驚異の量子コンピュータ

藤井啓祐:「岩波科学ライブラリー289 驚異の量子コンピュータ〜宇宙最強のマシンへの挑戦」、岩波書店(2019)[以下種本-2とする]を読む。著者は大阪大学大学院基礎工学研究科教授。読み通して感じるのは研究者としての前向き姿勢だ。プラス思考なのが快い。ただ門外漢にとって残念なのは索引がないことで、私は結局本HP「量子コンピュタ」('20)の種本[種本-1]の索引をパラに使うこととなった。
いかに理論的には「驚異的」に高速であるかは素因数分解(その数字の中に含まれる素数の数)で判る。種本-2では現在の古典スーパーコンピュータでは309桁の解に1年かかるという。素因数分解の困難性は暗号の安全性のよりどころとなっていた。種本-1には、ショアは、この問題を、桁数に比例する程度の時間で答を出す、量子アルゴリズムを見つけたとある。1000桁を数分で解くとしてある。ついでながら量子コンピュータにはフォートランとかC言語と云ったプログラミング言語はなく、問題それぞれにアルゴリズムを開発する。素因数分解は得意分野の1つだ。
2/28の報道によると、アップルが自動運転EVの計画を断念したという。当初の目標は完全自動運転システム搭載EVでレベル4(ハンドルなし、ブレーキなし)だったが、早い時期に運転監視員ありのレベルに引き下げ'28年販売開始としていた。このプロジェクトは2014年から始まり今や従業員2000人、年間数億ドルの規模。アップルは巨大IT産業、自動運転AI技術開発は得意中の得意であるはず、私は、このプロジェクトが短期に仕上がると思っていたのに、このざまだった。未知への挑戦の困難さをあらためて知った思いだった。スタートアップ企業の成否は5年が単位と、TV解説者が言っていた。
「量子コンピュータ」('20)の種本-1は'05年に出版されている。カナダのD-Wave社が商用の量子コンピュータを売り出したのが'11年。その頃はIT産業のすざましい進歩に慣れていたから、明日にも量子コンピュータが市場を席巻するのではないかと思ったが、今もってPCもスパコンも電子系が隆盛を極めており、新聞は熊本に台湾メーカーの電子系半導体工場を巨額補助金付きでお迎えすることを政治的成功と書いている。私は量子コンピュータが、それはそれでいいのだが、「(種本-2の著者とは反対に)研究者のお遊び道具」で終わるのではないかと危惧している。
量子コンピュータの作動原理は、量子の物理を本式に勉強していないものにとってはなかなか手強い。「量子コンピュータ」('20)を読み返してみると、書いた本人(私)ですら種本-1をもういちど読み直さねば判らぬ表現がある。その理由の多くは用語の概念が頭に残っていないことにある。種本-2では全161pの実に3/4が概念理解に当ててある。第1部が「物理学とコンピュータの歴史」、第2部が「量子コンピュータの仕組み」で、実用への取り組みは、残りの1/4に当たる第3部「量子コンピュータの挑戦」だ。
種本-1では「(忍者的性格の)量子から「重ね合わせ」の本質を読み取ることが、量子コンピュータの仕組み理解の核心だ」としている。種本-2にも種本-1とは違った比喩と表現で、かなり力を入れて「重ね合わせ」を説明している。そのことはこの判りにくい量子コンピュータの原理を、種本-1と種本-2とを「重ね合わせ」て読めば、理解に近づけるのではないかと示唆する。物理を数学なしに定性的に読むには、こんな便法が結構有効なことは、「長い」人生経験で得た凡人の智恵である。などと云いながらともかく種本-1の3/4を読み通した。やっぱり原理は難しい。でも「量子コンピュータ」('20)はそこそこ丁寧に纏めている。このHPでは重ねての解説?はしない。
種本-1の値打ちは、種本-2出版以降の量子コンピュータの実用化への進展ぶりの紹介である。それが第2部最後の章の第7章「ブレークスルー」に出てくる。そのわけが第6章「量子とノイズのせめぎ合い」に出てくる。
