
- 皮がからっと焼けていて、歯に心地よい鰻重を出す店があった。四国愛媛菊間町の海岸沿い国道のトンネル近くの店である。ウナギもいろいろ食ったが、一番気に入っていたのはそこのウナギである。関東に戻ってからも時折ウナギを食うが、あんな風に焼くウナギ屋はまだ見つからない。
- 丑の日は外房の一宮町で知った。こんな小さな町にもあちこちに紙に墨書のウナギの広告が出ている。帰り道で蒲焼きを買う。浜松ものと中国ものと二通り買った。焼き上がりの色が違うのは買うときから判っていたが、食ってみるとずいぶん口当たりが違う。普段は中国ものを食っているから、それに馴れてしまったのか、浜松もののこりこりした歯当たりが異質に感じられる。はて昔、年に一度あるかないかのご馳走だった頃のウナギは、もちろん国産だったが、こんなに皮がこりこりしていたかなと過去を振り返るが、味覚の記憶など消えて無くなっている。嗅覚だと突然幼い日の記憶の引き金となったりして、頭の中に保持されていることに気付くこともあるが、味覚それも歯ごたえの絡んだまあ歯覚とも云うべき味の感覚にはそんな機能は薄いのか。
- 息子はこれはウナギかと云った顔で浜松ものを敬遠する。この子の貌相は明らかに現代を反映している。我々に比べれば、お公家顔なのである。我々世代ほどに、歯を磨り減らすような食い物に慣れ親しんで育っていない。口が退化して三角なのである。だから柔らかい方へ柔らかい方へ好みが向く。中食と書いてなかしょくと読むそうである。今急成長だそうだ。親も妻も弁当を作らない。中食(昼飯)時には夕食をスーパーか百貨店の弁当で済ます。外食と家庭内食事の中間だからなかしょくと言うのだそうな。本人が選択するのだから歯ごたえのある方に向くはずがない。近頃時代劇がグンと減ったのは、三角面では骨のある昔人は演じられぬせいではないかと私は思っている。
- 夜NHKテレビが浜松ウナギ養殖の衰勢を報じた。利根川川縁のウナギ屋が天然ウナギでないとお断りを出してもう何年目か、浜松も駄目になったらついに丑の日は中国なしには迎えられぬ民俗行事になりそうだ。
- 鰻は皮(川)である。
('98/08/01)