
- JCO臨界事故の経過の中で最も私の関心を引いたのは、臨界を停止させる処置についてであった。日本原子力研究所で冷却水抜きが立案され、JCO社員が2人12組で決行したと言うことだった。この特攻隊員は自ら志願した人たちだったという。立派なものである。特に第1隊は不確かな被爆予想しかできない状況の中での突入だから、その勇気には全く敬服させられる。
- 突入に至までの手続きが日本的である。原子力安全委員会で真っ先に臨界事故と指摘した住田委員長代行が科技庁代表格のアドバイザーとして現地に現れ、突入の実質指揮を取ったという。JCO東海事業所所長は10分後には臨界事故と認識していたとおっしゃる。だが、NHKスペシャルを信じる限りでは、原研から届いた水抜きの提案に自らの手でやらねばならぬと云う認識はなかったという。住田先生は最後は政府命令の手続きになると言う脅しまで使って実行を決心させたと証言された。
- 行政権は科技庁にあるのに、審議権だか答申権だかしかない委員会のメンバー1人が、それも言い出しっぺだからと言うことでやってきて、突入を半ば命じている。住田先生は事故の拡大を見事に防ぎ止めたのだが、もし予想に反したしくじりであったら誰が責任をとったのだろう。科技庁の局長ないし部長など責任ある人物が同行し、また委員会からは委員長が同行し、住田先生のリコメンドを自分の意志として伝えるのが順当な手順であったと思う。
- 事故が収まってから続々お役人が立ち入り調査をするのを見ながら、東海村村長は「政府も県も肝心の時に何もしてくれなかった」と安全委員会の佐藤委員長にたっぷり皮肉を言ったそうである。同じ情報環境の中で、とにもかくにもこの村長さんは退避命令を出したのだから、それを言うだけの資格はある。誰の目にも明らかな結果が出てからではもう遅いし手が付けられ無い惨状を呈しているだろう。近代戦争と通じるところがある。インタビューでの科技庁の役人は「データが集まっていない、先生方の意見が一致していない」と逃げ腰の発言ばかりで、火の粉が降りかからねば良しとする旧態依然の体質であった。そのくせ彼らは個人的には自らを一端以上の原子力技術者と任じているのである。私がよく言う「お勉強が出来るだけのエリート」とはこんな姿勢の人たちのことで、わが国原子力の将来を思うとまことに背筋が寒くなる。
- 住田先生を一度大阪大学にお訊ねしたことがある。学生就職に関する気まずい話題だったので当然だったかも知れないが、随分とワサビの利いたお話振りだった。その学生は結局JCOに就職したから住田先生にも私にも全くの他人事ではない。ニュースを見たときは、たった一度しかお会いしていないが、先生が、10分後に臨界と確信したが自らの突入に二の足を踏む所長、この方も「お勉強型」のように思えるが、を叱咤激励される様が何か手に取るように判り嬉しかった。それと同時に組織に頼れぬもどかしさを痛感した。
('99/10/13)