
- ひと頃はどこへ行っても「ダンゴ・ダンゴ・・・」を聞かされたのに、もう飽きられたか耳にしなくなった。CDの発売が丁度一月前だった。大変な人気で買うのも予約制だった。300万枚突破が新聞記事になった。CDは水戸の工場で作られていたらしいが、24時間体制でも間に合わないと云うTV報道を見た。昔、同筋の人気歌曲鯛焼きクン(正確な題名を覚えていない)は相当長期にわたって流れていた。流行期間が短かくなったとは時折聞くが、実感したのは初めてである。
- 昔は5人でも10人でも兄弟姉妹は兄弟姉妹たり得た。でも学生が2-3年下の後輩を理解できないと嘆く時代である。何事も多価値観多情報の中で自由に選択できる、しかも変遷速度の速い時代である。「ダンゴ・ダンゴ・・・」の歌詞は古き良き時代への郷愁をかき立てる。兄弟姉妹の間はより薄く淡い関係となっている。意志が何とか繋がりあえて肉親の情を分かち合えるのは、上下繋がった3兄弟3姉妹ぐらいが標準なのだろう。その3兄弟も一旦巣立ったならば、普通には直ちに他人への道を辿り始めるのだろう。
- NHK生きもの紀行で四万十川に住むカワセミの映像を見せたことがある。カワセミ科の鳥は日本には3種いて、カワセミ、ヤマセミ、アカショウビンである。カワセミとヤマセミは日本から移動しないが、アカショウビンは渡り鳥だそうだ。カワセミとヤマセミがお魚だけを餌にする口の綺麗な鳥であるのに対し、アカショウビンは何でもこいである。画面に映った食物は蛇、蜥蜴、蛙、蝉、その他の昆虫。アカショウビンの夫婦は3羽の雛を育てていた。
- 親鳥が運ぶ餌を3羽が奪い合う。だんご三兄弟の歌詞にあるような微笑ましさは全くない。全くの弱肉強食式で、親が帰ると口を巣入口一杯に広げるやつはいつも決まっている。あとの2羽は嘴が見えるかどうかの場所で口を開けている。しかし特に三番目は腹立たしいほど弱々しい。親は自己主張の強いやつばかりに餌を与える。自然の掟は厳しいものである。同じ生きもの紀行シリーズのどこかで、カワセミではないが、十分餌を貰えなかった幼鳥が飢えて死ぬ映像を見せていた。幸いにこの三兄弟は三番目の巣立ちがやや遅れた程度で済んだ。食料十分の環境のお陰で、飽食の兄2羽が見せる隙に、食を得たのだろう。弱肉強食は自由競争の基本である。忠誠心とか孝心とか、年功序列とか終身雇用とか、過去にそれなりに弱者の福祉厚生に有効に機能していた秩序を、我々は潰してしまった。その後にやってきた「あこがれ」の自由主義実力主義の本当の顔を知って、おののいている人々がたくさんいる。過去の制度で若い時代に十分奉仕した人々が、報われねばならぬ歳になったのに報われない。弱肉強食が世界の潮流であるにせよ、先手先手で福祉厚生の隙間を補う手だてが打てるかどうかが、社会の値打ちを決めていると思える。
- だんご三兄弟が流行りだしてから、串に何個刺してあるかが気になりだした。歌のおこぼれに与ろうと最近売り出した団子はみんな3個入っている。然しそれまでのだんごは4個の場合が多いようだ。昔はだんごはお寺やお宮の門前の休息所でよく見かけた。然し何個だったか思い出そうとしても思い出せない。たまたま去年の時代劇ビデオを見た。舞台は江戸の下町である。門前の茶店でだんごを喰っている。一串3個のだんごだった。結構一個が大きい。江戸時代の人は今の若者と違って顎が発達した大口だったから、一個の大きさも今より大きかったのかなと思案する。たまたまその団子を食っている人の屋号が大口屋であった。
('99/04/04)