激変する世界の環境

「別冊日経サイエンス262 気候危機と闘う 人類を救うテクノロジー」、日経サイエンス社(2023/8/28)の第1章「激変する世界 崩壊の現場」と第4章(最終章)「多様性と生物資源 守り育むために」を読む。第2章「動き出す脱炭素への新たな試み」と第3章「新発想で未来を変える」への感想は「脱炭素の最先端」('23)に書き留めた。
第1章は「燃えるアラスカ 北極圏に広がる森林火災」から始まる。極地の異変はこの何年かの間にいろいろ報じられた。その一つがアラスカの森林火災で、最近見たNHKワイルドライフでのアラスカは、森林と草原の中に躍動するトナカイ(カリブー)の大群だった。消火のすべもない山火事の生態系への影響には、たいそうな不安を覚えた。極地の山火事は、もちろんシベリアにもアイスランドにも起こっている。海と陸の氷が消え、氷や雪よりも日光を吸収する黒っぽい海面と地面が増加したため、北極・北方域は温帯に比べ1.5〜4倍の早さで温暖化している。ロシア極東では夏38℃を記録したという。
アラスカ内陸部で200万ヘクタールが焼けた時('15年)の試算では、焼失炭素量が1.6億トンを超えた。CO2換算で5.9億トンだから、世界全排出量の3〜30%に達する。このCO2に対する焼損樹木の寄与率は5%ほどと意外に少なく、大半が腐植層(地表の枯れ木枯葉枯れ草の堆積物で最大厚みが50cmほどもある)が燃えたためだ。腐植層の燃焼は地下の永久凍土の溶解に繋がる。またくすぶり続けて、冬越しの火災の火種になって行く。
山火事は大半が落雷によるものだ。落雷は'50年頃までに59%増えると予測されている。山火事は78%増え、焼失面積は50%増えよう。アラスカは今までのCO2吸収源から排出源に変化する可能性がある。その一方で植生の変化でツンドラ地帯でも樹木が育ち落葉樹が針葉樹に取って代わるところも出てくる。ロシアのような北国は、温暖化が国を豊にする可能性をあるいはあてにしているのではないかと、私は思う。脱炭素に全く冷淡なわけである。
「山火事の見えない脅威 機上観測があぶり出す健康被害」は、大規模山火事の公衆衛生上の問題を、FIREX-AQなる前例のない数百万ドルの大型プロジェクトで追跡する。セコハンながら大型のジェット旅客機DC-8を買い入れ、わんさかと化学分析器、ゾルやミストの検出装置を積んで、山火事現場に飛びその上流対流層までの分析に当たる。分析機器には、私もはじめて耳にするプロトン移動反応質量分析器なる新開発の装置もあった。
PM2.5粒子(肺に付着して血中に入り込む可能性がある)生成のダイナミックス、オゾン発生のダイナミックス(上部対流層のペルオキシアセチルナイトレートPANは煙の下降とともに温度が上がり、それに応じて分解して元の窒素酸化物に戻る、そしてオゾン生成をもたらす)が判ってきた。オゾン発生に関しては、新たにカテコールの働きが新質量分析器のモニタリングで判りだした。
「知られざる水源 山岳氷河の危機」に、やせ細る氷河をネパールの峡谷で、時には標高5300mまで機材を運んで、現地調査を続ける科学者のレポートを載せる。世界の氷河は20億人の水資源になっている。高地では低地の平野部に比べて温暖化のスピードは速い。その一つの理由には、極地地方でも起こっているように、アルベド(入射光に対する反射光のエネルギー比)の下降だ。地球全体が1.5℃温暖化すれば、ヒマラヤでは2.1℃の温暖化が起こる。温暖化に歯止めがかからなければ、ヒマラヤでは50〜60%の氷が失われる。
水資源の保護には国際協力が、ことに流域が多国間に跨るヒマラヤ地域では、必要不可欠だ。中国、インドを含む8ヶ国は'20年に協定を結んだのは朗報だ。その中に「山に関する政策に科学の知識を生かすこと」というのがある。福島原発処理水処置をめぐる「科学無視」的姿勢の国が'20年には科学重視の協定を結んでいるから、やっぱりかの国の外交は色眼鏡で見ざるを得ない。
「熱くなる極北のるつぼ スヴァールバル諸島からの報告」のスヴァールバル諸島は日本の東北6県と同程度の広さのノルウェー領で、ロシアのEEZに接し、「「熱い戦争」の現在」('23)の「北極海争奪戦」で見たように、国際的にややこしい位置にある。無人島だったが一次大戦後、ノルウェーが「無差別原則」の下で管理人役を任された。雪と氷に閉ざされたさしたる産業のない平和な地域だったが、温暖化が内政的にも外政的にも色んなあつれつをもたらす。
北極圏でも温暖化のことに早い地域である。冬季に雨が降り、海水が氷結しない。永久凍土の昇温が続き活動域(夏場にゆるみ秋に凍る最上部)が厚くなる。そのため永久凍土に載っている建物の地盤が崩される、雪崩が起こる。海水温の上昇は、鱈や蟹の北上を呼んだ。日本の沿岸漁業で、鯖や鰯の北上が確認されているのと同じ。最近にTVニュースで三面川の鮭が獲れなくなったことを知った。稚魚まで育てて放流した鮭が故郷の川に戻ってこないのも温暖化の影響か。この諸島には、観光船が、オーバーツーリズムが心配されるほどに、頻繁に来るようになった。観光業が伸びている。転入者が増え人口の37%を占める。だが定住志向は低く、「地域問題に一致団結」する姿勢が取られにくい。日本で外国人人口が多い団地などでよく言われていることと同じだ。
