はなれ瞽女おりん

この初冬に高田の町を旅行先の一つに選んだ(「初冬の「大人の休日倶楽部パス」旅行(2023)」)。高田瞽女に関心があった。毎日新聞の投書欄の記事を見たのがきっかけだった。映画:「はなれ瞽女おりん」(水上勉原作、篠田監督、1977年)のポスターがあった。戻ってからYouTubeでその映画の概略を知った。AmazonにそのDVDが出品されていた。レンタル料400円で2日間見ることが出来た。映画最後のエンドロールに高田瞽女ミュージアムで聞いた杉本キクイの名が瞽女唄の横に出ていた。
なかなかの傑作だ。おりん(岩下志麻)は私の父母よりは一昔前の年層の高田瞽女だった。大正時代の新潟、石川、富山、福井、長野あたりの民俗状況が、克明丹念に描かれている。盲目のハンディを背負う貧しい女に、按摩、女郎のほかに瞽女の道を定着させた雪国社会のぎりぎりの智恵(瞽女文化という言葉はあるのだろうか)を思う。ヨーロッパとかトルコの吟遊詩人や我が国の琵琶法師は、すべて男子である。瞽女の唄と語りは、村落には数少ない人気の娯楽だったようだ。
男の情欲の対象にもなっていたことが、ところどころにでている。親方組織はそれに対する瞽女側の防衛策でもあった。瞽女は親方共々仏の前で男に触れぬ誓いを立てる。盲目は、目明きなら見なければならぬ地獄を、仏が見えぬように目を封じてくれたためと教えられる。このタブーを破った(ふしだら行為をやった)瞽女は組から放たれて、はなれ瞽女になる。おりんは、養い親でもある親方の(瞽女屋敷に住む)組の、2人目のはなれ瞽女だった。
はなれ瞽女は瞽女宿には泊まれない。軒下であったり、無人の物置小屋であったり、地蔵堂であったり、無住のやぶれ寺であったりの野宿である。親方の組におれば3-6人の組で行動する。先頭に幾分見える瞽女がおり、そのあとに前行く瞽女の着物の端をつかんだ瞽女が一列になって続く。だがはなれ瞽女には先行きがいない。手を引いてくれる男があっても、しばしば身体が目当てで、瞽女の身としては為されるままになるしかない、心付けをもらったと、おりんは淡々と語る。仲が続くことがあっても、長続きせず、子供を産んだらすぐ逃げられたという話もある。
映画冒頭で、若狭小浜の海岸のボロ小屋に、親が帰ってこない6歳のおりんが丼の横に座り、村人が集まって彼女の処置を、たまたま訪れてきた富山の薬売りの行商人に頼むシーンは哀れだ。かれは「めんこい」と値踏みして、お得意先の高田の瞽女屋敷さとみの親方(奈良岡朋子)に世話する。村人は重荷であっても、自分たちの責任でハンディのある子を対処せねばならぬと思っている、そんな世相だった。丼は母親のせめてもの慈悲せめてもの懺悔の表現のようにも見えた。
老婆があと何年も生きられぬ、この係累がいない盲目の孫娘を瞽女にしてくれと頼みに来るエピソードが後半に出てくる。はなれ瞽女には出来ない相談だが、親方を探してみようと答える。悲観した老婆と孫娘は互いを綱で縛りあって、あの世の母の元へと、念仏とともに岬の岩壁から身を投じる。おりんは良い親方に養女に引き取られ、生きられたのは、まだしも幸運だった。
瞽女の修業は厳しいものだった。8歳で門付けの見習いに入り、16歳で一人前と認められる。21歳で「ふしだら」行為で瞽女屋敷からおとされて、ひとり瞽女の道を歩く。
大正7年(1918年)26歳のおりんは善光寺、新井からの道中で、石切場への出稼ぎからの帰途を装う、後に「あんさま」と呼ぶ男・鶴川仙三(原田芳雄)に出会う。陸軍の水筒と飯盒を下げていた。脱走兵だった。大聖寺出身で社長の息子の身代わり出征だったという。母と子1人の貧しい下駄屋だった。のち(おりん29歳)に取り調べの憲兵中尉に、おりんはめくらゆえ何も見えないが、「あんさま」の心だけは見えた、優しい、温かい心だったと身体を震わせて訴える。おりんにめぐってきた初めての幸せだった。
