那覇・奄美スプリングクルーズ(その1)

飛鳥Uに3年ぶりに乗船した。那覇・奄美スプリングクルーズで、停泊地は堺、那覇、奄美、鹿児島の4港。3/24〜4/1の8泊9日の旅だった。旅行荷物は大小鞄2個で宅配。パッキングの手間から云っても我らにはこれぐらいの長さが限度だと家内は云う。前回は'21年春の「Xmas四日市クルーズ」でコロナ禍の最中だった。このHPにその題で紹介した。
クルーズ中に卒寿を迎える年齢になってしまった。「もういちど転んだら寝たきり」になると宣言している。家内は私よりもっと足弱になった。交通機関にはなるべく乗り降りが少なく短く安全なようにと心がける。幸い乗り換えなしの特急が使える。空気の良い田舎をあこがれたことも再々だったが、今の居住地(千葉市)にしておいて良かったと思う。いつもはJR横浜駅から地下鉄で日本大通り駅にでたのだが、エレベータの便がどちらも悪いので、JR桜木駅経由で大桟橋に出た。我らにはエスカレータとか階段という選択肢はない。一般にJRはかなりの田舎でも駅にエレベータを備えてくれているので、JRは旅行先選択に信頼できる交通機関である。
コロナ対策が自主管理になった。船には健康状態申告をしただけで、PCR検査に長々と待たされることはなかった。乗務員はマスクを全員が着用していたが、乗客は乗船時は4割ほど下船時には2割ほどになっていた。我々は居住地がまだ8割は着用している地域なので、習慣的に部屋の外では着用していた。でも町に戻って見回すと、着用率はその9日間でグンと落ちていた。食卓のアクリル製隔離板がなくなって、会話が自由になった。催し物や教室への出席が気楽になった。今回も主に食卓での会話で何人ものお知り合いができた。でも昔と違って名刺を交換しなくなったから、次回お会いしたらという付き合いになってしまうのはちょっと惜しい気がする。
乗客数は700名ほどだったとか。ダイニングルームが賑やかなので、ほぼ満席状態だとはすぐわかった。飛鳥Uの航海は次が世界一周で、6年ぶりとニュースに出ていたが、その乗客数は450名と出ていた。大体乗組員数と1:1だ。きっとラグジュアリー気分いっぱいなのだろうとうらやましく思った。Webの「マリントラフィック」で飛鳥Uを毎日追跡している。4/13夕方にはシンガポール港に着岸していた。
私の場合、面識は行動の方向付けに結構大きな因子である。私は鉄道の旅ではよく塩沢を訪れるが、これはたまたま昼食に立ち寄るカフェのスタッフが、私を覚えているのが大きな理由である。成長する姿を見るのが楽しみだ。本船では今回は4人だった。皆もうベテランだが、うち2人は本船に初乗船してきた頃からで21年来の知己になっている。船の勤務者の入れ替わりは激しい。これからはますます乗組員の定着性が、レピーター育成の因子として重要になるだろう。
銅鑼が鳴って横浜港大桟橋を離れた。私はこの銅鑼が好きだ。クルーズ気分を盛り上げる。セイルアウェイ・パーティはいつもの通りだが参加しなかった。出港時の風物詩であった紙テープを投げる姿ななくなった。止めたのはコロナ禍と時を同じゅうする。海を汚さないためでもある。部屋の机に旅行会社からのプリザーブドフラワーの誕生祝いが机に載っていた。プリザーブドフラワーは生の花を加工して造花のように世話なしに長持ちする、生け花と造花の中間のような製品でバラが1本600円とかなり高価だが贈り物に適当だという。船内各所に花が飾られているが、プリザーブドフラワーが多くなった。昔は生のオーニソガラム・ トルツオスム(子宝草)が多かった。
