強い通貨、弱い通貨

宮崎成人:「強い通貨、弱い通貨」、ハヤカワ新書(2024)を読む。著者は東大法卒で、中央官庁や諸国際機関に長年勤務した日本の経済エリート。300p弱。このHPでは「人民元は世界を変える」('06)、「戦後世界経済史」('10)、「世界通貨の知識」('11)、「新・通貨戦争」('13)、「円高円安」('13)、「飛鳥〜戦国のお金」('22)、「国際通貨としての宋銭」('22)ほか書評的にいろいろ書いている。私の通貨と言うより経済全体への関心は、「失われた20年」のころと、ゼロ金利の功罪がメディアの大きな話題になり出した頃に盛り上がっているようだ。本書には「\の悲劇」と言う章もあって、私の興味を煽った。
今の日本は貿易赤字だが経常黒字を継続している。貿易黒字時代に稼ぎまくった外貨が、世界最大の対外債権国・日本を作り、その債権が外貨を稼ぐから、貿易赤字やサービス赤字を吹っ飛ばしている。いつまでそれが続くか。我ら「働きアリ」と海外で冷評された世代が引退してはや何十年。まだそこまでは行っていないが、孫や曾孫の世代が債権をじわじわと取り崩すような老々境は、経験したくないものだ。そんな心配が頭を過ぎるほど日本には好材料が少ない。
戦後以来のドル覇権は円の挑戦時代もあったが揺るがなかった。アメリカが(「もしトラ」の恐れがあるのだが)今までのように政治的なコミットメントを堅持し、他国がそれを信じるならこの覇権は維持されよう。意気上がる習さんの人民元なら、この覇権道を進むことができようか。私にはあり得ないように思われる。ただドルの信認が低下したのにも拘わらず、ユーロも人民元も円も今のドルの立場に立てなかった場合の混乱は、考えておかねばならない。
10/27の毎日に、「米大統領選 先住民の白人同化政策を謝罪 バイデン氏「米国史の汚点」」という記事が出た。今は存在感を失っている米先住民の貨幣文化が、本書によると、白人入植時代には植民者の間でも生きていたとある。貝殻によるワンプンという貨幣だそうだ。お金に関係する漢字には貝が付く。幼少の頃からそれは知っていたが、お金と貝の関係は漢字圏の話と思っていたので、驚いた。お金とは金か銀(金本位制までは両位制だった)だが、本国(英国)が貨幣鋳造を植民地に許さないから、誰かが兌換を保証する証書(紙幣)が生まれる。
独立戦争に勝ったアメリカ中央政権は中央銀行を設立し、統一貨幣(紙幣)の発行を目論む。ところがこれが失敗に終わる。2回も。州立銀行ほかの信用は薄くてもお金を刷りまくってくれる方が支持が高いのだった。西部開拓などのための資金需要は高く、正貨の担保率(準備率)は紙幣乱発でどんどん下がる。銀行数は増加、南北戦争前には銀行券の種類は7千種に上り、内4千種は偽造ないし変造だったという。戦費調達のため金兌換保証のないグリーンバックが発行される。
通貨混乱は国法銀行設立で収拾に向かう。ばらまかれた信用の低い紙幣回収はデフレを招く。一次産業従事者らにとっては物価上昇のインフレが望ましく、「弱い通貨」を願う根強い政治勢力(民主党系)となる。金本位制は共和党大統領により1900年に決定された。強いドルが始まる。アメリカは世界最大の経済国への道を歩く。金準備は一次大戦の頃2千トン、二次大戦後には2万トン以上。
英ポンドは両大戦で没落した。大戦でインフレになり戦勝したものの、その金本位制への復活に固執したのが祟って、凋落を早めた。一次大戦後既に新たな覇権国アメリカに経済力を引き離されていた。1931年にイギリスが金本位制を離脱したとき、英ポンドは基軸通貨の地位を失った。だがドルが国際通貨安定の政治的意志を持つに至るのには20年が必要だった。イギリスはシティの歴史と名誉をかけて果敢にリーダーシップに伴う不利益を受け入れ、その荷重に押しつぶされる結果となった。
二度の世界大戦と世界恐慌という「犯人」から、三度にわたる致命的な打撃を受けた英ポンドに、最後のとどめを刺したのは二次大戦後のアメリカだった。詳論では理由に3つ挙げている。1つはせめて金為替本位制にすればましなのに、為替相場が低落しているのに、戦前の旧平価での金本位制復帰に走ったこと。2つは大陸の金融危機。3つはスターリング・ブロック、植民地ブロックで弱い通貨を支えようとしたことであった。グローバル経済で繁栄したイギリスが内向きになってしまった。
二次大戦終結が見えだした1944年にアメリカは戦後を睨んだ通貨システムの構築に乗り出す。ブレトン・ウッズ体制である。もはや世界の金の7割がアメリカのものとなっていたから、金本位制復帰はあり得なかった。アメリカは金1オンス=35ドルの公定価格を約束し、各国は自国通貨を固定為替レートでドルや金と結びつける「金・ドル本位制」で、ドルが基軸通貨となった。
アメリカ以外の交戦国は戦後に多大の経常赤字が予想された。その処方はIMFのドル貸し出し権SDRだった。ソ連との対立が厳しくなると、米国はマーシャル・プランで厖大な無償援助を発動。立ち直ったヨーロッパ諸国は1958年には自国通貨のドルとの自由な交換を認めるまでになる。文句なしの友国と見られがちなイギリスに対してはどうか。イギリスは戦中のアメリカからの厖大な戦備援助で破産状態だった。アメリカは戦後の強力な競争相手としての認識から、イギリスへ2国間借款は与えたものの、無利子にはしなかったし、スターリング・ブロックの解放を対価に取ることも忘れなかった。アメリカの政治家のしたたかな手加減には感嘆する。
