腐蝕の構造(上)

森村誠一:「腐蝕の構造(上)」、青樹社(1994)を読む。上巻下巻合わせて500pを越す長編ミステリー作品である。最近、毎日新聞に「森村文学追悼企画」と言う記事が出た。代表作の一つにこの「腐蝕の構造」がでていた。森村誠一氏は昨年夏死去。図書館の書誌詳細には、「北アルプス上空で旅客機と自衛隊機が衝突した。だが画期的濃縮ウランの製造法を知る若き原子力研究の第一人者である雨村の遺体は見つからず、生存を信じる雨村の妻は捜索に乗り出す。国家権力と軍事産業の癒着に一石を投じた、推理作家協会賞受賞作」と紹介してあった。
若い山男2人が北アルプスを縦走している。雨村と土器屋。私はアルプスとは無縁だったが、四国山脈にはときおりは出かけた。本書冒頭の縦走路の描写は見事である。短い距離だが石鎚神社奥宮頂上社〜石鎚山山頂〜天狗岳あたりの稜線が、難所「不帰(かえらず)の??」に相当するのだろう。そちらへ下る「天狗の大下り」前で、土器屋が道標の向きを変えるいたずらをやる。名取兄妹が迷い込む。2人は同じ方向に縦走することを前泊の山小屋で話していた。雨村は次の小屋に到着しない2人を心配して、嫌がる土器屋を説得して引き返し、道標があらぬ方向を向いていることを確認した。2人は黒部峡谷側におりて兄が動けなくなり死亡。妹・冬子は救援を求めて彷徨うのを2人に発見される。2人は救助者になり、土器屋は原因隠蔽を雨村に懇願する。
冬子の父・名取衆院議員は与党の少数派閥ながら怪物と怖れられる存在、土器屋の父は鉄鋼商社社長、政界との饗応癒着をなりふり構わず実行して、戦後成り上がったが、ここのところ復活した財閥系商社に押され気味。冬子と土器屋の結婚は父親それぞれの思惑とも一致するものであった。雨村は研究所の事務員・久美子と質素な式を挙げる。土器屋と同じ日だった。
新婚後ほどなく久美子はだれか女の影を夫に感じ取る。酔いつぶれて戻った夫が寝言で「ふゆ子」に謝っている。松本清張の「ゼロの焦点」は何回かリメークされたが、最初の映画化(1961)は久我美子(先日訃報がでた)主演の白黒だった。彼女が演じた禎子は久美子と同じシチュエーションにいた。久美子の名も美子から取ったに違いない。
雨村発明の新規ウラン濃縮法は抽出法としてしか出てこない。再処理工場では副生放射性物質除去に抽出が行われるが、ウラン同位元素の分離などは論外だ。この小説が出た頃に可能性として学術的に論じられたことがあったのだろうか。イオン交換クロマト法ならまだ可能性があるようにも思う。現在でもU-235の濃縮は、ガス拡散法か遠心分離法でしか行われていないはずだ。
自衛隊戦闘機F104Jと新潟〜名古屋のローカル空路・旅客機YS-11が、積乱雲が立ちこめ稲光が光る中で空中衝突した。事故現場は白馬岳〜唐松岳の北アルプス山脈をさらに南に下った針ノ木岳。1985年の同じく夏に、日本航空のボーイング747SR-100型機が操縦不能に陥り、群馬県多野郡上野村の高天原山山中に墜落した遭難事故が発生したが、その現場などから学んだのであろう、事故現場・救難活動にはかなりの字数を費やし、迫力のある描写になっている。
YS-11の搭乗名簿に彼の名があった。だが雨村の遺体は確認できなかった。雨村は名古屋での国際学会で、世界注視の新濃縮法の基礎研究を発表する予定だった。黒四ダムは既に水を湛えていたから最後はその湖底探索が計画された。
久美子を上司が訪れて、雨村の研究資料についてしつこく問い質す。留守中に「賊」が忍び込み、畳の裏まで剥がして調べるといった徹底した家捜しをした痕跡を残す。遺品のアルバムに土器屋の結婚通知ハガキが挟まれていて(「ゼロの焦点」では写真だった)、夫人の名が冬子(=ふゆ子?)だと知る。土器屋と雨村の間に名取冬子の争奪戦があった、久美子は冬子の身代わりだったと女の感は教える。冬子を訪ねた久美子は、事故当時冬子が旅行に出ていたらしいと思う。
久美子は出張にでる前の、雨村周辺の不審事項を反芻する。土器屋が結婚祝いに来たが、久美子を臨席させない話を持ちかけている。方々から雨村にリクルートの話が持ちかけられている。旧財閥系商社・信和商事系列の松尾は直接雨村家を訪問して、面会を断られている。雨村の研究が、莫大な利益に繋がる可能性を秘めていると、薄々わかってくる。雨村は、この発明が人類に不幸をもたらす可能性に呻吟しはじめていた。
土器屋が都内ホテルで深夜に射殺される。実質社長であった土器屋の不慮死に意気消沈の父は、築き上げた鉄鋼専門商社の実権を信和商事に渡す。仲介は名取。経済界に強力なバックアップ体制を持つことは彼の念願であった。名取は国防庁の資材調達筋のキーマン中橋を土器屋に紹介していた。ホテルは中橋が極秘業務に使っていた。射殺事件は中橋配下が目撃しており、ホテル側の対応も適切であり、警視庁の行動も早かったのにも拘わらず、犯人の姿が浮かび上がらなかった。キーマンの紹介は、名取の土器屋取り込みへの代償だった。名取は選挙区の新潟に立地が決まった原発事業に、とやかくのブレーキになる雨村をコントロールすることも依頼してもいた。雨村は名古屋の国際学会前に新潟に出張したのは、原発立地条件の調査であった。こちらの見返りは信和が支配する原発用鉄鋼取扱いへの口利きであった。
久美子は搭乗者名簿が国際線ほど厳格でなく、実際は本人でないケースあるいは搭乗しないケースも起こりうると知る。彼女は出張先の新潟のホテルから調査を始めた。ホテルの従業員とのやりとりが活写されている。作者は作家生活に入る前にホテルマンをやっていたという。妻には2泊と云っていた雨村は1泊で切り上げている。2泊目が信濃大町の黒部観光ホテルだと見当をつけることができた。航空機事故後、早々に同じことを調べに来た警察以外の人物がいるとわかる。しかし彼は大町までは追跡できていなかった。観光ホテルで雨村が偽名で女と同宿し、翌日の航空機事故で自分が犠牲者として出ていることを知り、姿を自ら抹殺した。女は夫の寝言のふゆ子は、冬子だと確信する。
上巻最後は夫の足跡追跡に執念を燃やす久美子が、闇からの目を背後に感じる、それも1回でないことを告げて終わる。闇からの目は夫か? 冬子か? 検察か? それとも政官産の利害関係者か外国スパイか?。

('24/6/16)