ともかくD-WAVE社が世界第1号の量子コンピュータを市販した。期待したほど高速ではなくかつ万能な量子計算は出来ない。量子アンニーリングという経験的手法による近似計算で、厳密なアルゴリズムではないという。だがその評価を聞いたグーグルが「ブレークスルー」の可能性を感じ取ったのであろう、万能量子コンピュータ開発に踏み切った。続いてIBM、マイクロソフトが大規模研究に立ち上がる。量子ベンチャーも活発化する。国家プロジェクトが巨額の予算を割り当てられて出発する。中国は天井知らずの研究開発費を量子技術分野に投入し、巨大な研究センターの建設を進める。
実用化に対する最大の問題はノイズのために発生する誤計算の克服だ。従来型電子式古典コンピュタでは、電子が来たか来なかったか、YesかNoか、量子ビットでの表現では1か0かだ。つまりデジタル。計算機装置の中では、低い確率だが、ときおりエラーが起きる。そのエラー(ノイズ)を検出する方法は確立されている。
量子の重ね合わせ状態はノイズにたいして非常にもろい。装置の中の予期せぬかすかな傷害でも、簡単に量子ビットを古典ビット状態に降ろしてしまう。量子コンピュータにとって最も重要な要素である確率振幅は、連続的な値を持つアナログ量である。素因数分解アルゴリズムを発見したショアは、量子ビットに対するアナログなエラーを克服するため、量子誤り訂正符号を作り上げた。量子ビットと環境系の相互作用を防ぐために、複数の量子ビットを用いて複雑にエンタングルした状態として「論理」量子ビットを保護し、環境系とのエンタングルから隔離する。これは(よくは意味がわからないが)大変なブレイクスルーであった。計算結果の精度を保証する誤り耐性量子コンピュータが可能になった。理論研究はさらに進歩して、エラー確率の閾値率1%でも許容されるところまで来た。
第3部の第9章「量子コンピュータはスパコンに勝てるか」の図27は、量子コンピュータの量子ビット数Qの年々の増加を示す。種本-2出版の年'19での最新のQが79だ。次の5年つまり今には100〜数100という数字が上がっている。Copilotに尋ねると、'21年IBMは127のプロセッサーを発表したと答えた。量子コンピュータの優位性が理論的に知られている問題(後述)に対してでも、まだまだスパコンに及ばない。さらに一般に、量子誤り訂正を搭載した誤り耐性量子コンピュータ確立には100万のQが必要だ。さらに10年〜20年の研究開発が必要だ。
現在の小・中規模の量子コンピュータでも実用出来るテーマはあるはず。これをNISQ時代と云うそうだ。利用できる演算の精度とQから決まる有限のステップ数(せいぜい50ほど)で計算を打ち切る。その前提の量子古典ハイブリッドアルゴリズムの研究が進んでいる。量子系に関する計算には有用だという。福井先生のノーベル賞対象のフロンティア軌道論は、シュレーディンガー式を思い切った簡素化で導いたもの、つまり心眼を開かねば出てこない神がかった理論だが、チョコチョコと量子コンピュータに出てくる重ね合わせのパラメータを、古典コンピュータの助けを借りて求めるようなシステムらしい。AIをつぎ込んで、量子機械学習アルゴリズム、量子回路学習といった提案を著者らがやっているとある。
第10章の「宇宙をハッキングする」に未来展望がでている。いちいち実験とか試作をやっておれない分野ではシミュレーションは有用だ。それには量子効果が重要な場合が多いが、古典コンピュータはそれが苦手だから、量子コンピュータの活躍場になるのだろう。高温超伝導物質開発が成功すれば、どんな福音がもたらされるか書き上げてある。新機能性材料開発には同様に有力な兵器になるだろう。触媒とか創薬もいままではシミュレーションが出来ない分子設計分野だった。仮想通貨をマイニングするための専用チップなどが開発中だという。超高速の量子コンピュータの出現が暗号を無力化すると、金融業界に恐怖が走ったことがあった。量子性を利用することによって、セキュリティ面でも変革が起こる。量子暗号は既に実用段階に入りつつあるという。

('24/3/4)