国際金融の現場


一気に読める本である。著者は榊原英資と言う今現役の大蔵省財務官で、新聞紙上で彼の談話を見、かねて注目していた切れ味鋭い異色の官僚である。図表一切無しの、つまり客観的説明抜きの、ただただ俺についてこい式の主張だから一気に読めるのである。前にこのホームページに載せた「二十世紀をどう見るか」(野田宣雄)はこの逆で、遅々として読み進まなかったのと対照的である。まあ軽い本である。
実物経済の15倍からの外国為替取引があるという。この金融資本は、コンピュータネットワークが開いたグローバリゼーションに載って、新らしい有利な投資先を目指して一瞬に殺到しあるいは一瞬に逃避する。殺到されたところではバブルを生じ、逃避されたところにはバブルがはじける。この浮気ものはちょっとした材料ですぐ暴走を始める。制御工学や物理学でお馴染みの用語を使って、「ポジティブフィードバックが掛かりやすく、すぐオーバーシュートする」性質だと説明している。とてもじゃないが、マクロ経済学の手に負える相手ではないと。著者はミシガン大学経済学博士である。
「マネー革命」というNHKスペシアルがあった。新しい金融資本の経済学を担った学者は次々にノーベル賞の栄誉に輝いた。でも驚いたのは彼らの理論の土台に日本の数学があったことである。伊藤京大名誉教授の理論だと云う。聞いたことのない方なので、辞書を引いてみたが出てこなかった。高木貞治はあったから、世俗の著名人ではないらしい。それから江戸時代大阪の米相場の先物買いがこのマネーゲームの原型であると知った。私は門外漢もいいところだから本当のところは分からないが、これだけの土台がある日本なのに、山一が潰れたときトレーダーとして外資系に再就職が出来た人が一人もいなかったのはどういうことかと思う。半数以上がマルクス派と言われた日本エコノミストたちのドグマ以外何も知ろうとしない体質のツケではないか。私は学生時代に時の滝川総長が「いつまでもマルクスを守っている時代でない」と発言し猛反発を受けた事件を思い出す。総じて日本の文系は、理系に比べて勉強しないと云うのが私の40年近い現役時代を振り返っての印象である。
榊原博士の苛立ちは、このオーバーシュートしやすい危ない金融システムに対し、日本のマスコミや現場を知らないエコノミストたちに理解力が無い点にある。彼らは現在の日本のシステム破壊に熱心である。然し破壊のあとに来る金融界に対する信頼性の揺らぎ、不信感に全く配慮しない。主要銀行が潰れたら日本経済は間違いなく破綻を迎え、世界恐慌の引き金を引くこととなる。「尻の青い」連中の頼りは欧米の範である。何かにつけて彼らの「ため」にする発言を「外圧」と称する隠れ蓑を使って書き立てる。要するに日本システム広く云うなら日本文化に対する彼らの評価は、その国の人とは思えぬほど異常に低いのである。確かに、私も新聞を読んでいてイライラすることがある。たとえば国際会議で、明らかにその国の国益を考えての発言なのに、アメリカの発言ばかりが目に付く記事になっていて、対応する日本の発言は全くおざなりにしか記載されていないことが多い。
へりくだって謙虚にものを云う姿勢は日本人の美徳であった。だが、戦後半世紀の間にこの謙虚さが本体になって自虐的マゾ的卑屈新聞を作ってしまった。私は研究屋として、あるいは技術屋として早くから世界との競争の渦の中にいた。喋る英語を学ばなかった年層なので、専ら書くだけだけれども、なかなか採用してくれないので有名な一流誌にともかく出したものは全部採って貰った。少し拡大して、私は理系にはあるいは真面目に競争するものにはコンプレックスがないと思っている。
榊原博士は何が現在の反体制一本槍の新聞界を作ったのかという解析をしている。まあ過去はどうあれ、これからは標準とか見本を持たぬ、自分の道を自分で切り開かねばならぬ先進国日本なのだから、全員前向き参加の、足を引っ張るだけでない言論界に成長できるかどうかが我が国の運命のかなりの割合を握っていると言える。

('98/12/18)