初日の正餐はフレンチコース。この船今回の洋食は総じて立派だった。31日最後の晩餐もフレンチでいつものように総料理長が説明して歩いた。インフォーマルの日だからとりわけ念を入れて作られたのであろう、うまかった。インフォーマルは今回2回あった。黒毛和牛が主菜main dishにある時が多かった。チョイスがある時も私はこれにした。正餐はイタリアンの時と和風洋食の時もあった。和風洋食とは私がかってに名付けたものだが、主菜はローストビーフの山わさび添えと言った風に和食用食材を適時応用したもので、なかなかのものであった。
会席料理も優れていた。ご馳走を頂いたという気分になり満足した。ただ毎度のことながら沖縄風会席と薩摩風会席は口にぴったりとはしない。これは船の料理にだけではなく、現地のレストランでもそんな風に感じることがある。日本料理は素材を生かすから、遠く離れた土地の食材に舌が馴染まぬからだろう。メニューの強肴は何と読みどんな意味かがテーブルで話題になったことがあった。シイザカナと読み、酒の肴を勧めるといった意味らしい。主菜に準ずるようだ。アルコール飲料は特製とか限定の品だけにした。奄美ビールは知らなかった。そのラベルはAmami Brewery AMAMI ISLAND BANANA weizenと読めた。Webの「AMAMI BEER」には「奄美大島島外へ出回ることが少なく幻のバナナと呼ばれる「島バナナ」とドイツ語で小麦を意味するヴァイツェン」の「クラフトビール」とあった。船が手に入れた限定3本の1本を確保できたのは幸いだった。フルーティであった。
飛鳥Uでは着付けの優れた和装のご婦人に出会える。近年ますますこんな機会が少なくなっているので、正餐の時に同席できた時は心楽しかった。
最上階の朝食では焼きたてパンを手に、合図にちりんちりんと鈴を鳴らしながらコックがテーブルの間を歩く。この「行事」は今も引き継がれていた。ここは和中洋の味噌汁からデザートに至るまで、種類豊富のカフェテリア方式とかバイキング方式という食堂。ついつい取りすぎになるので、意識的に敬遠し最下階の和食を多くした。似た方式の超大型外国カジュアル船の朝食とつい比較してしまう。その船では種類は多かったが、和と中が申し訳程度だった、概して大味だった、食べ残しを嫌う習慣のある我らにとって、品個々のサイズはでかすぎたと言った印象。昼食はやはり最下階の和食が多かった。お目当ては丼物と麺類。6Fにビストロというカフェがある。お気に入りだったが、ついついクッキーに手が出るのであまり近寄らないことにした。
ゲスト・エンターテイナーは石垣優、琉~と春風亭柳雀。前2者は南西諸島出身で、旅先民俗に因んだ出し物を演じた。柳雀は古典落語・番町皿屋敷と井戸の茶碗を噺した。専属のマジシャンやオーケストラ、バンド、ダンスチームのショーが何度かあった。船のクリュー参加のショーは美ら唄海流という題で、クルーズディレクターと専属ナマナ楽団の演奏を中心に盛り上がった。最後は琉~メンバーも入って手踊りを観客一同でやった。どの船でもクリューの素人芸は人気がある。本船ディレクターの三線はなかなかの出来であった。
乗客参加の催しは体操から手芸までいつものようにいろいろだった。特に目新しいゲームはないようであった。ダンス教室では珍しくもスケアルンバの講習をやった。夜のダンスパーティは毎日あったが、もうこの年配ではと思い参加しなかった。モンテカルロ(カジノ)には、たしかに以前より参加者が多くなっていた。メディアは毎日のように大谷翔平選手の元通訳の大型詐取事件と、彼のギャンブル依存症を報じていた。後日の毎日新聞の「余録」には国内のギャンブル場設置推進に警鐘を鳴らしていたが、それには実感がある。映画「ローマの休日」を久しぶりに見た。観客大勢。乗客平均年齢は70〜80だろう。皆懐かしんでいたのだろう。BINGOはもう何度目かになる完敗を喫した。

('24/4/13)