五重塔

幸田露伴:「五重塔」、青空文庫(2013)を読む。受験勉強で文学史に残る名作だとは知っていたが、目を通すのは初めてである。その受験勉強は昭和26年頃。もう73年も昔で、その頃既に「五重塔」発表から69年を経ていた。~70年、~70年と区切りよし。棺桶が近づくのを意識しだしてから、気掛かりだった文芸作品に目を通したいと思うようになった。
私は小説の内容もさることながら、文学史の中の文語体と口語体の遊離融合の経過過程の中の「五重塔」としても関心がある。明治に入って、東京口語による言文一致の小説や新聞、学校教科書が定着する。bungakubu.comには、「五重塔」が言文一致先駆けの「浮雲」(二葉亭四迷)の5年後に発表された、言文一致が推し進められてゆく時代の禍中の作品としている。「「五重塔」も文語体の作品ですが、時代の流れに乗って、書き言葉のほどよい堅牢さと、話し言葉の柔軟さが混ぜられています。此のような文体は「雅俗折衷体」と呼ばれ、地の文は文語体、会話文は口語体と言った混合体になっているのです。雅俗折衷体は言文一致運動が始まった最初期の作品に多く見られます。特に幸田露伴や尾崎紅葉が得意とした文体です。」という説明が付いている。
蛇足ながら遡ってみる。このHPの「伏木」('05)に、万葉記念館訪問記を載せている。館長さんのお話では、「万葉集には歌言葉もあるが、たいていは話し言葉で表現されている。後世の著作よりも話し言葉である率が高い」という。「日本語音声史(その一)」('23)には、「11世紀初頭の源氏物語が、聞いたとおりの音で書かれているという証明が紹介されている。私の書棚に「京言葉で綴る源氏物語」のCDがある。このCDでは100年前の京ことばで源氏が語られている。もとの源氏は、地の文と会話文が区別なく繋げて書かれている。だったらこのCDは、平安中期の女房の会話や独り言を、現代語では一番当時の表現法を受け嗣いでいる、標準語支配前の京ことばで喋っているはずだ。」と言う記載がある。やがて古典文学が平仮名文で通り一遍の教養では読めなくなる。「定家卿仮名遣」が漢字単語との対応を明らかにした。そのころから文語と口語の分離が明白化する。
物語は、技能といい人望といい世間が認める宮大工棟梁・源太と、腕は認められながら折り合いの悪さが世に入れられぬ元となっている大工・十兵衛との、谷中・感応寺の五重塔再建をめぐる争い。高徳の上人が大岡裁きを見せる。暴風下の再建塔がびくともしない描写で終わる。時代設定は出てこないが、下記天王寺の史実に合わせていると思うのが自然だから、18世紀後期だろう。半分ほど読んで感嘆するのは、脇役も含めての登場人物の高潔な道徳性である。本当にあり得るのだろうか。反芻することしばし。ともかく現代小説にこんな人物設定をしたら、読者は付いてこないだろう。今どきはやりの「人間性」に対しては妬み、そねみ、面従腹背、腹黒、二枚舌、裏切りなどなど、いやらしさとか汚さに分類される言葉がすぐ思い浮かぶが、登場人物はおくびにもそれを出さず、分を守ろうとし、おのれの別の欲望と正義感を葛藤させる。そしてその葛藤がこの小説のテーマである。
本HPの「朝鮮奥地紀行」('18)に英婦人旅行家イザベラ・バードの日本評論がある。140年前の日本奥地(東北)旅行では、彼女には「短躯(5ftに満たない)な醜い人たちがボトボトと歩いている。でも物乞いがいない。それが横浜を降り立ったときの街の印象であった。彼女は旅が進むにつれて、勤勉で裏表が無く誠実、礼儀正しく親切で狡猾を嫌い清廉な、日本社会の基本特性に感心し始める。車夫は最下層の労働者だろうが、責任感が強く、客の目的のために時には危険覚悟で積極的な協力を行い、対価とも云うべきextra-chargeを一切請求しない。」と言う印象だった。「五重塔」の人物設定には、かなりな普遍性があるようだ。作者の特別な一方的な思い入れによる設定ではないようだ。「五重塔」の当時は、ギルドとか町組織がある固定社会だったことが、類い希な高道徳性を生んだ面は否定できないだろう。
