最果ての地


釧路は最果ての地と言う言葉は、「挽歌」を流れる叙情的テーマである。旅人にとってはロマンチックだろうが、その地に住む人々にとっては今に云う差別的発言で、彼らはベストセラーになればなるほど「挽歌」を無視しようとした。もう淡くなった記憶だが、そんな記事をどこかで読んだような気がする。
妻子ある中年男性と少女が深い仲となる。少女の父親は真剣にお見合い相手を考えている。少女がはまり込むきっかけが相手男性の妻の医学生との不倫である。少女はその不倫に対する夫の苦悩に嗜虐的好奇心を持つと共に彼に惹かれて行くというストーリーになっている。現在社会から見れば、主人公はありふれた、むしろ品良く育った少女の行き過ぎ行為と言ったところだが、作品が世に出た頃はまだまだ男女交際の倫理は厳格で道徳破壊的行動と写る内容であった。結末は悲劇的に書かれているところが時代の判断をよく示している。
私が「挽歌」の中身を知ったのはTV放映がきっかけである。もう7-8年前になる。中年夫婦を森雅之と高峰三枝子が演じ、不良少女を久我美子がやるという配役であった。久我美子はお公家の育ちで、当時の常識では役者稼業などとんでもないはずの出身であった。そんな背景もプラスして評判になった出世作だったらしい。その後更に1-2回放映された。私自身の青春時代と同じ時代を背景にしていることもあってか、素直に受け入れられる名画であった。続けて原田康子の原作も読んでみた。私の今の記憶は映画と原小説がミックスした状態である。今回の北海道道東旅行は最果ての地への憧憬がかなり動機になっていたように思う。季節も小説とほぼ合っていた。
夫人が自殺した湿原は、真っ直ぐな未舗装道路が走り枯れた低木が湿地の両岸を埋める単調な風景だった。逢い引きの場所にはレールの架かった木橋があった。人工の道路も橋も近代化してしまったが、保護されている湿原は想像通りであった。道東には湿原があちこちにある。江戸時代の伊能図にも釧路と根室のそれは画かれていることを思い出す。今度の旅ではその2つの他に霧多布の湿原を琵琶瀬展望台から眺められた。作品の中で風蓮湖は白鳥の湖として紹介されていたが、現実には白鳥を殆ど見なかった。濤沸湖で餌付けが成功して、以前はそこを中継地として各所に散らばった白鳥が居座ってしまうという。
不似合いに幅広い橋の袂から急坂の丘をのぼる小道を行くと、林の中に広い敷地をとったブロック造り平屋の一軒家がある。夫妻の住まいである。道のそばに多分赤十字の病院があった。大正頃の洋風建築だった。男は設計事務所をコンクリートのビルの一室に構え、ジープを走らす。そんな風景がガラーンとした画面に目立つ存在として捉えられていた。
だがさて昼にバスから眺めた景色は何かカナダの地方都市を思い出させるもう少し縦に密な風景だったし、車も多い。夜見た駅前は明るいシャンデリアが並ぶ近代都市だった。駅の正面と裏は立派な地下道が結んでいる。リッチになったのだと思う。むしろ人口減少の著しい根室の雰囲気の方がまだ昔の釧路の雰囲気なのかも知れない。根室は「挽歌」が書かれた時代より1万は減って今3.4万人、釧路は殆ど変わらず20万人をキープしている。
観光地図を見る。石川啄木文学コースと言うのがある。啄木は職を得て3ヶ月ほど釧路に滞在した。その間に詠んだ詩の碑、通った楼閣の跡などをたどるコースである。ガイドは啄木はいつも東京を向いていたと云った。原田康子は土地の出身で、「挽歌」はしっかり土地を紹介した力作の中編小説である。逃げ腰の啄木なんか捨ててなんで康子のコースにしないのかと思う。少々「挽歌」ファンにとっては心外な扱いであった。
よく見ると地図の幣舞公園の位置に<>があって、原田康子「挽歌」の碑今秋建立予定と小さく入れてあった。漸く「最果て」の呪縛から釧路市民も解放されたらしい。世に出てから40年である。

('99/04/26)