卒寿第4回大人の休日パス旅行

この旅行は1/19~1/23のJR東の第3回大人の休日パスに対応するもの。ややこしいが、私の「卒寿第3回大人の休日パス旅行」('24)は、JR東の大人の休日パス・スペシャルによる旅行だった。だから回数が1つずれてしまった。私の日記には、千葉に昨年では2月始めと3月始めと2回雪があったと記録しているが、だんだんと降雪を期待できなくなっているのは事実だ。だからか、雪見の旅を意識的にやるようになってきた。
昨冬の「初冬の「大人の休日倶楽部パス」旅行(2023)」には、「どかんと雪が積もるのは正月頃からと聞いた。」と書いていた。その意味では今回の日程は「ほどよい」設定になっている。持病の脊柱管狭窄症はますます歩行を困難にさせている。歩きぶりが正常には見えないのだろう、見知らぬ通行人から「頑張って」と声をかけられた。生まれてからこの方初めての声援だった。本当に列車に乗るだけの、乗り換えを極小にする旅になってきた。
第1日:新青森から五能線経由で秋田まで。
郡山あたりから作物のない田畑や屋根の積雪が目立ち始めた。青森県に入ると「どかんと雪が積」もっていた。新青森から秋田行き快速しらかみ4号に乗る。みるみる積雪は1mほどになった。五能線日本海沿岸に達するとその半分以下。積雪には満足したが、晴天で降雪はなかったのが残念だった。千畳敷駅で観光停車時間15分。海岸隆起でできた千畳敷の岩広間を見た。線路の反対側は岩の絶壁で、垂れ下がるつららの列が美しかった。
五能線ですれ違う1~2両編成の普通列車には、殆ど乗客の姿がなかった。新幹線東京駅のプラットホームの混雑ぶりが頭を過ぎった。日本海は波静かで、波打ち際以外に白波がなかった。しらかみのCafeは閉鎖されていた。その日はエンターテイメントはなかった。「雪見の一人旅」('13)には津軽三味線を聞いたと記録している。その頃は車内販売もあった。秋田駅に大きな秋田県の縫いぐるみと観光マスコットなのだろう「あきお」の大きなランターンがあった。
第2日:秋田から特急いなほで新潟経由で戻る。
いなほ8号が発車するまで1時間半ほどあったので、観光案内所で相談し、ぐるるバス(市内循環バス)で一回りすることにした。所用時間約20分。昔々初めて秋田市を訪れたときに、家内と郷土料理きりたんぽ鍋を出す店を訪れたことがあった。かすかに川縁だったことしか覚えていなかったが、「らしき」店が目に写ったのが懐かしかった。秋田市の寺町事情もこの観光案内所で聞いておいた。他の城下町と違わず、しかも大藩であった故もあって大規模な寺町がある。かっては40寺を数えたという。常陸からの国替えで佐竹氏に付いてきたお寺がその1/3だったとも知った。次回の旅行の目的に残しておこうと思った。おみやげに「いぶりがっこ」。
雪景色は山間で濃く平地では薄い。風車発電機が立ち並ぶ中、回転していないのが2/5ほどある。メンテに出費してはペイしないのだろうか、ちょっと気になる風景だった。仁賀保駅あたりの海岸線だったか、松の若い植林地帯の枯れ方がひどく気になった。平地も新潟駅寄りでは雪がより薄くなり、新幹線に乗り換えてしばらくは積雪がなかった。新幹線は自由席だったが、出発のときはがら空き状態だったのに、越後湯ノ沢駅で満員になった。
スキーの戻り客らしい。私の横は外国人家族3人が占めた。デンマーク人でプリンスホテルに宿泊、スキーとスノーボード(子供)で大いに休暇を楽しんだと云った。デンマークでもスキーをやっていたのかと聞いたら、デンマークには山がない、ゲレンデがないと云って笑った。引退以降は年に1回使うかどうか程度の、お粗末自認英語の私だが、台湾の電車で現地人に話しかけられたときの安堵感を覚えていたからか、外国人には話しかけてみるクセが付いている。
第3日:仙台まで新幹線で行き常磐線の特急ひたちで戻る。
仙台でも1時間半ほどの余裕があった。前回(「卒寿第3回大人の休日パス旅行」('24))は地下鉄東西線を走った。今回は南北線をと思い駅に立っていると富沢行きがきた。乗車して路線図を見ると、長町駅で在来線と交差している。とりあえずこの日はここまでとし仙台駅に戻った。仙台駅からは仙台空港鉄道線が出ていて、仙台空港に行けると判った。仙台港にはクルーズ船(「仲秋の仙台クルーズ」('02)、「ミレニアムで行った新潟、青森、仙台」('17))で出かけている。しかし空港に降り立ったことがない。この次の目的の一つにしておこう。