身分が厳格に定められていた時代だ。夫婦のやりとり、世間的には源太の組に取り込まれている、しかし半自営業(渡り大工)である十兵衛の源太に対する態度、双方の奥方の間にある微妙な身分違いへの配慮、寺の用人とか納所坊主の、十兵衛と上人に対する敬語の違いなど、読んでいるとその時代の街角に引き込まれるように感じる。敗戦までの日本社会は、もうかなり形式化はしていたが、この身分制の影を引きずっていた。敗戦のとき私は小6。身分制は感覚的にある程度判る。でも私よりあとの世代はどうなんだろう。受験勉強に源氏や枕草子は必要。だがヒトとしては時代的にはもっと身近な露伴の感性ぐらいは、すっと判るようになって欲しい。
感応寺は今の天王寺。江戸の三大火災の一つ・目黒行人坂の火事で焼失した五重塔が20年後に再建された。この史実を踏まえたお話という。天王寺の再建塔は今はない。谷中霊園に心柱を残すのみと云う。震災か東京大空襲で消失したのかと、念のためにCopilotに聞いたら、戦後12年の心中による放火が原因だった。そのときは寄贈で東京市の財産になっていたが、東京市はこのシンボル的存在を再建しなかった。
少し読んで読みづらさに閉口した。読みづらさと云っても斜交いに読み飛ばせないと云うほどの意味ではあるが。文語体であるとか、明治と今では単語に違いがあるとかは、覚悟の上だからいいが、長い文章が読み手を苛つかせる、つまり肌触りがよくない。理系は原則一文一義とするよう短文化を訓練されている、だからだろうか。
大河ドラマ「光る君へ」で、清少納言や紫式部は枕草子や源氏物語を句読点なしの平仮名文で書いてゆく。通して読んでみると、切れ味のよい枕草子でも結構長話と感じる場面がある。宮廷の女房連のうわさ話などもネタになっているのであろう。平安期の仮名文学が話し言葉を基本としているとする根拠の一つだろう。パッと見て文の始まりと終わりがどこかは、読み手がこころの中で意味から勝手につけて読むようにできている。句読点が日本文文法で確立するのが明治に入ってからと云う。幸田露伴の時代になっても文芸作品の長々しい文章の伝統は保たれていたのだろう。
十兵衛差配のもとで五重塔が完工する。落成式を控えたある日、江戸を台風が襲う。先日の台風10号は、超大型という触れ込みでメディアがこぞって大騒ぎをした。私はこのHPの「8月の概要(2024)」に、「鹿児島(935hPa)、熊本、大分、愛媛(30日)と列島を横断、各地に暴風と大雨(広域)による被害を発生させた。」と50字ほどに書き留めた。近頃では935でおおよその恐ろしさの見当が付く。「五重塔」の台風は1500字に余る描写で、飛天夜叉王の憤怒の姿として伝えようとする。ちょっとだけ引用しよう。「・・・、嬲らるるだけ彼らを嬲れ、急に屠るな嬲り殺せ、活かしながらに一枚一枚皮を剥ぎ取れ、肉を剥ぎとれ、彼らが心臓を鞠として蹴よ、枳棘をもて背を鞭てよ、歎息の呼吸涙の水、動悸の血の音悲鳴の声、それらをすべて人間より取れ、残忍のほか快楽なし、酷烈ならずば汝ら疾く死ね、暴れよ進めよ、無法に住して放逸無慚無理無体に暴れ立て暴れ立て進め進め、神とも戦え仏をも擲け、・・・」と見事な筆致である。文字数は1500字余り。これが1文だから、読む方は息が継げない。
先日NHKの「新プロジェクトX 祈りの塔1300年の時をつなぐ国宝薬師寺東塔 全解体修理」を見た。塔の構造や修理工事現場が紹介され、「五重塔」に言葉で綴られる十兵衛の棟梁ぶりが、映像に出ている石井、松本両棟梁の姿に重なり理解を早めた。現在はTVやインターネットからの情報が豊富で、少し時代を離れた史料や資料の、難しい漢語の羅列による風景を理解するのに役立つケースがある。けっこうな時代になったものだ。その漢語もいちいちおおきな辞書を引かなくても、例えばCopilotで答え一発になる。昔のような根を無くした老爺には本当に助かる。

('24/9/1)