歴史と伝統への自信回復を


バブル以降一向に浮上する気配がない日本の景気を見ると、我々もついつい悲観論衰退論に傾く。景気が循環するのは世界規模で見たときの話で、こと日本局地ではもう起こり得ないのではないかと。私のカンでは小渕内閣の超積極的経済振興策でも予算の続く間だけは浮上してもやがて又沈み始め、国家は借金の山に埋まり、その時はもう財政的には打つ手が無くなっているように思う。いささか堅い本題は、毎日新聞 H11.1.17に載った中西輝政京大教授の日本再生の方策に関する論題である。中西先生は衰退論者で私の感覚にマッチしている。
スポーツで全く同じに練習した大きい人と小さい人を競り合わせたら、統計的にはきっと大きい人が勝つ。同じ文化的背景で経済競争すれば、日本がアメリカに勝つチャンスはいたって少ない。バブル期までは我々には伝統的文化が色濃く残っていた。会社生活を見てみよう。例えば帰属意識とか忠誠心がある。滅多なことでは転職などあり得なかったし、転職がその人の箔になることはなかった。働き蜂と皮肉られながらも、残業残業で組織の一歯車として円滑に回転することに努力した。家庭にはそんな男を安堵させる雰囲気があった。人相互にそこはかとはなく信頼関係があって、効率よく事を進めることが出来た。年功序列とか男尊女卑のような感覚が謙譲の美徳意識と共に維持されていて、事を決する際の優先順位に暗黙の了解があった。スムースに事を運ぶ基盤になっていた。OBになって始めて気付いたのであるが、終身雇用とは定年までの話ではなく、何と死ぬまで縁が続く雇用形態なのである。
上記は良くも悪くも日本の伝統文化の一部で戦後40年は有効に機能していたのに、今日この頃になって急激に色褪せ始めた。文化とはまとめて一つの価値が出る。なかなかよいとこ取りは出来ない。昔からの食事の作法が消え、和楽が周囲の何処にも響かなくなり、神棚仏壇が消滅すると共に、フェノールフタリンの赤色が酸性ですっと消えるように遠のいた。帰属意識、忠誠心が薄らぐのに合わせるように会社では上司が部下の面倒を見なくなった。学校でも学生と先生の結びつきは細くなって、人格の教導に影響を及ぼせる先生は希になった。カウンセラーが学校に設置されるようになったが、悩みは仲間内のあるいは気楽に言える相手とだけの相談事で終わり、頭は幼いままに体だけ大きくなった大人を生むようになった。先生の殺傷、ケイタイを使った睡眠強盗事件など、信じられぬ事件が相次ぐのも、大人になれぬ若者の増加を意味している。もっと一般的に、今個人は昔なら当然に手に入った価値ある繋がりに縁遠くなり、自分を自分一人で守らねばならぬ世の中になって、我が身のとんでもない危うさに気付き始めている。
今向田邦子が見直されているという。向田邦子の著作品は昭和のまだ伝統的日本が各家庭にあった時代のお話である。父は大黒柱であり、母を中心とする家庭は団欒に満ちていた。「阿修羅のごとく」というTV劇は彼女の代表作と思う。加藤治子、八千草薫、風吹ジュンが演じる三姉妹が中心のそれぞれの本音と建て前を使い分けた軽妙な作品である。また、「あ・うん」も戦争ブームの成金と堅いサラリーマンの家庭を対比させた暖かい劇であった。
では、中西先生の云うように歴史と伝統への自信回復が出来ようか。日本再生への処方箋にしては心細い方針である。然し元々体力的に優位にあり、自由競争の旗印の下に世界中の知能を吸収するシステムを備えたアメリカ人と競争するには、民族として少々の自由を犠牲にしても団結力に勝る独自性を維持する以外に手がないだろう。国語の時間の半分は和学に費やすべきである。小学生は日本のおとぎ話から学び始めるべきである。

('99/02/01)