ものづくり興亡記
- 杉本貴司ほか2名:「ものづくり興亡記〜名もなき挑戦者たちの光と影」、日経BP(2024)を読む。私が現役だった頃の日本は「ものづくり大国」だった。メディアが好んで使った産業関連標語の最後は「電子立国日本」だったように思う。造船、光学機器、分析機器、腕時計などなど、技術も事業も世界の競争相手の心胆を凍らせる躍進ぶりだった。でもそれは昔の話。今は失われた30年とメディアは懐かしむ。
- このHPは内橋克人:「新版・匠の時代」、岩波現代文庫(2011)の読後感をいくつか並べている。各企業ごとにかなり詳細に立ち入った解説があって、時代もまだ「失われた15年」と云ったところだったし、日本復活の期待も残っていたから熱心に読んだ記憶がある。伝わってくる挫折感はほろ苦い。しかし一度は頂点に立った歴史は貴重で、将来のプラス思考に重要な財産になるだろう。
- 第1章は「今治造船・本社工場〜瀬戸内から世界へ、造船一族の下克上」。世界の造船量の半分を日本がつくっていたころのメーカーの中に、今治造船があったとは記憶していない。でも現在ではクルーズ船の観光案内にでてくる、見学対象の造船所はたいていは今治のものだ。あの頃の日本の大造船所はどこへ行ったのだろうとよく思う。造船王国を作り上げた頃の日本には戦艦大和の技術力が残っており、それが大型タンカーを必要とした世界のニーズにマッチした。
- 中韓が国家プロジェクト事業として造船業を生長させ、日本の競争力を削ぎ、世界のシェアの大半を奪取した。その中から中手の地方造船所に過ぎなかった今治が、まだ中韓の大手と対抗できるほどではないが、日本の一番の大手となった背景は、合従連衡のうまさであり、その裏には強固な一族経営が貢献しているとある。小さな木造漁船を造っていた今治が、次第に吸収合併と景気波乗りのうまさで、アメーバ的に生長する物語は読んで楽しい。併合相手の人員整理は一切行わなかったのは、特筆事項であったようだ。現時点の日本の造船技術はLNG船、クルーズ船、液体アンモニア船いずれをとっても、世界レベルから見て先進的位置にあるとは言えないと著者は指摘している。
- 第2章は「三菱重工業・名航〜MRJはなぜ飛べなかったのか、空の名門の挫折」。零戦の栄光、YS-11の成功(ただし巨額赤字)を覚えている私は、MRJが商業化されなかった事実をずっと不思議に思っていた。敗戦により航空機製造を禁止されてから7年のブランクは大きかった。でも国産機製造再開は国民の悲願であったし、政府の尽力も並大抵のものではなかった。開発費1兆円、注入国税500億円。ANAをはじめとする予約注文は順調で、1000機は売れると三菱の営業は強気だった。ちょっと記憶は確かでないが、400機も売れたら事業としては十分採算が合うのではなかったか。
- 試作機は飛んだ。しかしアメリカの型式証明TC(米連邦航空局FAA)が取れない。納入延期は4度に及び、'20年に計画放棄となった。型式証明とはいかなるものかが本章の焦点のはずだが、FCCには、パスするかしないかは、抽象的に「エンジニアリング・ジャッジメント」の問題だとされたと書いてあるだけだ。TC取得に成功したホンダジェットの情報だが、「ルールを決めるのも、相手チームも審判もみんな米国人。たとえ我々がストライクを投げてもボールと云われてしまう」と言う状態だった。文化の違いだけではない何かがあったようだ。
- 輸出機器の品質規格でも類似の問題が起こるが、型式証明はまさに米国産業の保護のための有力武器だから、きちんとフォローしようとする真面目な日本人をここぞと禅問答に引き込んだ様子が目に浮かぶ。三菱重工の本社はそれに気付いたのであろう、最後は外国人主体の開発に向けて、チーフエンジニア以下の幹部をお雇い外人(年収2000〜3000万、住宅福利厚生施設付き)に任せるようになったが、時既に遅しであった。
- 第4章は「シャープ・亀山工場〜日の丸家電の栄光と凋落、液晶「オンリーワン」の驕り」。このHPの「日本型モノづくりの敗北U」('13)に「シャープが三重県に液晶パネルTVの新工場を建設し、亀山モデルと称して世界の標準を目指した記憶はまだ残っている。」と書き、「新春 伊勢 四日市・南紀 新宮クルーズ」('21)に「車窓に亀山のシャープの工場が見えた。一頃亀山モデルTVで有名だった。今はマスクも作っていますと(バスガイドが)言った。」と書いている。そのマスクは今の私のお気に入りである。シャープは今年の9月には液晶事業から撤退するという。
- 栄光の頂点は堺工場建設の頃であった。亀山工場の4倍の敷地に、部品や素材メーカーなどの計17社が集う「液晶コンビナート」を建てる。コンビナートによる競争力の強化は見込んだほどではなかった、大型テレビ需要への期待が的外れになった。LEDバックライト技術でサムソンに後れを取る。液晶パネルの外販では供給先ソニーの怒りを買う。テレビに代わる用途としてiPhone用液晶パネルの納入契約に成功したが、工場ライン改装の1000億円の半分はアップル社に仰ぎ、下請け同然の扱いになった。新しい活路を中国に求めたが、他の日本メーカーも同様で激しい消耗戦となった。
