に株式会社組織に改組された渋沢財閥の司令塔である。その時期その立場で表舞台に立ち続けた人たちそれを支えた人たちが刻んだ歴史を、形ある姿で後世に残そうと努めてくれた杉本某氏には素直に感謝したい。
- 江戸文化と西欧文化、この精神構造的に全く異質の二つを繋ぎ合わせて今日の日本をもたらした先人の努力は、経済界に限らず並大抵なものではなかった。栄一は、数々の幸運もあったが、戦塵の中にあっても判断をあやまたず、近代資本主義を日本に根付かせるのに絶大な功績があった。栄一を継いだ敬三は戦後大蔵大臣としてインフレ対策に奮戦し、自らの手で財閥を解体し、現代と江戸時代との中継ぎ時代に幕を下ろした。明治の元勲功臣で神となった人は多い。明治天皇京都伏見御陵脇に、あとを追って殉死した乃木将軍夫妻の乃木神社がある。割に住まいが近かったので時折立ち寄った。小歴史博物館的感覚だった。よしとしましょう、栄一敬三を神体とする渋沢神社を。顕彰に値するお人を神と敬うのはわが国の文化であるから。多分敬三が神になる最後の人と思うが。
('99/10/31)