職人尽絵


今月から千葉県立中央博物館で特別展「職の風景」が開かれている。10/24にはそこの研究員による展示品解説、10/25には東京国立博物館美術課絵画室長による記念講演があった。
映画「平家物語」の中で少年清盛が、落魄した公家の子供が自分の鶏を抱いてその道のプロに闘鶏の戦いを挑む姿に惹かれるシーンがある。闘鶏の場面はおそらく原作の吉川英治の新平家物語に有るのだろう。映画が天然色になってしばらくしてからの作品だからずいぶん昔だが、一世の英雄の子供の頃のエピソードとして印象深かった。しかし闘鶏は全くの作者の創作と思っていた。だが、今度の展示品の中に闘鶏を写した絵巻物があったのである。闘っている2羽を円く取り囲んだ見物人と賭師に胴元たち。賭師は自前の鶏を籠などに入れて持ち込んでいる。逃げ出した鶏を追っかけているものもいる。どの鶏も尻尾は長く勇ましい風貌である。吉川英治はきっとこの絵を小説の一節に描写したのだ。
和蝋燭は愛媛の内子がもっとも有名である。明治に入ってからの錦絵に蝋燭の手工業を写したものがあった。生産現場はもう覚えていないが、関東の山地である。私は蝋の絞り機に注目した。内子へは何度も足を運び、資料館の実物大の絞り機モデルも見ている。この二つがよく似ているのである。蝋をハゼの実から絞るのに内子では楔による梃子を応用していたが、この関東の絞り機も全く同様であった。同根なのか偶然か技術の系譜を研究すればおもしろいだろう。
展示で関心を引いたもう一つは扇の制作である。時代も下ると個人単位ではなく職人を抱えた親方が指揮するマニュファクチャーになる。扇の工程は読み取り易い。それが今そごうの京都物産展で実演をやっている作り方とずれているように感じたので、女性の説明員に聞いてみた。室町時代の頃から二重の扇面の中間に骨の竹を挟み込むというやり方だと分かった。絵はvideoのように動かないから私に分からなかっただけで、今の京都の職人も基本的には室町時代と同じやり方と言うことだった。中博の職員全般にいえることであるが、とにかく親切である。聞かれたことにともかく答えようとする。知らんとか俺の担当じゃないと突き放さない。窓口業務のお役人諸君は一度はここで訓練してもらうとよい。
先生方のお話は故事来歴的であった。職人に関する一巻の絵巻物が他の資料と織りなす絡み合いがいろいろに解きほぐされておもしろかった。ここらはもう専門家の領域であるとつくづく感じた。ただ私の素人的興味は技術技能の伝承と変化進歩というあたりにもあるのでちょっと物足りなかった。黒沢明監督追悼で久しぶりに見た「羅生門」の巫女の口寄せがどれほど本物なのか。闘鶏の絵巻にも二人も巫女が描かれていたが、羅生門の巫女とはちょっと違っているように見えた。巫女も職人に入っているなら、こんな興味を持ってもいいのではないだろうか。
青葉の森公園を散歩する。生態園の近くに来てスズメバチのお話を聞いたことを思い出した。マラソンの25人が刺されて大騒動になったニュースを聞いたあとだからである。あのときの話ではオオスズメバチだと命に関わるが、それ以外では別条無いという話であった。その25人のうち4人が入院したが、死んだという報道は聞いていない。ご説明通りであった。
ぐるっと回って梅園に行く。休憩所に自転車を引き込んだ3人がぼんやり座っている。この前出かけたときもそうであった。この3人は浮浪者らしい。寒くなるのにホームレスは気の毒とも思ったが、ここに限らず、あらゆる公園の屋根付きの休憩所便所がだんだん浮浪者のねぐらになりだしているのは、はなはだ目障りである。昔から失業はあった。もっとひどい不況もあった。だが、浮浪者は目立たなかった。身内が支える、またその恩を返す、恥を道徳とするそんな日本文化がいわゆる社会保障体制として厳然として存在していた結果であると思う。あの文化を「捨てなきゃよかったに」と思うのは私だけか。勇ましく叩いてくれたマスコミ諸氏のご意見を聞きたい。

('98/11/05)