永平寺


風の盆見物の帰り道で永平寺を訪ねる。二度目である。寺院に来て宗教の雰囲気を感じるのは久しぶり。修業僧が案内に立つ。案内も修業の一つという。帽子を取れと注意を受けるもの数名。和室で仏のいる部屋が続くのに帽子を被ったままでいるやつが結構居たのである。この手の連中は他人の家を訪問しても帽子を取らぬのだろうか。
修業僧の数200人、外人も僧服で修業している。僧堂には僧たちが集まり、読経の最中であった。山門は最も古いと云っても250年前の建立である。座主と言うのか法主というのか管長なのか知らないが曹洞宗大本山を治める御一人以外は、修業に入る前と出るときの二回しかこの山門をくぐることは出来ないと云う。門から出るなと注意されているのに、記念写真ならよかろうとでも思ったのか、ちょろちょろ門を出るのが居て、ふたたび案内僧が注意する。二度同じ言葉を聞くのは不愉快であった。
雪かきの写真があり、瓦の痛みが激しいので寄付を募ると出ていた。応分の寄付を行う。丁寧に合唱されたので幾分どぎまぎしながら礼を返す。そういえば近頃は会釈程度の礼しかしたことがない。お返しに2-3の印刷物を渡された。その中に教典集があった。般若心経は四国八十八ヶ所を巡礼したときにあちこちで参拝客が唱えるのを聞いたが、この教典集にも入っていた。色即是空・空即是色の有名な言葉の入ったお経である。真言宗にも曹洞宗にも共通のお経と云うことはその他の宗派でも広く唱えられる教典なのか。
長いバス旅行であった。あなた任せの旅もいいものである。正味8時間ぐらいは走っていた。文字通り姦しい一団が居てうんざりしたが、その一団も自身を自覚していたようで、別れ際に迷惑を掛けたと一人一人に挨拶をして帰っていった。不思議なもので、挨拶されると気持ちも和らいで許してしまう。ごめんなさいが云えぬ人が増えている。寸足らずの言葉でやり過ごす失語族も増えているそうだ。うっかり謝るとそれを言質に賠償させられるケースもあるが、相手の立場に配慮した多めの発言は、大抵はリップサービスと判っていても、穏やかな雰囲気を保つのに有効である。

('98/09/16)