- 本章の最後に「ある技術者の独白」という項がある。彼はサムソンにヘッドハントされた旧シャープ社員。かって新聞でも取り上げられたことがあるが、日本のIT技術者が数多く中国韓国のメーカーに働いていたという証言だ。IT本体だけにとどまらず、素材から部品、加工機械など広い裾野分野でまで技術者が引き抜かれている。「身につけてきた技術に対するまっとうな評価と待遇を求めて働く人が国境を越えるのは当たり前のことだ」と本書は云う。引き抜き先での待遇は、日本の企業とは雲泥の差があるという。「(日本の企業は)会社の発展に尽くしてくれたエンジニアたちを、あまりにぞんざいに扱っていないだろうか。」、「こんなところにも、日本のエレクトロニクス産業が凋落した原因がにじんでいる。」。日本の経営者は、終身雇用と年功序列の恩恵による技術者や職人の組織への忠誠心を過信したと云うことだろう。
- もう一つの指摘は、企業秘密防衛策の緩さだ。私は現役の頃、技術秘事項が営業から簡単に漏れてしまう問題を耳にしたことがある。営業が自分の成績を上げるために秘密をチョイ漏らす。大戦時代の極端な情報管理の反動であろう、自由をはき違える風潮が生じていた。近頃よくメディアに国家機密の漏洩問題がでている。良識論精神論ではもう漏洩問題は収まらない、機密防衛のシステムと施設をきっちりつくる時代になっている。
- 第7章は「ホンダ・和光研究所A〜再び空へ、未来のモビリティーを求めて」。未来のモビリティーの1つは二足歩行ロボット「アシモ」。お供ロボット構想が原点という。まずは倒れない、次は走れる、その次は手が使えるロボット。メルトダウン原発の内部で作業するロボットになった。でもそのほかは? アシモは'22年に開発を中止した。私としては、AIのブレークスルー「大規模言語モデル」('24)がアシモをどう進歩させるかを見たかった。ストリーモ(電動マイクロ三輪モビリティ)は、ホンダ出身技術者の起業化だそうだ。
- 「再び空へ」は空飛ぶクルマの開発で、'25年には事業化を判断するという。ホンダジェットは'15年に首尾良くFAAからTCを取得した。ほぼ10年を必要とした。次の目標が空飛ぶクルマで、電動垂直離着陸機eVTOLである。世界の大手がエンジンは専門事業者に外注するのに対し、ホンダには小型機ホンダジェットのエンジンを自作している利点があった。バッテリーだけだと100kmだが、ガスタービン・ハイブリッド式バッテリーで400kmを飛ぶ。5/17の日経には「「空飛ぶクルマ(米リフト・エアクラフト社製、ドローン型)」都内初飛行 操縦士乗せ高さ10メートル」と言う記事がでた。開催まであと1年を切った大阪万博には「モビリティエクスペリエンス」会場が設けられる。各社の準備模様がHPに載っている。その中にはトヨタ出資の米国の空飛ぶクルマ開発企業Joby Aviationも入っていた。ホンダはまだだ。
- ホンダは本田宗一郎(技術)と藤沢武夫(経営)の協業の賜物。今ホンダには宗一郎は多いが武夫がいないという言葉が載っていた。
- 第6章は「ホンダ・和光研究所@〜「異質であれ」、F1の救世主が紡いだ哲学」。二輪車の性能に関しては、マン島TTレースが世界的にもっとも注視される。そこでのホンダの輝かしい戦績は私の記憶にも残っている。それをひっさげて'63年に四輪車に参入、翌年にはもうF1戦に参戦している。F1戦の戦績は殆ど記憶にないので調べてみた。Wikipediaによると、二輪車ほどには華々しくはないが、フルワークス体制あるいはエンジンサプライヤーの形で相応の成績を上げている。参加は断続的で、'23年に5回目の復帰を宣言した。
- ホンダの土台はエンジン。環境規制を世界ではじめてクリアした低公害エンジンCVCCや可変バルブタイミング機構のVTECは著名だ。旧陸軍の発動機を積んだ自動自転車から出発した本田宗一郎の「異質であれ」は、オリジナリティへの情熱だろうが、中規模会社程度にまでには産業会社としては見事な運営哲学になった。
- 現在では汎用機を含めれば、ざっと年間3000万台を生産する、世界最大のエンジンメーカーだとある。大会社の将来への、成功の歴史に囚われぬ投資が必要だ。今の自動車が途上国に追いつかれる頃を想定して、40年ほど前から自動運転の研究が立ち上げられているという。GMとの提携は10年を超す。'22年にはソニーと提携した。ホンダはEV開発に積極的である。米オハイオ州でEVのリチウムイオン電池の工場建設を開始。韓国の電池大手、LGエネルギーソリューションとの合弁で運営する。'24年末までの完成を目指し、'25年から量産を始める。供給先はホンダの北米工場のEVライン。米国立地。歴史ある日本の電池メーカーを袖にした韓国の電池メーカーの選択。ドライな世界戦略だ。最近のNHKサイエンスZEROは鋼板接着に接着剤を使う自動車工場を映していた。軽量化とコストダウンのためであろう。自動車産業界の競争は激烈である。
- 第3章は「日本製鉄・君津製鉄所〜宿敵・中国を育てた伝道師たち、「鉄は国家」のDNA」、第5章は「日立金属・安来工場〜「ハガネの変態工場」、検査不正はこうして生まれた」。
('24/5/24)