寒川神社大祭


JR本千葉駅西寄りに寒川(さむかわ)神社がある。8/20の夏祭りを見物に出掛けた。ポスターには、鳥居の前に護岸の石積みがあり、御輿でも載っているのであろう、一艘の和船が祭礼の人々に見送られながら船出しようとしている図が画かれている。今鳥居は県道に面している。鳥居の位置が変わっていないなら、ここから先は埋め立て地なのだろう。
御神輿がゆく。時折地面すれすれに下ろしてはヤッと一杯に持ち上げ周囲の喝采を貰う。その前をトラックに乗ったお囃子がゆく。十数人で、笛太鼓。鉦は耳に入らなかった。スピーカーからも放送するので紛らわしい。トラックには形ばかりの屋台を乗せていた。後尾でひょっとこのお面を被った踊り手が、手踊りを見せる。昔勤めていた会社にその方の名手が居て、宴会がある度に踊って見せたのを思い出すが、千葉から市原に掛けて神社のお祭りに、ひょっとこ踊りは割とポピュラーな出し物であったまたはあるらしい。おかめは出なかった。トラックの前を町名を記した提灯がゆく。神明町、港町、寒川町。産土神にいただく町は三つである。昔海底だった川崎町つまり川鉄の姿はなかった。大太鼓は港町あたりに一基。片側を二人で叩く。
港町の地名は埋め立て前が港だったことを示す。都川河口である。とっくの昔に港の機能はなくなったのだろうが、名前がそのままなのはよい。昔古河を散策したとき、代官町とか大工町とか城下町を偲ばせる地名が、大手町とか何とかと改名されていて、それでなくても歴史遺産の少ない町なのにとがっかりした覚えがある。
神社は狭い境内だった。拝殿と本殿は繋がっている。参拝を終えてから、一巡しようとしたが、隣の建物が塞いでいるので不可能だった。拝殿脇に祠とか灯籠の残骸それから薪程度に寸法を揃えた木の束が山積みしてあった。社域を縮めでもしたのか。玉垣の寄進者を、刻まれた文字から見ると、漁業関係者に魚屋などが結構多い。今年のお祭りの寄進者名簿は別に張り出されていて、もう漁業関係はなく川崎製鉄が五万円で最大だった。川鉄の寮とか社宅とかがあって、諏訪や成田なんかのように、企業連が祭に一役買うような、顔の見える参画をする場合は寄付も納得できるが、ここの祭には川鉄の屋台も提灯も担ぎ手もなかった。総会屋との癒着なんて、こんな寄付行為を出す方も出させる方も慣習と諦めて議論をしないところに原因があるのだろう。
鳥居の脇に仮の舞台が設置されていた。夕方から何かの演技が行われるのであろう。拝殿までは屋台店がぎっしり繋がっていた。と言っても狭いところなので、全部で十数軒程度だった。

('98/08/22)