2日前には山野に残雪があったのに、もう消えてしまって遠くの山々の頂にしか雪は見えなかった。特急ひたち22号は東京まで6時間弱という長旅だ。水戸でほぼ満員になったが、それまでは空席だらけ。車内販売は確か「いわき」駅からだった。弁当があった。新幹線の車内販売からは消えてもう長くなるのでちょっとした驚きだった。在来路線は本線であってもよく揺れる。シロサギだけが集まる刈田、カモばかりの小沼は、ジャーナルが中国人やクルド人の「町」形成事情を載せていた(「正月の概要(2025)」)ので、本能から来る防衛意識と移民の功罪バランスをちょっと考えさせた。
第4日:銚子下車の北総周遊。
右脚神経痛が悪化したので、予定ではこの日千葉県一周、次の日只見線観光だったが、変更して千葉県を南北に分け、それぞれに1日を割り振ることとした。
特急しおさい3号で銚子に到着。銚子電鉄で終点の外川駅に出た。NHK朝ドラ「澪つくし」、副業のぬれ煎餅、赤字路線を「健気」に守る従業員、大手私鉄・東武鉄道の古車両無償供与などなどで結構話題の多い路線だ。市民も応援しているらしく、観光案内所も真っ先に乗れと勧めてくれ、プラットホーム(JR駅ホームに繋がっていた)が判る位置まで案内してくれた。スイカは使えず、乗車賃は現金払い。車掌に「往復」と云ったら大きな一日乗車券を出した。マジックインクで本日の日付が入れてあるのも気に入ったので、記念に持ち帰ることにした。
次の中ノ町駅はヤマサ醤油の醸造工場に取り囲まれている。このHPの「千葉一族海上氏」('01)に「昔(マイカーで訪問した)、夕方近くになり(工場)見学時間は終わっていたが頼み込んだら係の女性が工場案内をしてくれた憶えがある。」と書いている。江戸時代以来の工場だ、見るからにぐちゃぐちゃした施設配置は歴史の古さを物語る。半kmごとぐらいの間隔で小さな駅が並ぶ。たいていの駅に駅員がいるのがかえって新鮮に映る。この電鉄には自動改札など無縁で、昭和のころの市電といった雰囲気だ。町並みは殺風景だ。路線の半分を過ぎ岬部に入ると田園風景になる。20分乗って終点。2両編成の電車はすぐ引き返す。
駅に短く古い車両が1台展示してある。今は中小私鉄は大手からの払い下げ車両で運行する時代だ。先日流山電鉄の車両がJR?の古品だとTVが云っていた。だからこの展示車両は、きっと会社としては記念すべき、自前の車両なのであろう。駅の掲示板に色あせたセピア色の写真と説明が出ている。写真の電車車両は展示車両とそっくり。車両前に2人。写真では殆ど判別できなかったが、説明では澪つくしの記念写真のようだったから、主演の古川かをる(沢口靖子)と漁師・吉武惣吉(川野太郎)だろう。このHPに「澪つくし」('04)がある。外川はそのロケ現場だったのだろう。Wikipediaには「ドラマには銚子電気鉄道や漁師町の外川などが登場していることもあり、ロケ地には、放送終了後も当時の番組の案内が設置されている。」とある。
外川は和歌山からの移住者が開いた小さい町で、当時の碁盤の目の道路区画が残っている。家並みからは「澪つくし」ロケのころの面影は感じられない。すっかり近代建築に置き換わっている。移住者は津波を考えて、こんな岬の高台に居住地を選んだのだろう。和歌山からの移住者には「稲むらの火」の津波警戒心が行き渡っていたはずだ。漁港に降りる坂道は、澪つくしのシーンに何度か出てきたように記憶する。降りてみたかったが、足が不安で止した。
第5日:館山下車の南総周遊。
上総一ノ宮行き快速に乗り、終点で鈍行に乗り換え館山まで行った。お昼時になっていたので駅1Fのクジラ料理が名物のマリン(「大人の休日パス旅行('18/12)」)に行く。くじら弁当のポスターと幟はあったが、本日休業でがっかり。もう足痛が本格化し、杖を便りに1歩30cmのよたよた歩きになっていた。港が駅から真っ直ぐの道路先100mほどの位置に見えたが、人通りは殆どない中を、万一歩けなくなったらの恐怖で見物には行けなかった。内房線のことに五井から君津あたりの沿線風景は、私が現役で通っていたころとはすっかり様変わりしていた。

('25/1/26)