古墳時代の花粉症


千葉県立中央博物館に行った。「消えゆく松林と人々」というミュジアムトークを拝聴する。あまり生徒数は多くなかったが活発に質問が飛び交い、講師のお話は30分の予定が2時間になってしまった。貝塚を掘ると(貝塚でなくてもよいだろうが)花粉の堆積が見られる。人間の生活遺跡としての貝塚に自然環境としての花粉の堆積を重ねてみると、人が住むようになってから周囲の植生の変化を追うことが出来る。年層はC14放射性同位元素により同定できる。誤差は100年程度だという。
加曽利貝塚は1300~1400年前から始まる。もう古墳時代だから貝塚=弥生時代住居跡の図式からはちょっとずれている。人が住むようになって周囲の植生は随分変わった。全般に花粉の量が少なくなったのは当然として、松は増加する。植林されるのである。一般には弥生時代に人が植林した結果と思っていたが、関東では随分遅くに出現する。以来里山としての管理を放棄する戦後までの間、松は我々と共生してきた。里山になるまでの自然林は杉を代表とする花粉の多い土地で、開拓当初の古代人は春は花粉症で悩んだことだろう。
抗原であるアレルゲンが体内にはいると免疫系が活動を始める。リンパ球のヘルパーT細胞の指図で、同じくリンパ球のB細胞が抗体の免疫グロブリンIgEを放出。IgEはマスト細胞の表面のレセプターにくっつく。アレルゲンがマスト細胞のIgEにぶつかると2つ纏めて架橋構造にしてしまう場合がある。するとマスト細胞が壊れてヒスタミンを放出する。これが粘膜を刺激するのが花粉症だという。IgEの制御システム、IgEの化学構造などで花粉症が出たり出なかったり。だから遺伝性がある。太古の祖先の贈り物だから現代から過去を推測できるわけだ。
アレルギーの一つだけれど、主として粘膜に症状が出るのは、マスト細胞がその付近につまり体内器官表面に偏在するため。マスト細胞が偏在するのはそもそも人間の回虫対策だそうだ。今は回虫が居らんので、マスト細胞は実力を発揮する場がない。いつも無りょうをかこっているから、花粉相手に大げさに無駄で有害な戦をする余裕がたっぷりなのだ。古代人は回虫うようよの環境だし、花粉の作用を増大させるストレス、ジーゼル排気ガス、農薬、食物添加剤いずれもゼロないし極小だから、花粉が大量だったと云うマイナス因子だけで、古代人に過大の同情を寄せることは出来ぬ。
主題とは外れるがミュジアムトークの続きを書いておこう。松は荒れ地でも育つ。しかし日照が悪いと照葉林に遷移してしまう。しょっちゅう手入れが必要で、松の環境を整える人間が必要である。松枯れ原因には松食い虫が有名であるが、その実はマツノマダラカミキリとマツノザイセンチュウだそうである。仮導管から水が吸い上げられるのを妨害する結果だという。環境放置により生育条件を悪くした松は弱っているからやられやすい。このセンチュウとカミキリには生育北限があるらしく今のところ青森までである。温暖化で今まで無事であったロシアの松も危なくなっているそうな。なおこれらの害虫はアメリカから防疫の目を盗んでやってきたそうである。アメリカにはこれらの害虫に強い松が現に生育しているという。何かアメリカ外交を代表しているような害虫どもである。

('99/03/26)