歴博企画展「江戸モード大図鑑」


私の書斎のカレンダーには花影という題が付いていて、沢口靖子が2ヶ月ごとにその季節の着物に装いを替えて柔らかな笑みを投げかけてくれる。9−10月分は、白地に金糸の流水と花模様の着物に紅葉をあしらった暖色系の帯を締め、欄干のある縁側に正座しようとしている写真である。美しい。着こなしている。
着こなすには一寸した技が要るという。着物学院とか着付け教室とかで教えてくれる。結構段階があって、週1回の実習で2ヶ月ぐらいのコースを上中下と3コースぐらいこなさないと、ひとわたりマスターしたことにはならないと云う。卒業式とか結婚式で和装したお嬢さんの中には着こなせていない方もあって、日頃の着物との馴染み具合がよく判る。帯とのコントラストによる現在の様式美は江戸後期以降のもので、桃山のころは帯とも言えぬ布紐でただ前がはだけぬように結んでいる様な姿であったらしい。衣装もゆったりと着て座り方も自由に楽な姿勢をとったというから、随分今とは違った印象の姿であろう。元禄期の頃には細帯となり、着物美の一翼を占めるようになった。岩下志麻が双子の姉妹を演じた映画「古都」では帯のタイコの部分の北山杉のデザインが話の一つの中心であった。着物デザイン最後の輝きが、帯を芯にした美の追究であったことを暗示する。様式美を追求したあまり機能性を犠牲にし過ぎ、ついに戦後になってドウと倒れた。民族衣装だけで美術館が作れる。世界に例のない美術は可憐で愛おしい。
企画展の中心は歴博に移った野村コレクションである。この素晴らしいコレクションを残した野村家とは野村財閥のことで、今の野村証券、大和銀行、東京生命などはその系統である。日本美術の収集保存などは本来国家が精力的にやらねばならぬ仕事なのに、先駆けてよくぞやってくれたと思う。書画、茶道具などの収集品は京都の野村美術館にあるという。野村別邸の中である。住友コレクションの泉屋博物館の近所らしい。安宅コレクションもそうだが、大阪の大商人たちは後世に残る文化事業を色々担当している。当時の文化人の心意気であろう。解説の冒頭に野村家の功績を顕彰すべきだと思う。何も書いてないので野村について受付に聞いてみたが知らなかった。ここに記載した話は帰ってから調べた結果である。それでもこのお宝が歴博に移った経緯までは判らなかった。集めた人が大阪の人なら、大阪あるいはその近くにコレクションを置くのが、受け継いだものの作法のように思うが如何なものだろう。
[おことわり] 野村コレクションの野村正治郎は野村財閥とは無縁の人らしいと判ったのは、歴博から貰った回答と3度目の小袖展鑑賞をしたときに付属の図書館で調べた結果である。私の頭には以前何かで調べた野村財閥の野村徳七が残っていて、それが京都の美術商と短絡してしまったらしい。お粗末な勇み足であった。京都に野村美術館があることは本当である。(11/26追加)
くらしの植物苑に立ち寄った。茶の花が咲いていた。椿を小型にしたかわいい花である。茶がツバキ科であるとはその時まで気付かなかった。アオギリ、イイギリ、ただのキリのように同じキリが名に付く植物でも科が違う場合もあるが、マメ科ウルシ科あるいはブナ科のように一見して同じと判る植物もある。ツバキ科も分かり易い方だがチャの葉は一寸特殊で判らなかった。歴博に行くたびに植物苑に立ち寄る習慣が付いた。近頃逆に植物苑のついでに歴博の場合もある。四季がその度に植物の装いを変えて迎えてくれる。散るからこそ花図柄なのだと思う。四季と適切な降雨量が日本人の美意識を磨いてくれた。そんな着物が美しすぎて、先史時代には芽が出ていた宝石による装飾を日本人は忘れてしまった。これは私の推論である。

('99/10/23)