顔の識別


顔写真だけではどこの誰と自信を持って言い切れない場合がある。平凡な並の顔立ちの場合に多い。しかし身長とか肩幅とか特徴を示すデータが更に与えられると、漸次検索範囲が狭まって、ついにはその人に行き当たる。女人には髪型とか化粧とか和装洋装と変装のバリエーションが多いので、指摘されるまで気が付かないことがしばしばだ。
公園の植樹や通りの街路樹に最近興味を持つようになった。公園の木には種類を記した札が付けてあるものもあるし、家に残っている少年少女向けの植物図鑑も、近所の木を散歩の途中に見て歩く程度の目的なら十分役に立つ。識別認知はアナログ方式からデジタル方式まで種々雑多だろうが、樹木に対してはどんな方式で対応するのだろうか。歴博くらしの植物苑や県立中博の生態園で行われる現地説明なども参考にしながら、ちょっとづつ樹木を覚えに掛かった。
広々とした公園や植物園の樹木は別だが、都会の樹木は自然の姿ではない。我が家の近所の郵便局前の木立が、丁度良い日陰を作るようになったと喜んでいた矢先、昨日庭師によりばっさばっさと散髪され坊主頭になってしまった。それでも太い枝までは刈らぬから基本形は留めているが、小枝や葉と共にあった全体像はどこかへ消えてしまった。街路樹や通りから眺められる庭木の茂り方は人工の姿であるから、うっかりとは脳味噌の中の認識回路に組み込めない。
花が咲けば容易に識別できる樹木は結構多い。こんな木は花が咲く時期に認識して、花が散ると忘れてしまう。しかし花の位置は大体覚えているからこの木はあれと言える。だが、別の場所で花のない季節に識別できるかというとはなはだ怪しい。それから大半の木は人間に鑑賞されるための花を付けない。桜、梅、桃などのバラ科それから今タイサンボクの大輪の白い花が見られるモクレン科などは例外で、地味で小さく色も周囲と溶け合って若葉と区別しにくいような花の方が一般的である。今近所ではサンゴジュに花が付いているが、ハチやアブは懸命に蜜と花粉をあさっているものの人は誰も花見の対象とは考えない慎ましやかな花である。だが、たとえ目立たぬ花でも葉に比べれば遙かに特徴的だから、咲く時期に居合わせれば特定のいい材料になる。
花が終われば実が生る。花ほどには変化はないが大きさ集合状態色など結構特定には良い手がかりである。ドングリの仲間のように実を見ればすぐにブナ科の何と判る樹木もある。ただどの実も鳥や獣に運んで貰う目的からだろうが、実るまでは葉っぱと同じ色でいわば保護色だから、判断材料としては限定的である。
いつも見えるという意味で一番頼りにせねばならぬ材料は枝振り、樹皮、葉、葉振りと葉序といったところだが、これが大変曖昧で難しい。亭亭と高く高く伸びるポプラはたとえ散髪が入っても誰にでもすぐ判る特異的な樹木である。桜に楠は樹皮を見ればよい。イイギリとかアオギリは幹も枝も青白い。マツ科、スギ科、ヒノキ科などはたいそう背高の枝振りも特異的な樹木でしかも葉に特徴があるから科の区別ならまず間違えない。だが、ヒマラヤスギが実はスギ科でなくマツ科で、モミもツガもマツ科だとは図鑑を見るまでは知らなかった。アカマツとクロマツの区別、エゾマツ、カラマツ、トドマツの区別は聞いたときは判っていたがすぐに混線してしまう。ウルシ科は葉序で判る。ウルシ、ハゼにヌルデ。それにこれらは紅葉する。ヌルデはどうか知らないが、かぶれるのでも有名で小さいときから知っていた。カエデ科も解り良い。ブナ科の多くはギザギザの葉を付けるから判るものもある。例えばカシワにクヌギ。葉一枚で判るのは銀杏、アカメガシワ、ユズリハ、ヤツデ、トチノキなどか。柑橘類は葉を潰したときの匂いで判る。
同じブナ科でもシラカシは葉の並び方である。木の外面一杯に柔らかな葉を垂れ下がらす。葉にも幹、枝にも特徴はないが全体の印象に云うに云われぬ特徴がある。トベラ、ヤマモモ、タブノキなども葉の噴き出し方に特徴がある。この3種は並べてみるとそう区別が難しくはないのだが、単独では間違えそうである。自然の成木では高さが違うのだが、植木はそう大きくしないようだ。今ヤマモモが実を付けている。昔食用にしたときもあるという小さな実である。イヌツゲはざらにあるという意味でイヌがつくのだそうだが、独立に見分けようとすると大変難しい。ケヤキはすぐ判るが、さて同じ科のエノキとは外見ではなかなか区別できない。ミズキ科とウツギ科にも花がないとどうにも判らない木がある。サザンカ、ツバキ、ヤブツバキ、カンツバキなどツバキ科の植木も盆栽風に丸く刈り上げてあるせいもあって、花が咲くまでは見分けにくい。
母親を病院に訪ねていってまごついたことがある。老婦人ばかりの病室で、殆どが背丈が同じでお仕着せの病院着を付けていた。背中の曲がり具合から判ったつもりで後ろ姿に声を掛けたら間違っていたのである。親と同居しなくなってもう何十年だった。親でも常に目の届く範囲にいないと間違えることもあるのだと悟った。種の区別までは静的データで十分だが、個の区別になると動的データに頼る割合が大きくなるのであろう。仕草や声が加えられると特定は飛躍的に容易になることを意味する。

('99/06/12)