資本移動を自由にし、金融政策は自由独立、その下での固定為替レートはトリレンマで、アメリカは一方的に金とドルの交換を放棄(1971年ニクソン・ショック)し、固定為替レートのシステムを放棄(1973年変動相場制)して、ブレトン・ウッズ体制は終わる。しかしドルはノン・システムのキー・カレンシーとして今も生きている。なぜか。まずはアメリカの圧倒的な経済力がある。いまも世界のGDPの1/4を占める。アメリカの金融市場の規模が大きいことも上げられる。中東のオイルマネーがユーロダラーを活用したときもあったが、今は下火という。3つ目は大国アメリカへの各国の信認でドルは「安全資産」だから。4つ目は通用の利便性、5つ目は原油のドル建て、6つ目はほかに選択肢がない、7つ目が他国が安定維持コスト負担に消極的なこと。
ドルが覇権通貨であるため、アメリカは自国の経常収支赤字にも財政赤字にも無神経でおれる。世界最大のアメリカ市場が各国の輸出品を吸収するから世界経済が成長する。アメリカが引き締め政策をとると縮小均衡に世界が向かう。それが厭なら黒字国はアメリカからもっと輸入せよ。アメリカが風邪を引いたら世界はどうなるかという脅しだ。財政赤字だって、自由主義的イデオロギーのもとゆえ、黒字の各国は安全資産の米国債を喜んで買って行くから、心配ないというわけ。いつまで続くのかしらと云う問いに、秩序内外の国家の台頭とか、新技術通貨(ビットコインなどなど)の受け入れが上がっている。
このHPの「ユーロの野望」('02)に、「西ヨーロッパに単一市場を目指すエネルギーが渦巻いていなければ、恐らくソ連・東欧の民主化革命はベルリンの壁を砕くまでには至らなかっただろう」と書いている。戦火に学んだEU設立までは歴史の流れと理解できるが、統一通貨ユーロの実現には感嘆し、その将来に強い関心が出たことを思い出す。円も「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」とおだてられるほどの時代があり、以来円の国債地位向上に真剣になった。
ユーロは圏内通貨として確実な地位を占めているが、世界通貨としてはまだまだドルの補助的な地位だ。ギリシャ危機とかドイツ統一とかの荒波をともかく乗り越えて、欧州諸国間の平和~強いドイツの足かせ~という、当初の現実的な「内向き」の目的には役立ってきた。ユーロ圏全体の経常収支は例年ほぼバランスしており、対外的にユーロを供給する立場になっていない。世界がドルでジャブジャブ、つまりドルが基軸であるのと対称的だ。巨額の投資を外から受け入れていることだけでも明らかだ。
円には絶頂期にはそんな囁きがあったことはあるが、今はその世界通貨化などと言う夢~野心はない。地味に通貨の安定~ドル秩序の維持~のための、ドル支援を営々と続けている。米国債購入額の上位5ヶ国という図がある。トップは日本で次が中国。それにぐっと低いレベルでイギリス、ルクセンブルグ、カナダが続く。かって急激な資本流出危機の洗礼を受けたアジアのために、チェンマイ・イニシアテブのドル融通仕組みを編み出した。IMF、世界銀行、アジア開発銀行などの国際機関への貢献は、現在の経済規模から見れば不相応に大きいと言えるほどだ。東京市場とかスワップ取り決めについても書かれている。
中国のGDPは'22年で既にアメリカの70%に達した(ユーロ圏は55%、日本は17%)。経済規模がアメリカ並みになる日は近いようだ。しかし各国の外貨準備に人民元が占める割合は、円やポンドの半分、ドルの1/20だ。外国為替市場でも同じ傾向だ。香港の存在は大きく、海外の投資は香港を窓口に本土に向かう。人民元の実力は香港がなければ今の半分だとある。一国二制度が無くなるとき、中国は資本が忌避する規制を緩和するなどあり得ないだろう。対立化が進む中で、人民元は、中立的立場を取る国々との「部分連合」と、親人民元グループでつくる、防衛的内向的な共通通貨の域からは出られないのではないか。
デジタル・カレンシー3種の国際通貨化には否定的見解が述べられている。あれだけ騒がれたビット・コインも、近頃はメディアであまり沙汰されなくなった。価値のひどい乱高下で、実社会での利用は諦められたと言える。いろいろ理由が書いてあるので面白い。
対抗馬がない中でもドルを殺すものが頭を擡げている。アメリカ自身である。私は「もしトラ」が実現したときのトラさんを思う。アメリカ・ファーストの自国第一主義だ。トラさんはなりふり構わずドルを出し渋るだろう。ウクライナ和平はロシア占領域のロシアへの割譲で終えようとするのではないか。今でも政府財政はデフォルト(債務不履行)を起こすのに、対立激化がデフォルトを本物にしかねない。どちらもドルの信頼性の根源に関わる問題だ。
国際通貨覇権の行方について1世代(25年)後を睨んだ4つのシナリオが出ている。中国の自由化が進展するか、それとも体制がさらに強化されるか。アメリカが議会機能を維持出来るか、それとも機能を喪失してデフォルトに陥るか。筆者は、中国は体制強化するが、アメリカは機能維持するケースが最も確率が高いとし、そのときのキー・カレンシーの地位はドル:65%、人民元:10%、ユーロ:20%と踏んでいる。

('24/10/31)