ユダヤ人の歴史(その2)

第3章は「近世―スファラディームとアシュケナジーム」。
「流浪の民」はジプシーを唱った哀愁溢れるシューマンの名曲だが、ユダヤも、受動的であるにせよ、流浪の民というに相応しい。ジプシー(ロマ)は、インド北部のインド・アーリア人が起源のようで、約6世紀から7世紀にかけて、インドからペルシャを経てヨーロッパへと移動を始めた民という。ビゼーの「カルメン」を知って以来関心を持ち続けた。各国の定住化指導の下にアイデンティティを失いつつあるようだ。まことに「対称的」で、運命は端的に宗教とか移住性とかで決められたのか、折あれば比較研究してみたい。
近世での流浪はスペインからの追放が主要根源だ。スファラディームである。彼らは主にオランダ(ポルトガル経由もあった)やオスマン帝国に逃れた隠れユダヤ人を含む一群の人々だ。目指した国々は隆盛期にあり、金融業中心に商業運輸業などにネットワークと運営経営のK/Hを持つユダヤは必要な人材であった。移民だから在来民からは差別はされる。オリエントではその差別は伝統的に人頭税は多めに支払う程度であったから、ニーズの高いオスマン帝国に流れた人数は多かった。西欧社会と異なり幅広く職業を選ぶことが出来たのもその理由だ。ときおりユダヤの都市別人口が出てくるが、その時代による増減が在住民よりはかなり激しらしかったと推測できるので、私には、ジプシーほどでなくとも、ユダヤの移動性は民族の特性になっていたように思える。
このHPにはオスマン帝国に関する記述が結構多い(「現代イスラムの潮流」('02)、「ルーマニアの要塞教会」('06)、「十字軍物語」('12)、「オスマン・トルコ史」('19)、「ウクライナの歴史」('22)など)。拉致したキリスト教農村少年をイスラム教に改宗させ奴隷軍隊兵士に仕上げる。ユダヤ教徒との対応とは天地の開きがある。帝国は従属民を効率よくムスリムに仕えさせたのであろう。だが半自由の従属民は帝国の鏨が弛み劣勢になると、外国の梃子対象になってしまう。ウクライナからバルカン半島の独立運動の成功の影には、そんな梃子が用意されていたのだろう。
「ポーランド王国との邂逅―アシュケナジームの黄金時代」のアシュケナジームはドイツ系ユダヤ人を指す、黄金時代とは神聖ローマ帝国時代だ。既述の通り英仏とは異なりドイツではユダヤは追放されなかった。現在のユダヤ人は、8割と書いてあったか、このドイツ系だそうだ。
英語には御本家上流のキングイングリッシュがあるが、アメリカンもカナディアンもインディアンもある。私はジャパニーズイングリッシュ。留学で憶えた本場英語を得意げに使う人は理解できなくても、日本式の学校英語のままの英語はわりと判るというレベルだった。本書のユダヤ・ドイツ語とかユダヤ・スペイン語は、どの程度理解し合えるものか興味がある。書きぶりから想像すると、我らと違って、共通する単語はユダヤ聖典関連だけのように思える。Copilotくんもそんな返事をした。イスラエルの国語はヘブライ語だ。
超正統派50万は「律」に厳格に生きる黒服のユダヤ教徒で、彼らはイスラエルで今もユダヤ・ドイツ語を話すそうだ。このHPの「フィリッピン民族の祭典」('19)に、フィリッピンには「まだスペイン語を日常的に話す部落もある」と書いている。小笠原諸島にも白人系の血族が残っている。出自を頑なに守る例はユダヤに限らない。
ドイツのユダヤ人も15世紀になると迫害を受けるようになる。彼らをオスマン帝国と同じような理由でポーランドが受け皿になる。ポーランドには強大な王権が樹立されず、政治実権は貴族階級が支配した。ユダヤ人は貴族の領地農民に対する徴税吏の役目を果たすことが多かった。ポーランドが周辺強国に滅ぼされた時、ユダヤ人は支配階級の手先という位置づけで農民たちから迫害を受けることになる。16世紀のモスクワ大公国の成立が不安定性をさらに揺さぶった。
江戸時代の人ならともかく、我ら現代の凡人には、古来からの律法に従って、なぜとも云わずラビの言葉に従って淡々と生活する模範承継主義は想像がつかない。我らは仏典の中身よりも経典が山のようにあることがアリガタヤの対象であり、仏の姿を刻んだ像が具体的に天を想像させる安心立命の拠り所だ。御仏が現れて病を治したとか、錫杖で土地を叩くと温泉になったとか、信仰を支える寓話にことかかない。キリスト教にもたくさんの偶像が実在する。神道の祝詞よりも現人神の天皇の方が判りよい、民族とか文化には具体的な象徴がなければならない。お釈迦様も「色即是空、空即是色」とおっしゃる。偶像も思想に通じると教えている。ユダヤ教でも信仰の方便は許されるべきとする各様の運動が各方面で活動している。
第4章は「近代―改革・革命・暴力」。
