ETV特集65歳


ここ何日か連続で「日本人こころの風景65歳」をNHK教育テレビで放映している。ジェームス三木が65歳の男女のインタビューを纏めるという番組である。引退して間もないあるいはお釣りの現役生活を送る人々の余裕のある発言に年輪が滲む。この「間もない」あるいは「お釣り」であるのが良い。現実をやや斜交いに見れるなお活力を保つ年層だからだろう、切歯扼腕の理想論ではない発言が続く。
第3集の引揚者の発言が印象的だった。敗戦により生活基盤を失い海外−満州と朝鮮−から日本本土に引き揚げざるを得なかった人たちである。敗戦の年国民学校(今の小学校)5または6年生だった。冒頭に目の前でソ連兵に凌辱される若い日本女性の話が出てくる。女性は暴行を避けるために殆ど皆が丸坊主になり男装したそうである。敗戦直後の話ではない。私の高校同期生(女子)にも大連からの引揚者がいて同様の話を繰り返し繰り返し聞かせた。ボスニアとかコソボの遠い国々で起こった難民の話ではない。異民族の間の力のバランスが崩れたときの一般市民の被る被害の酷さを示す好例のインタビューだった。難を逃れたのはいち早く逃げた軍と満鉄関係の家族だけであったことも国家組織に対する根強い不信感の源となっている。20万人からの犠牲を出したのだから当然である。だが、天皇に対する恨み言は一切無かった。「陛下の御為に死ね」と教えられた年層だから触れる人があるのではないかと思っていたが、予想違いだった。
私が住んでいた京都は焼け残った唯一の大都市であったためか沢山の引揚者を受け入れたように思う。私らもある日突然リュックを担いで現れた1家族を引き受け年単位の同居をしたし、他にも周辺に何人か数えることが出来るのである。大人たちは概して苦痛な話ばかりをした。着のみ着のまま九死に一生を得た人たちに良い思い出などあろうはずはない。同年代の引き揚げ少年の中には何か内地だけの我々と違った気風を持ち込んだ人もいた。悠々迫らず大陸的で国連職員になった彼は生まれつきか環境からか国際的センスを持ち合わせていたと思う。TVでは日本モトローラの会長をやった人がでていた。柔軟な頭の引き揚げ少年少女たちが、欧米留学経験者など皆無であったそのころには貴重な外国アレルギー免疫者であったのは事実だろう。
第4集は広島に近い瀬戸内海に浮かぶ島の東和町立国民学校を卒業した人々の追跡だった。そこは200人はいた生徒が今は5人で、来年には新規入学生の予定はなく存続か廃校かで揺れているという、半数は65歳以上の、高齢化が進んだ町にある。卒業33名、死亡3名、島在住3名、Uターン組4名。そんな数字だった。山田洋二監督、倍賞千恵子主演の「故郷」という映画がある。瀬戸内海尾道対岸の島に代々住み、採石運搬船を営む一家が、都会の会社に就職し年寄りを残して島を離れるまでの姿を映していた。この町は「故郷」が更に20年を経た姿だった。もう空き家だらけで映像を横切る人影も疎らである。働きながら高校に通える条件に惹かれて四国の紡績工場の女工になった女性がいた。転々と職を替え最後にUターンした男性がいた。お菓子屋で成功した男性がいた。彼らがインタビューに答える故郷感は存外にドライだった。人生に一応の区切りをつけ老人入りを果たした人々の達観である。
私らが戦後10年間はなにくそ今に見ておれと歯を食いしばって頑張ったというコメントには肯けた。敗戦をバネに負けじ魂を発揮した世代があったからこそ今日の繁栄をもたらした。だがその10年も含め弱年の我々を懸命に育ててくれ守ってくれたであろう親に対する言葉は、カットされたのか、殆ど表に出なかった。ことに女親の最高の美徳は献身の愛とされていた時代だったから、母への感謝は言い尽くせぬほどに大きいはずなのだが、聞こえてこなかったのは何故だろうと思った。

('99/09/10)