おりん27歳のころキリコ祭り(映像は多分七尾市石崎奉灯祭)で2人は下駄の露店を出していた。瞽女の上がりで商売道具を買い揃えて下駄屋に転向したのだった。木賃宿風景が描かれている。例祭ともなれば色んな香具師が集まる。今で云う大道芸人の稽古風景が挿入されていて面白い。囃子方の吹き合わせ、万歳に人形遣い。口上練習もあったかな。土地の地回りが挨拶のなかった「あんさま」鶴川に難癖をつける。傷害事件となり鶴川は警察に拘留される。拘留はなぜか長引いた。それまで親切ごかしにおりんに近づこうとしていた香具師の一人(富山の漢方薬売り〜下半身にはめっぽう効くと言う口上だった)が、隙を突きおりんを手込めにする。これを知った鶴川はこの香具師を殺し、おりんと別れる。
瞽女稼業に戻ったおりんは、やぶれ堂で、長岡のはなれ瞽女(樹木希林)に出会いタッグを組む。彼女は少し見えるので、いつも先頭の手引きだった。樹木希林はなかなかの好演で、いつも大きく目を開けやや首をかしげながら笑みを浮かべ全盲よりは足早だ、おりんとの違いを意識させる。2人はお座敷では二丁三味線を聞かす。2人の突然の別れは善光寺で起こった。おりんは下駄の出店を開いて待っていた「あんさま」と境内で再会。2人は夫婦になる。おりんはもう瞽女はやらない。
おりんはあんさまの牽く大八車に乗って小浜に旅する。彼女が生涯で最も幸せな時だった。おりん29歳。だが鶴川は小浜で捕らえられる。彼は憲兵隊の拷問には耐えていたが、白状するまではおりんが匿った罪で拘束されると聞き、さらに彼女の陳述書に彼への感謝と愛情の言葉があるのを見て、罪を認める。
また孤独になったおりんは、高田のさとみの親方を訪ねる。でももうあの世の人だった。狂ったように空き家となった親方の家に入りおかあはん、おかあはんと探し回る。養母としてさとみはおりんを慈しんで育てた。さとみの声がする。「お前の実母は若狭小浜の仏谷にまだ生きているかもしれん」。次のシーンは淋しい山肌の部落を取り憑かれたように歩くおりんの姿である。妻折笠(時代劇に良く出る女性の長旅用菅笠)は被らず手にしているが、端はもうぼろぼろだ。衣服は薄汚れて破れ目がでている。
最後のシーンでは、海岸脇の鉄道のトンネル工事工夫が岬に赤い布を見つける。白骨化した死骸の横には三味線の残骸があった。おりんが30歳を越えたころとすると、昭和の始めで、小浜線は全線開通していた。だから映像は故郷の近くではない。おりんは小浜を目指したのではなかったかも知れない。小浜での実母探しは不成功で、そのあとどこかを彷徨っていたのかも知れない。死骸には自殺をほのめかすような縄や短刀はなかった。覚悟して道なき道を岬に出たのだろう。敬愛していた親方が、隠れて男と交わった瞽女を折檻する時に、追放されてのたれ死にするがいいと罵ったのを聞いていたから、のたれ死にを我が身の作法と思っていたのかも知れない。あにさまがどんな刑罰を受けたかは映画には出てこなかったが、一般には銃殺だった。おりんはもう生きる気力を失っていたのであろう。
映画に出てくる地名を拾ってみた。西から、小浜、大聖寺、七尾、珠洲、糸魚川、善光寺、新井、高田、長岡。高田旅行で知った瞽女の行動地図の範囲にほぼ入っている。おりんの生地の小浜仏谷はWebの地図で見ると、小浜港を抱え込むように伸びる2つの岬の東側の寒村であった。

('23/12/22)

追記('23/12/26)
水上勉の原作を読んでみた。地道に現地調査を繰り返す姿勢は「金閣炎上」と変わらない。三島由紀夫の「金閣寺」は切れ味鋭く、発表時はメディアにもてはやされたが、遅れて出版された「金閣炎上」の方が、今では客観性と実証的性格から云って俄然上のように思える。瞽女という材題に水上はぴったりしているのだ。祖母は盲目であったと云うし、彼女からは村の阿弥陀堂に住み着いたはなれ瞽女りんの話を聞いている。りんは子を産み寒い日に死んだ。
瞽女は国中どこにももういない。小説家から見たという但し書きはつくが、本書は、瞽女を立体的に、歴史も語っているからいわば四次元的に、読者の前に浮かび上がらせている、今や貴重な資料である。映画と小説には場所の設定に幾分の食い違いがある。映画は絵になる場所とかお祭りを選んでいる。小説の場所の中には、今でははっきりしないものもある。一番異なる設定はおりんの死に場所だ。小説には出てこない。