
- 著者李登輝は第3代中華民国(台湾)総統である。彼は地主階級の子として生まれ、京大農学部に進学、学徒動員で陸軍に入隊、名古屋で終戦を迎えた。戦後は台湾に戻り台湾大学を出てアメリカ留学をする。外国語で読む文献は主に日本語で書かれた書籍と云うから貴重な知日派である。日本語で本が書ける外国のトップクラス政治家など彼以外に見当たらないだろう。彼は次の選挙で総統を降りる。政治色が薄まれば中国も多少は神経が休まるだろう。そのときこそ京大は彼を記念講演に招待すべきである。それが大学人の国際センスというものだ。ご本人はアメリカの母校が講演に招いたとき京都でもやりたいと漏らしたそうだが、京大は中途退学を名目に招待しなかった。事なかれの外交屋の鼻息など無関係に野性を見せてほしい。野性は京都の本質であるはずだ。
- 第6章は「いま日本にのぞむこと」だがその的確で厳しいこと。親父さんが名のある政治家だったという理由で、嫁さんや息子たちがぞろぞろ当選してくる政治の仕組みに活力を失った日本を象徴させている。実利に近い各論には微に入り細に渉って論じても、哲学とか信念に欠けたリーダーたちが舵を取る2流国風に見られている。大債権国日本が大借金国アメリカに経済問題のお指図を仰ぐ滑稽さ、一つ一つ中国大陸の鼻息を伺わねば些細な外交もできない滑稽さ。ここ10年ほど私が腹立たしく思っていた自主性のなさを、づばりづばりと現役の外国政治家に指摘されてしまった。
- 台湾大地震が李総統の一民族二国論による紛争に水を掛けた。だがよく新聞を見ると、北京の赤十字は台北の赤十字に必要な援助を「申請」せよと云っているし、外国の援助は北京が受け付けるのが当然と外国を牽制している。多分どの国もそんないいがかかりに気を配ることはないだろう、人道第一に到底なりきれないのが中国である。江沢民主席は「台湾省」への外国の援助に「国」を代表して謝意を表明している。台湾は政治がらみで来られるのを警戒して人の援助を断っている。警戒するのは当然だろう。中国からの仕掛けが輸送船の拿捕とか領空侵犯とか海軍演習とかの形で現れている。中国は覇権主義に傾いている。著書は大地震前のものだが覇権主義をはっきり指摘している。
- もう一つ、中国の評価で思い当たったのは未だ中国は法治ではなく人治だというくだりである。中国における日米フィルム戦争で、先行のフジがコダックに拠点を次々に取られる報道で、コダックの中国政界ナンバー3とか4とかの人物との繋がりを示唆していた。中国進出の中小企業が業績を上げているのに不可解な出費で倒産して行く。日本料理店の女将がただ食いで出て行くグループを見ながら「あれはお役人で・・」と諦め嘆息する記事も読んだ。権力者のさじ加減で左右されるのでは外国民間資本はうっかり進出できないだろう。権力者は多かれ少なかれ民族主義者であるからなお一層である。
- 台湾は移民の島である。先住民が高砂族で、約400年前から中国からの移民が始まった。最後に来たのが共産党軍に敗れた国民党軍だった。2千300万を超える人口の大半は漢民族だが、彼らの間でも本省人と外省人とでは溝が深い。その中を蒋介石第1代総統、その息子の蒋経国第2代総統それから李登輝第3代総統とつなぎ、今の民主主義、自由主義の台湾を自力で確立した。第1代は対岸との軍事的緊張の中、まさに専制的で本省人の大弾圧もやった。それを乗り越えて総統選挙制の実行に至るまでともかく自前で現在のシステムを構築し実施した意義は大きい。大陸の超大国との外交関係は大切故、各国は表面上は中国の云うままに中国一国制を承認せざるを得ないが、世界の自由民主の潮流に逆らうような台湾切り捨てはやれない。当面わが国も建前は中国は一つされど台湾は不可侵の宝永山というダブルスタンダードで行かざるを得ない。
- 中国は今共産党専制時代から台湾で云うなら蒋経国の時代に入り掛かっている。もし中国が李登輝の時代に進むことが出来るなら中国一国化は容易だが多分そうはならないであろう。民族が同じなら一国でなければならぬ理由はない。逆に多民族一国家は全ての問題を複雑にし自由化民主化を阻害する。今の中国を見ているとこの足枷が前進を阻んでいるようにも見受けられる。
('99/09/27)