月ぞ流るる

澤田瞳子:「月ぞ流るる」、文藝春秋(2023)を読む。今年のNHK大河ドラマ「光る君へ(46)刀伊の入寇」でであったか、藤(紫)式部が宮廷勤めから退いて太宰府へ出発する。かねて道長の嫡妻・源倫子は道長一代記執筆を式部に期待していたが、式部の旅立ちで、その役を赤染衛門に依頼するシーンが出てくる。彼女は枕草子、源氏物語と対比しながら歴史物語を指向したいと返事している。
栄花物語の30巻までは彼女の作で、道長の死までを綴る歴史物語だとWeb解説に出ていた。彼女一人の作品ではなく、多くの執筆者の中の編集長的存在だったかも知れないともあった。図書を検索したら彼女を主人公にした小説があった。それが「月ぞ流るる」であった。440pほどの中編小説。6章立て。
「有明」は登場人物あらかたの紹介に使われている。「光る君へ」でもそうだったが、平安期宮廷の話は、やたら多い登場人物の相関を頭に入れないと理解困難となって興味を失う。夫の文章博士・大江匡衡の葬儀への回顧談から始まる。大江家は菅原家とならぶ学者一門。「鎌倉殿の13人」の大江広元はのちの一族で、鎌倉に下向して頼朝を助けたことで有名。朝児(あさこ)は今56才。匡衡とは20才で結婚した。赤染衛門の局名で倫子付きの女房となる。彼女は道長と結婚。実家の土御門邸は女族中心の本書ではしょっちゅう出てくる舞台である。枕草子は朝児40才、源氏物語は45,6才の頃に世に出た。なさぬ仲の長男・挙周(たかちか:蔵人)35才、長女大鶴(姸子(けんし)女房)27才、次女小鶴16才の4人家族で、すでに朝児は女房勤めからは身を退いて25年になっていた。「有明」は悔やみ状への返し歌の初句に出てくる文字。
事件は顕性寺における権僧正・慶円主催の法華八講で起こった。朝児らは八講の行事を取り巻いた女車~牛車の中から眺めている。牛車引きの雑色が喧嘩を始める。似たような事件が源氏物語にも出ている。喧嘩は慶円の従僧・頼賢(らいけん)の思いも掛けぬ乱入で収まらず、ついに検非違使が出動し、八講の催しは破綻した。頼賢は高貴の出自ながら(後述)母親代わりに養育してくれた原子の死が皇后・娍子(せいし)に起因すると恨みを持ち、精神不安定で僧籍に入れられたものの行状改まらず、さすがの高僧慶円も持て余していた。慶円は頼賢の勉学好きに一縷の望みを掛けて、朝児への弟子入りを画策していた。挙周も大鶴も道長派、慶円は道長とは不仲。2人は反対するが、朝児は老後の生き甲斐にと頼賢を育てようと思う。
「上弦」の巻。三条天皇と道長の争いは日々激しさを増していた。後宮では道長の娘・中宮・姸子は劣勢で、後ろ盾の弱い皇后・娍子が逆に帝を独占している。道長は、朝児に姸子の女房役を押しつけ、頼賢に朝児の祈祷僧としての出入りを許す。頼賢の娍子に対する恨みに利用価値を感じたようだった。朝児は道長の東三条殿で藤式部との再会を果たす。清少納言や和泉式部を貶したあとで、源氏物語を嗣ぐのは赤染だと言い放つ。帝まで顧客だという評判の歯抜き上手の媼の手術室模様が面白い。私はかかりつけの歯科医院で平安期の抜歯術を話してみた。女房部屋もそうだが、ここもニュースセンター。菅原宣義もくる。文章博士は宮廷の文書を握っているから、的確な深層学習で外れが少ない。頼賢は彼からの感化を受ける。
「十日夜」の巻。火事師と言う闇商売がある。嫌がらせや足を引っ張るために、敵の家屋に火をつける。密かに意を戴して行動するのが火事師。恨みのレベルによってときには大火事、ときにはぼや程度。道長クラスになると、裏で火事師とネットワークを持ち、付け火合戦の防衛と攻撃に彼らを操る。内裏には不審火が多かった。朝児は出仕を始めて間もなく最初の昼火事洗礼を受ける。これは軽かったが2度目は帝の御座所・清涼殿まで被害が及んだ大火事だった。どちらの出火場所も道長系の拠点に近かった。朝児は焼け出されて一旦実家に引き上げる。
朝児は婚家のやり残し事業に思いを馳せる。撰国史所は7番目の史書編纂を中断解散していた。第7の国史は宇多帝の御代から書きはじめられる予定だった。「光の君へ」では、赤染は道長の嫡妻・倫子に宇多帝頃からと道長物語の構想を述べている。大江家はその史書編纂の中心になるはずだった。虚構の中に人の真実を伝える藤式部流の物語と史実ただし覇者に偏向の史書との対比を、朝児はあれこれと思案するようになる。
