鉄道員(ぽっぽや)


先月末の北海道バスツアーでは駅舎を2ヶ所訪れた。
その1つ幾寅駅は高倉健の映画「ぽっぽや」のロケ地である。根室本線の狩勝峠に近い寒村の駅である。「ぽっぽや」は一月後に見た。丁度我々と同じ頃にジーゼル車が到着し、良いシャッターチャンスになった。バスの乗客がどっとホームに登ったから本物の鉄道員はびっくりしただろう。ロケ用セットの3軒ばかりの家屋がそのまま残されていた。駅前の小屋は散髪屋で映画では外景だけだった。だるま食堂の看板のある家は奈良岡朋子の婆さんが経営する、3日に1人の客しかない設定の食堂である。その奥の家屋にも看板が掛かっていたが忘れてしまった。映画でも風景として出てくるだけである。近くの公民館にロケ当時の写真展が開かれていた。
ぽっぽや高倉健扮する佐藤乙松駅長が唯1人で守るローカル線の終着駅幌舞駅、冬正月一面が深い雪の中、廃線の通知が来る。駅長は定年間近の病持ちである。佐藤家の墓石には乙松の名が彫られ朱色にしてある。先を悟っているようである。妻(大竹しのぶ)娘(広末涼子)はすでに亡い。2人を彼は仕事で臨終を見送れなかった。その日彼は見知らぬ女の子の訪問を受ける。始めに幼女、次ぎに小学生、最後に高校生。3人は古い人形に繋がっている。赤子で死んだ雪子の棺に添わせてやった人形であるとやがて気が付く。明くる朝ラッセル車を迎える乙松の姿はなかった。ホームで旗を持ったまま死んでいた。
男のロマンの物語である。あまりにも筋を単純化しすぎた恨みはある。だが、生き方には共感を覚える。商売でも工業でも研究でも芸術でもスポーツでも政治でも何でも、一流をことに世界に対して維持するには、乙松ほどの打ち込みようが必要であることは事実である。アメリカ人はアメリカ人であるだけで世界の平均から見れば有利である。アメリカが政治経済軍事産業科学とあらゆる点で覇権国であるからだ。日本人も相当有利だけれどもアメリカ人ほどではない。だから余計に必要なのだ。公立美術館に寄託された明治の高岡の金工の作品についてその子が「父は(代価は)飯が食えるだけあればよいというただただ製作に夢中になる職人だった」と述懐するシーンが昨日(6/27)の新日曜美術館(NHK教育テレビ)に出てきたが、「楽しんで」「儲けにも貪欲で」「すぐ芸術家気取りになり」「展覧会を開きたがる」「素人+アルファ」タイプが営業マンにも工事屋さんにも研究屋さんにも事業家にも政治家にも他あらゆる分野に増えている。その分世界に通用する本物が少なくなって行くような気がしてならない。
旧幸福駅は、鉄道路線は廃止されたが、名前が良いので駅舎が残り愛国駅より幸福駅行きの切符220円がおまじないとして売られている観光のポイントである。林野の中にぽつんとある。土産物店が何軒かある。胴が朱色の昔のジーゼル車が2台線路に残されている。取り囲むように生い茂る背の高い松はカラマツで、チョウセンゴヨウ(マツ)とハルニレもあったような気がする。40何年か前に通ったはずだがどんな鉄道でどんな風景だったかさっぱり思い出せぬ。人の記憶なんてこの程度なのだ。そこからバスは一路南下する。遙かに見える日高山脈が雪を被ったままで美しい。トイレ休憩で立ち寄った町は店店のシャッターは下ろしたままだった。一時のレジャーブームに乗った産物なのか、いろいろのテーマパークが開店していた。

('99/06/28)