
- 大都市生活を憧れる若者、海外勤務や外国航路の船員をいやがる人々、海外物見遊山旅行の大流行、温泉ブーム、毎日何かのイベント、古典より漫画、新興宗教の活況、享楽的軽薄気分の蔓延、大衆我が儘主義への迎合、女性の進出、社会基本規範の崩れ、際限のないグルメブーム。
- これだけ上げたら皆それは現代日本のことと思うだろう。違う。少し選別と、おれ流書き直しがあるが、「なぜ国家は衰亡するのか」(中西輝政、PHP新書、'98)の第3章に、100年前の「日没することのない」大英帝国に現れた衰退の前兆として描かれた光景である。大英帝国の識者はその前兆を警告して止まなかったし、論壇は財政改革、行政改革、経済構造の改革、福祉改革、政治制度とりわけ選挙制度の改革と改革論のオンパレードだった。現代日本そっくりである。その英国は、サッチャー首相がリーダーシップを発揮するまでは、ぬるま湯の英国病に罹ったまま身動きがとれず、先進諸国にどんどん水をあけられる結果となった。挫折を初めて味わう日本が、何よりも勉強せねばならぬのはこの大英帝国の衰退であると中西先生は云いたいのである。
- 私が日本衰退論に傾きだしたのは中西先生のような論理の帰納の結果ではない。将来のエリートに対する不安からである。我々の世代なら、少なくとも建前を問われれば、間違いなく帰属社会民族国家への貢献を上げるだろう人生の目標に、自身一個の幸せしか出てこない疑問がまずある。どの国の人だって胸を張って答えるこの目標に我々の若人だけはなぜかその方向を躊躇する。その次が思わず「なぜだ」といいたくなる学生の跋扈である。
- 超エリートであるはずの医学生の集団婦女暴行事件もその1例だ。少し前母校の学生新聞に教官アンケート結果が出ていたが、学力不足が深刻な問題であるという指摘であった。医学部に入った学生が生物を履修していない、法学部学生がまともな日本語を書けない、経済学部学生が中学の数学常識すら持たない、これらは8/5付け毎日新聞夕刊「今週の「異議あり!」」(中西先生)に載った話である。低い方に合わせていたら大学は高校になってしまうとおっしゃる。学問は刻々と前進するのに日本だけは学生が刻々と退化するのか、なぜだ。非エリートが少々退化しても余り問題でない。時代の先端は一握りのエリートの双肩に掛かっていることはどの国でも同じである。しかしそのエリートを生む学校の学生がこんなでは、日本の将来を悲観したくもなる。
- 毎日毎日どこかに壮大なイベントがある。幕張メッセの15万人を越えたという誰かのライブ、東北5大祭。青森ねぶたなど150万人で賑わうそうだ。「大学」の参加が目立つ。志を立てる方でも頑張ってくれ。明日土曜日は恒例の千葉の花火大会。全国の大小の花火大会を合計したら何千何万だろう。花火も隅田川と長岡ぐらいにして、あとはよいのではないか。どうせ隣がやるならおれもやるで始めた花火大会だから。しかし代わりの暇つぶしは漫画ではなく古典にしてくれ。
('99/08/06)