
- 小野川を遡って伊能忠敬記念館にはいる。昔は入館無料だったが、旧宅の対岸に和風コンクリート建てに建て替え、500円を徴収した。忠敬が使った測量機器の展示、日本古図、世界地図の中の日本などを見せる。天文を学び、日食月食から経度差を計った。経度はしかし時計を使う関係と測定可能の機会の少なさのためにそう成功とは云えない精度だそうだ。緯度は北極星から地球を球として求めた。その1度は当時としては世界に通用する正確さであったという。
- 忠敬の測量学と技術は江戸の蘭学者に学んだものである。中国経由の知識も多少はある。測量器械は全部手作りだそうだが、立派な仕上がりである。長さの基準器まで作らなければならなかった。鎖国状態にありながら、学ぼうと思えば世界最高水準の技術まで江戸の日本人学者から手に入れることが出来る。明治に入ってスムースに開国と産業革命を手に入れた我が国の基礎がこんなところにも見え隠れする。三角数表らしい本が展示の中にあった。まだアラビア数字ではなかったように思う。今年の千葉県中央博物館講演予定に伊能忠敬があるから、アラビア数字ローマ字などの浸透の程度も聞けるであろう。
- 京都に土御門家が天文暦学の家として存在したが、日食予報の失敗で、西洋暦学つまりは地動説が覇権を握った。宗教の背景がないだけ、我が国には現実で勝負できたのであろう。第5回測量から幕府ご用となったという。北海道は国後島まで入っている。実地に測量したらしく、測量図に中心になった山が別書きされていた。北部は間宮林蔵の測量値を使ったという。樺太は北海道対岸のごく一部までであった。国後以東の千島は書いてない。九州南端は奄美列島の屋久島あたりまで、対馬は画かれている。江戸中期18世紀後半あたりでの日本領土意識がそのぐらいであったことになる。
- さて夏祭り。佐原は小野川を挟んで東が本宿西が新宿で、夏祭りは本宿、秋祭りは新宿の祭である。次の日新聞で昨日の参議院選挙での投票率は佐原が千葉最低だと書かれていた。あれだけお祭りで浮かれているのだからさもありなん。そういえば小学校前を通ったが、人影がなかった。投票場があったはずである。
- 忠敬旧宅前から浄国寺前を利根川方向に歩くと囃子の音が聞こえだした。香取神社に向かう駅前の通りが繋がっている佐原市中の大通りに出る。祭礼の八坂神社を中心に何台かの山車が行き来する。手踊りも披露するが新宿のお祭りほどには華やかでないし回数も少ない。それでも拍子木でチョーンと合図が出れば踊り始めるのも新宿祭と同じである。八坂神社はさして広くないが、空地一杯に出店が店を広げている。勘定したら50軒ぐらいだった。歩行者天国になった道路にもたくさんの出店がある。全部で200軒くらいかな。お面、金魚すくい、プラスチックボールすくい、射的、ダート、たこ焼き、焼きそば、リンゴ飴、杏飴、バナナチョコ、ポプコーン、何でもある。目新しかったのは、鮎の串焼き、クレーブそれからレンコン型の天ぷら菓子(多分小麦粉の練り物の油揚げだろう)など。クレーブは最近商店街などでも見られる洋風お好み焼きである。和風のお好み焼きももちろん店を出していた。
- 赤煉瓦の旧三菱館は案内所になっていた。生ビールを飲んで、にぎわい広場の催しを見る。おらんだ楽隊というのがあった。時代祭の山国隊のような雰囲気である。ただ鉄砲や刀はなかった。旗は香取神宮の何とかで、どうも香取神宮の水上のお祭りの先導隊のようであった。笛は和式だが、大小の太鼓が洋風なのである。奏でる曲は時代祭よりももっと単純な和風であった。続いて観音神楽。観音とは神楽を保存している部落の名前で法界寺の方向にあるという。村の鎮守のお神楽だろうけれども、今は近所全部をここが訪れるらしい。かなりの年寄りに神楽の本来の所属を聞いたが知らなかった。この神楽は基本的には一人獅子である。ただし獅子の尻を被いの外で受け持つ一人が補佐につく。最後は全部で9人が入って獅子舞らしい踊りを見せた。松戸市立博物館でビデオで見た獅子舞とも違い、独自の雰囲気であった。
- ぼつぼつ戻ろうと小野川を川下へ移動する。川を平行2艘仕立ての佐原囃子が上ってくる。舟を竿で操るのが水郷馴染みの絣の作務衣に赤い帯のお姉さん。その横を山車がゆったりとした囃子を奏でながら帰って行く。途中で人形の神武天皇をせり上げた。巡行の時は道路をまたぐ電話線のために、幾分背を低くしていたのである。立ち上げると共に、外してあった弓を人形に持たせた。佐原は成田よりは電線の位置が高くまだ運行しやすいようだった。小雨がきて人形は合羽をかぶせてもらった。
('98/07/23)