木華開耶姫


コノハナサクヤヒメと読む。記紀の神話中の白眉天孫降臨の中に出てくるニニギノミコトの結婚相手である。高千穂に降臨したミコトは土地の神大山祇神の二人の娘と婚することなるが、醜い姉を帰し妹と結婚する。大山祇神社はもちろんこの大山祇(積)神を祀る。別子銅山の守護神だった。後世では、記紀とは離れて、大山祇神は戦の神になった。国宝の甲冑の7-8割が大三島の大山祇神社にあるという。何故四国の片田舎にあるのかと思っていたが、神話から云ったら当然の場所であった。はかなく美しい姫は永遠には生きられない人間を象徴する。姉を妻としておれば永久の命を授かったのに。これは千葉県立美術館の副館長さんが神話に対する説明で付け加えて下さったお話である。
何とも人間臭く示唆に富んだ神話である。だが私らの世代は、ニニギノミコトの天孫降臨による万世一系の天皇という、天皇神格化の道具としてしか神話を教わらなかった。小学校当時の国民学校生徒であった頃である。敗戦後は日本の神話は一度も教育に現れなかった。ギリシャ神話や旧約聖書の神話は多少出てきたように思う。歳を取ってから古典現代訳シリーズの出版があったときに記紀を読み返すことが出来た。だが説明を頂くまで木華開耶姫の物語は記憶から退いていた。
千葉県立美術館の収蔵品の中で私が最も好きな絵の一つが「木華開耶姫」である。石井林響(いしいりんきょう)と言う日本画家の1906年の作品である。遠近法が取り入れられていると説明された。姫は薄い絹地の布の衣服で髪に草花を付け胸に管玉の飾りを垂らしている。清楚そのものの雰囲気を漂わす。尊は幅広い肩に背丈も高く弓を腰に回し右手に金色の鏃の矢を持っている。腰に挿す太刀も黄金色で、堂々の武人ぶりである。遠くを見つめる姫に何か語らい掛けようとしている。尊の後ろに何人かの兵士の影がある。物語のクライマックスを画いている事がよく分かる画面である。神話説話や歴史書は事件の要点を伝えるのみで風景までは描写しない。日本画は元々要点しか画かないから、神話や歴史に取題した絵画には向いているはずである。日本の神話、歴史を洋画で画いた作品を私は知らない。
何度も眺めながらこう思った。今の小学生は日本の神話をどれほど学び知っているのだろうと。民族の起源に関わる神話はどの国でも大切に扱う。神話は神話として、科学的には起こり得なくても、その意味する民族の心意気を重視する。国民のアイデンティティはそんなところから芽を伸ばす。子孫に美田美林を残すどころか、刹那の議席を保ちたいがために将来の子孫に国債の大借金を残す政治に、いい加減にピリオドを打ちたい。そのためにはどうしても民族の求心力を取り戻さねばならぬ。

('99/02/07)