生命防衛線


侍魂を今日に受け継いでいる一番の集団と言えば、自衛隊だと誰も常識的に思うだろう。伝統の武道、剣道に柔道空手を学ぶ人々にも侍の心が伝承されているかもしれない。だが、道場とか学校の運動部は独立性が強く集団としての単位は小さいから、つまり点だから指導者が途切れればそれまでである。
私が居った学校でも、宿直の夜に武道場を覗くと、道具その他が散らかし放題で、稽古そのものはともかく、侍時代も遠くなったという感慨に襲われたことを思い出す。だから自衛隊ぐらいかと思っていた。企業時代に自衛隊出身の中途採用者をいろいろ見たがまずは真面目だったし、学生の頃、函館で、はぐれた友達を捜していたら自発的に協力してくれた自衛隊員の想い出もあったので、私はこの年層にしては自衛隊に好意的であった。
捕物帳犯科帳と江戸時代の警察物語が書店にTVドラマに大繁盛である。私も好きだからしょっちゅうお付き合いしている。お付き合いにはそれぞれの工夫があろうが、私は江戸時代の地図(切絵図)を参考にすることとしている。江戸は侍の町で、地図一杯に身分に応じた敷地の武家屋敷が建ち並ぶ。町民の家など2-3割である。その町が明治維新で全くの空き家地帯になった。禄を離れた武士が「官舎」を引き渡し、町家に移り住んだためである。今なら役宅はともかく、私宅は幕府から貰ったにせよ何百年も昔なのだから、最小限居住権はあると主張するだろう。公私のけじめについての厳格な道義心が、侍の一面であったことは世に知られた事実である。
防衛品の調達に「自衛隊村」だけに通用する身勝手な取引が明るみに出た。江戸時代だって汚職に賄賂は皆無ではない。問題はその受け止め方である。庁のトップが検察に引っ張られその容疑内容がはっきりしたとき、それぐらいのことでと言う反応と、庁ぐるみで隠そうとする隠蔽工作がやりきれないのである。通産省に大蔵省にと大型認許可権限監査権限を持つ中央官庁から黒い疑惑がわき出てきたとき、「東大村」正確には「東大法学部村」では(「ただ酒は飲むな」の)心を教えない鍛えないと辛口の評論をした人が居た。()内は小生卒業時の京大滝川総長の訓示を私が書き入れた。防衛庁は「東大村」だがむしろ「防衛大村」である。侍である。だからの期待は空しかった。
先進国の一角にあると言っても、我が国の兵器産業は一般には超一流ではない。宇宙産業と同様に政府の後押しがなければ萎びてしまう。講和条約後やっと日本も航空機産業に手を付けて良いこととなったとき、政府は平和利用も含め育成策を種々講じたが、遂に戦後の零戦は育たなかった。どだい企業が首を縦に振らなかった。戦後の白紙の長さを考えたら民間の判断の方が正しかったと思う。
しかし、我が国の電子産業は民需については世界の先端を行く。何とか紐を付けておけばいざというときにその軍需利用にモノを云うであろう。その電子産業のトップを行くNECに紐を付けねばならぬ。今でも電力原子力は御三社という。取り仕切り人である。その一社に頼めばあらゆるネットワークから何でも何とかなってくる。基幹産業養育の100年からの歴史がある。これに習おう。まあそんなところかな。
育成保護にはしっかりした理由がある。これを、防衛庁の手練手管の範疇に入れずに、国会で正々堂々真っ正面から取り上げて欲しいのである。多少回りくどいが、国会議員に育成に関する意識を持たせる方が国家千年の計としてははるかに正論である。タイミングこそ命の金融問題で、重箱の隅の利害関係の対立で堂々巡りして、諸外国を苛立たせては喜んでいるだけが国会議員の役目ではない。

('98/10/12)