雪の白川郷


格安のバスツアーを見つけては参加する。昔は旅の醍醐味は手作りにあると思っていたが、今は集合場所に間に合えばあとはすべてお任せの便利なツアーが気に入っている。見知らぬ人たちとの団体行動になるから、時には時間にルーズな人、バス中で傍若無人の人と一緒になって、ガッカリすることもあるが、最近ではそんな思いは殆どしたことがない。平均してツアーマナーが良くなった。
この冬大雪は日本列島に今までに2回やってきた。その最初の大雪の直後が我々のツアー日であった。NHK天気予報では大雪の時は代表的地域の積雪映像を写し出すが、白川郷が時々顔を出す。2回目の大雪では1.8mだったと云う。豪雪地帯なのである。高山からバスはスノータイヤにチェーンを巻いて走った。道の雪は除雪車がきれいに片づけて呉れている。だが道がいてている。国道158号線156号線を通る車は疎らだった。この道に平行して山中に高速道路が建設中だった。無駄遣いをしているなあと思った。
重文の合掌造り和田家を見学する。村一番の大型家屋で、和田家は庄屋の家系である。今は年老いた夫婦が住むだけだが、昔は30人40人の大家族がこの家屋に住んだという。家長絶対制で長男だけが嫁を取り家を継ぐ。残りは部屋住で正式の嫁はなく終生長男夫婦のやっかいになる。この制度は明治の終わり頃まで続いたという。鎖国時代の社会の縮図のようなものだったのだろう。生産力にたいして人口はもう飽和状態だったら口数を何としても一定にせねばならぬ。そのためには無慈悲とか封建とか云っておれない。今の世界はマルサスの素朴な理論を地で行く国が結構多い。彼らから始まる世界的な人口爆発と食糧のアンバランスの、血を見ないで得ることの出来る唯一の解決法として、こんな制度に人間を退化させる日が来ないとは限らないと思う。
和田家の二階三階は養蚕の作業場に使われていた。間仕切りがない大板間である。一階の囲炉裏の真上は簀の子張りで囲炉裏からの暖気が上階に立ち上がるように出来ている。何年もの煤が構造材にくっついて黒ペンキを塗ったように黒光りしている。中二階が物置になっている。養蚕と合掌造りとでは歴史的には多分後者の方が古いだろう。養蚕が来るまでの二階三階はどんな使い方だったのだろう。合掌造りは大きな家だが、一階だけで30人40人が住むにはちょっと狭い。大家族制度の時は養蚕の比重はずっと小さかったのではないか。(「しなの川」(由美かおる主演、野村芳太郎監督、昭和47年芸術祭参加作品)に養蚕、製糸、糸染めを業とする絹糸農家の昭和初年頃の風景があった。夏の富士山何合目かの山小屋ほどではないが、使用人は一畳に一人以上の雑魚寝だった。こんな感覚だったら一階だけで40人ぐらいは生活できるとも思った。(2/10追記))
高山市には飛騨民族村があって御母衣ダムで沈む民家などを移築し公開している。もう20年ほど昔に子供を連れて見学に行った。合掌造りの家も何軒かあったように記憶する。大きな仏壇が座っていた。和田家も同様だった。一つ根本的に違う点は、和田家の仏壇は掃除が行き届き仏具拵えなどピカピカだったことである。祖先を祭る人がおるかおらないかが、こんなに印象を変えるのだと改めて思う。和田家に展示されている調度品は殆どが漆器だが、生活に実際に使われているもののようにやはり光沢を保っていた。10年ほど前に行った大内宿という古い宿場でもやっぱり昔の調度品を展示していたが、所有者はもう土地から離れていて、くすんで生気をなくした品だった。漆器は手入れと慈しみが大切である。
白川郷で五平餅を食う。平たく伸ばした握り飯に串を刺し、味噌仕立てのたれを付けて喰うのである。現地の熱々のはなかなか美味い。百貨店の特産市で来るものとは違っている。ついでながらみたらし団子も同様で、高山の橋元の屋台で食った団子は結構いける味だった。地酒はしかし地酒の味だった。燗をしたら香りが泥臭かった。
関東からだと一泊のバスツアーはここらあたりまでが限度である。これ以上遠距離になるといくら風景が変わってもバスの中で退屈してしまう。しょっちゅうのトイレ休憩と称する土産物屋立ち寄りも嫌気が差し出す。高山の何とか云う温泉付きリゾートホテルに泊まった今回の旅行は、今までの格安ツアーの中では上の部に入る旅であった。



高山冬−みたらし団子の屋台('99/01/29)


('99/02/06)