汗血馬と土産馬


今もやっている「よみがえる漢王朝」展(歴博)に大きな青銅馬が出品されていて、キャプションに「秦始皇帝の兵馬俑の馬と比較して見よ、何と腰太く逞しいことか」という意味の説明があった。天馬すなわち汗血馬を形取った作品である。千葉そごう美術館に兵馬俑が来ることは知っていたので是非確かめたいと思っていた。やがてそごう10階の美術館に「シルクロードの煌き−中国・美の至宝」展が来た。残念ながら秦代の兵馬俑ではなく前漢時代のものだった。だが墳墓からの馬の出土品が沢山出展されていて馬の歴史の手がかりを与えてくれた。
汗血馬とは前漢が匈奴の猛威に対抗するための「決まり」となった軍馬で、弩と共に第2次大戦の日本海軍のゼロ戦のようなウエイトを持った兵器だった。漢が西域からの輸入に勤め、国産化を奨励尽力した馬である。考えてみれば、秦始皇帝の兵馬俑は実物大だからちょっとやそっとで運べるわけがないし、大きな会場がいる。私が昔大阪で見た兵馬俑の中身は兵士1-2人だけだった。日本にはまだ馬俑は来ていないのではないか。そうなら、そうでなくても親切に、キャプションに写真ぐらい貼り付けておくべきであった。
残念ながら競馬には縁がない。だから汗血馬つまりアラビヤ馬には直接にお目に掛かったことがない。しかし競馬の大きなレースはしばしばテレビ観戦しているから馬の勇姿は目に馴染んでいる。均衡のとれた脚の長い体躯は1700-1800年昔の俑にリアルに描写されたとおりである。リアルといえば御者に逆らっててこずらせている人と馬の一対が面白かった。漢王朝展のキャプションに比較に出された汗血馬以前の中国馬は蒙古馬だったのかと思った。時代は大分下がる出土品の馬車模型を曳く馬の説明に、脚の短い蒙古馬の特徴を捉えていると記されていたからである。この手の馬はこれだけだった。
野間馬というのがいる。今治の土産馬である。江戸時代の藩の牧場で小さくて侍の役に立ちそうにない馬は百姓に払い下げた。農家では大人しくてよく働くこの馬を重宝したが、機械化の波で血統が途絶えようとしたのを保護養育して種を保っている馬である。わざわざ見に行ったわけではないが大体は噂で承知している。血統からゆくと明治までの日本の軍馬はどこから来たのだろう。DNA解析でもあれば発1で判るかも知れない。もうやっているかも知れない。私の推測では土産馬と大陸馬の混血である。野間馬が土産馬の証拠である。兵乱の絵巻物に見る軍馬は勇壮精悍で大型である。だが、絵巻物だけではちょっと頼りない。沢山の遺骨が昔鎌倉の土地開発のときに出てきたことがあるという。鎌倉幕府が倒れたときの合戦で死んだ武士たちという。馬もあったろう。科学的証明に事欠かぬだけの材料はあるだろう。侍の乗った馬に遠くアラビヤの血が流れていたのか、ルーツを思ってみるのも楽しいものである。

('99/08/06)