
- 歌集「四季おりおり」(村上あつ遺作集)の最後の一句である。この「頼もしき娘」御とたまたま教官として同輩であった縁で、故人となられたご両親の自伝「凡人の生涯」(御尊父)とこの歌集を頂いた。共に非売自家出版本である。私生活を覗くことになるのでいささか躊躇ったが、供養にと贈られたお心を無にしてはという気持ちもあって一日集中して読み通した。
- 二冊重ねて読むと身辺に起こった事件への心情や歌の背景がよく判り、一度もお目にかかったことの無いお二人が身近な人に思えてくる。私が見聞きした私の親の生活と感覚的に似ていることもある。お二人が私の両親とほぼ同じ世代だからだろう。あの世代は時代の波に流されてそれぞれに波瀾万丈の人生を余儀なくされた。ただ頼もしき娘御のご両親と違って私の両親は物語るものは何も残してくれなかった。母に書き残してくれるように頼んだことはあったが筆を執ろうとはしなかった。「華やぎは罪の如くに思い決め過ぎ越し一生を」そのままあの世まで貫いてしまったのが残念である。
- 「われ母にかくはせざりし永らえば娘に伴われ楽しき旅す」。私は親孝行をしようと思ったときはもう親がこの世の人でなかった1人である。頼もしき息子と思ってくれたことがあったか自省の念沸々。「カーネーションなどは似合わぬ母なりし」が、親孝行は形で区切り区切りにしておくべきだった。今自分の息子にこの種の説教をするが、奴は鼻白む思いで聞いているようだ。
- 私の教官の経験は5カ年だった。私は教育を語るに豊穣な環境には育っていない。だから戦後学んだ現代知識で、5年間日本の教育を眺めていたに過ぎない。その意味で、自伝に書き残された裏話には、時代時代の教育現場を物語る脳に新鮮な話題が豊かである。お若い頃の教師任用の話は、漱石の「坊ちゃん」を地で行く雰囲気で、当時のおおらかな社会を伝えている。基本的には高等教育を受けた青年が希少であったことに因るのだろうが、自身の才覚でポストを選び身軽に転任される。今なら教育委員会とか文部省とかにたちまちに引っ掛かるところなのにと思う。もっとも松山は不評である。何しろ召集先が松山連隊で、そこでは一種「野太鼓」風の古参兵どもが威張っているからである。だがどこの学校にも「ゆるゆるやっておくれんかなもし」と云った雰囲気もあったようで、「楽」もあったようだ。
- 「飛蝗(バッタ)追う孫の足もともつれけり」とは私の孫を見る目とそっくりで思わず良いなあと思った。「杖にせよと吾がため孫の拾いきし棒切れは心の支えともなりて」という経験をすることがあるだろうか。「草焼けばはぜる種子あり秋深し」私の選ぶ第一の秀句です。「注射針持てばそのかみあこがれは女医にてありき甘き感傷」私も入学したのは医学部であった。今でも挫折した初心を懐かしく思い出す。ご両親のご冥福を祈ります。
('99/06/19)