
- 日本映画100年祭とかでNHK BS11が古い日本映画を見せている。今は黒沢明特集で、その何番目かが表題の映画であった。世界第二次大戦最中昭和19年の戦意高揚映画で官のお墨付きになっている。よくこんな映画が残っていたものだ。敗戦で陛下に不利な証拠は一切が焼き捨てられる方向にあったのによく残ったという意味である。
- 山崎隊長という名が出てくる。アラスカ・アリューシャン列島のアッツ島で玉砕した守備隊の隊長である。文字通り全員戦死の玉砕だった。日本軍最初の玉砕だった。続いて次々字幕で紹介される片仮名の地名には何の注釈も付いていないが、当時なら誰にでも判る日本軍玉砕の地である。背景に「軍神に・・・」と書いたスローガンが見える。もうイタリアは連合国側に降伏していた。つまり戦況がますます敵側に傾き、国民は絶望まで行かなくても極度の不安を感じ始めていた頃である。
- 神奈川県平塚にある光学兵器製作所が舞台である。動員された田舎の女学生が寄宿舎生活を送りながら兵器製作に働いている。戦後世界を席巻した日本のカメラの基本的な生産工程がこれかと興味津々で見た。会社側が女学生の増産目標を男子工員のそれの50%としたあたりから話が始まる。女学生の間に不満が囁かれる。過重労働反対、サービス残業反対、搾取資本反対ではなくて、その不満は目標が男子並でなかったことへの不平である。微熱を隠して生産に参加させてくれと頼む女学生がいる。病癒えて国元から喜々として工場に戻ってくる子がいる。母親の危篤死去にも関わらず帰省せずに働く子がいる。父親もそれが母の遺言だと言って是認している。ミスを取り戻そうと徹夜する子が出る。
- 現代に現役である諸君に、こんな話が大真面目で通った時代が理解できるだろうか。戦意高揚映画だから官のご都合を唱っているのだし、現実は決してこんなに立派ではなかったろう、だからこそ映画が出来たのだろうが、それでも私には十分当時の少なくとも建前の雰囲気を理解し感じ取れる。私より少し年上の、姉の年代に当たる人々の青春のある時期である。私の縁者に丁度動員で体をこわしたこの世代の女がいる。年上に吹いていた風の厳しさが我が身にも伝わっているのである。
- 寮と工場の間は隊列を組んで往復する。私も集団疎開で疎開先のお寺と学校の間は団体行動だった。けっこう遠かったので途中の道草が楽しみだった。わざと丘越えにしたり洞穴を覗いたり。椿の蜜が甘いのを知ったのもその時だし、桑の実もお八つのない我々には貴重な果物だった。工場は町中で彼女らには道草の場所など無かったらしい。その代わり鼓笛隊があった。上手ではなかったが、観客も慰められるシーンがこの演奏であった。殆どプライベートのない生活の中である。些細なことでも感情爆発の引き金になる。そこらをしっかり捉えている。士気の衰えが目立つとバレーボールで気分転換が図られる。
- さて私たち銃後の少年少女で集団疎開に出たものたち。子供たちの間では結構遊びの交換もあった。おじゃみとかあやとり、縄跳びなど女の子の遊びに分類されていたゲームを覚えたのはこのころである。ただ内々だけの交換で村の子が遊びに来ることは一度もなかったし呼ばれもしなかったと思う。普通には排他的な村人も疎開児には親切だったのだが。我々の近くでは集団疎開組の集団脱走がよく起こった。140-150kmは離れた親元へ歩いて帰ろうというのだから無謀な話で、全部捕まった。やっぱりいくら軍国少年でも何かが我慢できなかったのである。いくら献身的な先生や寮母でも親の代わりには成れなかったのである。姉たちのこの最後の部分は映画ではついに語られなかった。
('99/09/22)