ホロコーストの犠牲者は実に600万人。そのうち、ナチス・ドイツのユダヤ人犠牲者は16万人。高校世界史では、ナチスが国内のユダヤ人を政略の生け贄としてアウシュビッツに送ったような印象の話だった。違うのだ。最大の犠牲者はソ連のユダヤ人で300万人。東欧が多いが西欧でもかなりの犠牲者を出している。ヨーロッパにはこの大量殺人事件にいたる長い前段階があった。私はそんな言葉は知らなかったが、東欧ことにロシアでのユダヤ人に対する集団的暴力行為・ポグロムは、まさに野火のように19世紀には広く長期にわたっている。異質のマイノリティ~ユダヤが、マジョリティ~たいていはその国の農民の不満の捌け口にされた。
ユダヤがこの集団暴力に対して、武装して抵抗した例はゼロに近かったらしい。マジョリティが国民国家に生まれ変わり、国内では中世以来のユダヤ・コミュニティ内の自治は否定され、国民としての自覚を要求する。ユダヤである前にそこの国民であれ。ユダヤにはそれに応じる運動が、マジョリティたちとの同等扱いを期待する同化を願い、幅広く根気よく行われる。啓蒙主義(ハスカラ)はその流れの中の一つ。
一方では、確たるユダヤ国家を持てば、二級の流浪民族として扱われることもなくなろうし、暴力行為に対する睨みも期待できよう。シオニズムは、古代の出身地・パレスチナ地帯にイスラエルを樹立しようという運動である。ポグロム、ホロコーストへの当然の直接的対策は、安全な土地~ことにアメリカへの逃避だった。アメリカへのユダヤ移民の出身地はロシアが最大であるという。
ロシア革命のときの赤軍、白軍、ウクライナ民族独立運動軍へのユダヤたちの応接が記述されている。なにかにつけスケープゴート的にユダヤがポグロムにかかる。ウクライナ民兵は中でも残忍で、ポリシェビキ兵はまだましだったという。ポーランドは困難極まる立ち位置にいた。西から伝わってくる近代化にはついて行けない貴族―農奴体制のまま、富を失ってゆき、都市への流民が増す。ワルシャワのユダヤ人口は19世紀末には全人口の34%にもなっていた。独立を失った国民の怨嗟はポグロム行為となってユダヤに襲いかかり、既に落ちぶれていたユダヤはいっそう悲惨だった。ホロコーストのナチだけが犠牲の理由ではない。
第5章は「現代―新たな組み合わせを求めて」。
「ソ連の中の/ソ連を超えるユダヤ人―社会主義的近代化」に「ソヴィエト体制と女性解放」「イディッシュ語からロシア語へ」の項がある。無神論国家は今までにない脅威だった。今まではユダヤ教からは異教だといってもどれも「アブラハムの宗教」だった。だがソ連の指導者は、程度は時代によって異なるが、真っ先に叩く必要はないと言う評価だっただろうから、ユダヤ教徒には柔軟に対応してゆく。
ここだけではないが、ことに伝統的ユダヤ教徒での女性は第二の性扱いであった、ソ連はその地位の改善に尽くす。女性労働人口の拡大を一挙にすすめる思惑があった。ロシア語化は、政権側の国民意識集束のためにも、またユダヤ人が生活基盤が流動的であるロシア社会に生き続けるためにも必要であった。「むすび」に現ウクライナ大統領・ゼレンスキーに関する記述がある。ウクライナは旧ソ連圏だ。相次ぐユダヤ排斥で多大の死者を出し、移民として脱出したユダヤ人はもう国内に数万人しか残らなかった。生きにくい環境の中で自由業の俳優を生業に選んでいる。そんな彼に民主主義体制のウクライナ人が投票し、支え続けている。解説はあるがそこに生きてみないと、ほうとうには理解できない話だ。
「パレスチナとイスラエル―「ネーション」への同化」は、メディアの絶えざる報告で、私にも事件の羅列程度かも知れないが、地政学的状況が比較的判っている範囲だ。時代は、もうユダヤをユダヤ教徒で他国に「国の法は法なり」と観念することで寄生を許されてきた集団という理解を超えて、国家を持つユダヤ民族、ユダヤ人とするところまで来た。それが「ネーション」への同化である。パレスチナにはパレスチナ人はいないという反語がイスラエル人から聞かれるようになった。
「アメリカと文化多元主義―エスニシティとはなにか」のエスニシティとは、具体的には、文化的背景や言語、宗教、習慣などを共有する集団に属しているという意識を意味する。今や600万を数えイスラエルより少し数が少ないという程度の、ことに経済力を加味すれば世界で双璧の勢力を誇るアメリカのユダヤが描かれ得ている。
敗戦後のアメリカ占領軍軍政局GHQが封建的で後進的と散々こき下ろした民度の「低い」日本が、与党総裁に選び首相とした高市早苗さんを生んだのに対し、アメリカは相変わらず大統領に関しては、女性を大統領につかせないガラスの天井を打ち破れないでいる。とにかく占領軍には文化に関し軽々しい上目線の発言や干渉が多く、私は今もってアメリカ嫌いである。占領軍の文化多元意識はこの程度だった。
そのアメリカ社会でユダヤはヨーロッパ以来のアキレツ(軋轢)から開放されて困難な立場を早くに脱出することが出来た。先発の西欧系非ユダヤからはやはり上目線で眺められたであろうが、もっと強い上目線で眺められ、しかも外見上その閾は取り除けないアフリカ系とかアジア系という民がいたことが、かなりユダヤの民には幸いしたと思われる。

('26/1/20)