「小望月」の巻。帝は体調が優れずその上眼病を患いやがて聴力を失って行く。一天万乗の君の健康状態は政治の行方を左右する極秘情報だ。だが道長は頃を見計らって御不調を漏らす。市井でも知れ渡り、ご退位が迫るという世論~天意~神之咎説が広まる。今や僧正に引き上げられた慶円は頻繁に加持祈祷に宮中に赴く。典薬頭の処方箋がでている。金液丹は劇薬という。Webにいろいろでているが、唐渡りのHgとかAs系の毒液のようだ。賀茂川の細石(さざれいし)に若鹿角。??。風雲を感じた頼賢が勝負に出る。還俗し道長の手駒を覚悟して童殿上となることを承知する。小童を出している公卿衆が、道長の目を怖れて致仕させるため、帝の回りは人手不足に陥っていた。
道長、道綱は頼賢を連れて帝のもとへ参内する。内裏の大火を天道の黙示とし、帝の退位を迫った。承知せぬ帝に道長は次々に矢を放つ。まず帝が招いた火事師が、道長の先代からの股肱とだ打ち明け、企みを阻む。頼賢が帝のかっての妃・綏子(すいし)の不義の子で、目的が育ての親の女御・原子の不審死の調査であることも明確に告げる。ついに退位に関する正面戦争になった。
「十六夜」の巻。仮住まいの皇后・娍子へ中宮・姸子が娍子の長子妃の懐妊祝いの品を朝児に託す。原子生前の娍子との友誼関係が、たまたま幼児であった当時の頼賢を挟んでのやりとりから立証される。原子付きの青女房・右近が姸子に仕えており、原子急逝の直前に二人の密会を導いていた。親兄弟の期待の下に入内したが、彼女の表向きの政争がらみの立場と、人としての姿はかけ離れていた。朝児は見たままの現在の、覇道の正当性を記すだけの史書とは距離を置いた、人間社会の葛藤の生の姿を物語ろうと、既に書き進めていた著作の方向を意識する。既に村上帝から花山帝までは思いつくままに綴っていた。ちょうど道長の若年時代に入っていた。
頼賢はこの小説の主役に近い人物であり、彼と頼定のねじれた親子関係は物語の展開に複雑な影を落とす。でも二人とも私の記憶にない人たちである。Webの「斎宮歴史博物館110話」には「頼定は、以前皇太子居貞親王(つまり三条天皇)の妃で藤原道長の異母姉妹の藤原綏子(やすこ)に密通して子供(註:頼賢)まで作ったというスキャンダルがあり、さらに一条天皇の女御だった右大臣藤原顕光の娘、藤原元子に通ったこともこの年に露見しているので、なかなか大変な人のようです。」とある。Wikipediaの「源頼定」にも同じ事件がでており、日本通信百科事典に「源頼賢」が「源頼定」の子として出てくる。彼らは史実の人である。
「暁月」の巻。原子は毒死だった。養育を引き受けていた幼児・のちの頼賢に盛られた毒を、誤って原子が服用してしまった。企んだのは恨みが収まらぬ帝。働いたのが右近。頼賢は次第に宮城に、つまりは帝の周辺に、渦巻く疑惑と怨念に理解を深めてゆく。帝の病は重くなる一方で、快癒の見込みは見えず、御前からは公卿が遠退いて行く。再建なった内裏に帰還なされた帝をまたも火災が襲う。帝は付け火を疑い犯人捜しを命じる。道長一党が疑われている。道長の娘という理由が先立って、帝からは長きにわたって遠ざけられてはいるものの、帝を愛してやまない姸子は、帝の心がそれで静まるのならと「犯人は私」と名乗ってでる。心融けた帝は退位を決意し、十三夜の月を共にめでようと姸子を訪れる。冬の月は清らかな光を雪庭に投げかけていた。朝児は姸子の女房を最後までやり続けようと決心する。
時代祭での平安期女流文学代表はいつも清少納言と紫式部で、赤染衛門ほかは並んだことがない。我らの意識もそんな風だった。栄花物語も開いたこともない。本書を読み通し、赤染衛門書き下ろしと判っている巻を一度は読んでみたいと思うようになった。本書の題名は古今和歌集の「天の河 雲の水脈にてはやければ 光とどめず月ぞ流るる」から取ったらしい。「上弦」の巻にこの歌の意味が載っている。退位を決心した帝への返歌に、姸子が引用する。帝を悩ませる数々の煩悶も、退位によって流れ去り晴れ渡った心境に戻れましょうといった意味を掛けているようだ。

('24/12/15)