打敷から小袖へ


歴博で掲題の講演を聴く。演者は京都国立博物館の年若な先生だった。ジョーク入りで2時間を余ったお話を飽きさせずに聞かせた。演題の中の「打敷(うちしき)」とは敷物のことで、故人の衣装を縫い直し方形の敷物にして寺に寄進したものを話題にしていた。僧侶に限らず仏具の敷物をも皆打敷というそうだが、仏壇もなく法事もない名だけの仏教徒のわたしには全くの死語で、そういえば死んだ母は使っていたかなぐらいの記憶しかない。そこら辺を配慮してか、さりげなく単語の意味の簡単な説明を入れる親切な解説であった。僅かに伝わった打敷を元の小袖に復元したという。今に伝わる桃山から江戸前期の小袖はそれほど数が少ないらしい。
歴博の「江戸モード」展に対応したような「花洛(みやこ)モード」展が京博で開催されるそうで、その宣伝も兼ねていると云うことだった。私はまだ始まったばかりの「江戸モード」展に足を運んでないが、江戸というからには友禅染で花開いた着物の世界が中心であろう。金沢の兼六園の脇に加賀友禅を見せる展示館があり染色技術も模型で説明している。友禅とは防染糊と色糊が中心の技法である。これなら絵画のような文様も作り上げられるだろう。それまではどんな技法だったのか、私の興味の中心はこれだった。刺繍、絞り染め、箔押しと聞いた。箔は金銀だろう。刺繍糸には箔を巻いたものもあるという。色を出すのに顔料まで動員したと聞いた。染色不向きの顔料まで使わねばならぬのだからご苦労なことである。
実際に小袖に縫い直したものもあるそうだが、それが許されない品はコンピュータ・グラフィックスの力を借りる。復元図を更に時代の垢をぬぐった使用時代の色形状に再現する。金箔金糸は燦然とした輝きを取り戻す。だがその他の染色部分は殆ど元のままの暗い色である。これは使用時代も今見るような色だったと言うことか。天然染料だから初めから多少はくすんだ色であるのには間違いないが、元禄期ほどにも色素の単離は出来ていなかったと云うことか。あるいは時代が地味好みだったのか。ご存じの通り、色素は混ざるとくすむ。私は再現した色は金だけだったと思う。染料は時間と共に酸化し退色するだろう。染料種類の少ない昔はあるいは媒染剤を色々工夫したのかも知れないが、そのキレート金属の酸化状態が変わることあるいは別種と置換することもあるのかも知れない。興味津々だったが、質問の時間はなかった。退色加速試験でもやって400年を再現できないか一度染色技術者に聞いてみたい。
西陣の機織りの音がする場所に住む友がいた。小学校の行き帰りにはいつも織り糸の糸繰り機が忙しげに動く町工場の前を通った。敗戦翌年の京都の正月は娘たちの晴れ着姿が一杯で、抑圧されていた美への憧れが一度に吹き出たような雰囲気だった。だが、厳しい生活苦で母の和箪笥から一枚また一枚と着物が消えた。それから半世紀あまり、年々着物が衰微して行く風俗の移ろいを眺めてきた。私も着物で町を歩いた最後はもう3年前である。母には一枚しか返せなかったがとても喜んでくれ、あの世に着て逝ってくれた。京都に行くときは時には西陣織会館に立ち寄った。そこでは若い女性のきものショーをやっていた。観客は多くて数人でその内に中止になるのではないかと危ぶまれた。着続ける人があっての着物文化である。たまに見かけても若い人には背筋が曲がってぎこちない着方が多い。家内はお茶をやらないからだという。過去の服装文化にはしたくない。今回の歴博企画展はグッド・タイミングである。期待したい。

('99/10/11)