大陸棚には厖大な地下資源が想定される。スヴァールバル条約は12海里までの漁業権には触れているが、EEZには言及していない。資源が明らかになるとともに、国家間のパワーゲームが芽を吹き出している。中国が「無差別原則」の下、科学施設「黄河ステーション」を設置したのも刺激材料になっている。
「頻発する豪雨・豪雪 温暖化で水蒸気が大暴れ」には、1990年代半ばに比べて地球全体で「たった」4%増えただけの大気中の水蒸気が、豪雨・豪雪をどれほど増加させたかを記している。地域に集中して、しかも予報が間に合わないほどの間に急激に災害をもたらす。災害原因は雨量だけではない。熱帯諸国には高温高湿のつまり高体感温度の熱波が襲って、体が冷えない人々が死ぬ。
水蒸気は温室効果が高い。熱帯域では赤外線吸収は限界まで来ているから、湿気がさらに加わっても影響は低いが、寒冷地帯に持ち込まれると温室効果を発揮する。赤道域から北に延びたテンドリル(湿った大気の指)が北極海気温を急上昇させたことがある。近年線状降雨帶の予報が気象庁から発令されるようになった。スパコンのおかげだ。だが地球規模の極端な豪雨の予報には、大気はもちろん海中(海面下数十mまで)の3次元的な測定観測が必要になる。
第4章は「賢い農法で地球を救う」から始まる。農地の土壌の炭素貯留量(根茎)を増やすことで、農地の荒廃を防ぎ、温室効果ガスを減らそうという主張だ。土地をなるべく耕さない農業「不耕起農法」を実施する。収穫後の作物の切り株を残す農法だ。「被覆作物」を冬季は育てて土壌を涵養する。トウモロコシの根は浅い。その畑の10%を多年草(スイッチグラスの根は4mに達する)に置き換えるだけで、畑の土壌浸食を95%も減らせるという。牛のゲップにメタンが多いことはよく知られている。世界の温室効果ガスの4%にもなると言う。「(牧草)再生型集約放牧」を説いている。牛が牧草の再生を遅らせるほど根元まで食い荒らすことを防ごうという。北海道でよく見かける牧草ロールは、刈り取り時にこの種の配慮はしていると思う。
「共生細菌サプリがサンゴ礁を救う?」にブラジルの野生サンゴ礁再生実験が紹介してある。我が国でも喫緊の問題だ。共生細菌サプリというのは本文中にはプロバイオティクス(のカクテル剤)として出てくる。
サンゴの群体はポリブの集合体だが、そのポリブはさまざまな細菌類と藻類、真菌類などの微生物を共生させている。これらは宿主のポリブと、丁度人間の腸に住み着いている微生物のように、ポリブの生命活動に寄与している。衰弱して白化現象を起こしたサンゴに、これら微生物の有効種カクテルをサプリメントとして与えて元気を回復させようという取り組みである。
生物環境的に独立性の高い、つまり他種生命体や他のサンゴ群体への未知の悪影響を及ぼす懸念が低い、紅海での実地試験が予定されている。紅海は高温。高温耐性を支える微生物の発見があるかも知れない。
サンゴ礁修復の研究については、各国でさまざまな方法が試されてきた。イスラエル、オーストラリア、アメリカ、イギリスなどの成果が記載されている。「進化アシスト」という手法で、品種改良に成功した例がある。出芽による無性増殖から活力ある赤ちゃんサンゴを得た実験がある。ゲノム研究も進む。フロリダでは「石サンゴ組織損失病」治癒の抗生物質を放出する細菌株をサンゴから取り出し、それをプロバイオテック剤とする実地試験が既に行われている。
「森を動かせ 遺伝子流動アシスト」の冒頭に、気候が悪化しても樹木は適地に歩いて移動できない、そこで代わりに有用な遺伝子をヒトが再配置する試み「遺伝子流動アシスト」が始まったと書いてある。カナダのバンクーバーが含まれるブリティッシュコロンビア州は温暖化と湿潤化が進む。林業が一大産業であるこの州は、先進的に、森を動かす研究を進めてきた。南はカリフォルニア州中央部から北はアラスカにいたる広範囲から持ち込んだシトカトウヒの苗の、州大学の実験農場での成育状況の描写がある。同じ種でも、それぞれの地域に適した遺伝形質の差が見られる。自然交配種の中から、環境変化に対する自然淘汰という選別を受けて、新たな森林を作るものが出てくるだろう。厖大な遺伝子解析がこの選別をアシストする。
「ロックの危機 気候変動がエレキギターを脅かす」は、エレキギター素材の「スワンプアッシュ」なる樹木が入手困難になってきたと記す。ミシシッピー川下流域の度重なる洪水と、トリネコ属植物が大好きの外来(ロシア、アジア原生)昆虫アオナガタマムシによる枯死が原因だ。日本にはトリネコ属植物は自生しており(トリネコ、シマトリネコ、アオダモ、ヒメアオダモなど)、アオナガタマムシも原生している。余計な話だが、正倉院の玉虫厨子のタマムシの翅はヤマトタマムシのもの。
「気候変動で広がる人獣共通感染症」は、リフトバレー熱の感染飛び火がアフリカ南部東部からエジプト、アラビア半島に移り、今やパンデミックが心配されている事態をネタに、世界的視野からの感染症対策を模索する。リフトウィルスは蚊を媒介生物とする。蚊の発生は植生と降雨が密接に関係する。エルニーニョのゆれが影響すると認められている。国際的NPO「エコヘルス」が気象と植物、昆虫、動物、人間の相互作用を調べている。この種の包括的アプローチは疫学と生態学、気候学、獣医学、昆虫学の専門家が大勢必要だ。
アメリカは米疾病対策センターCDCを中心に、世界健康安全保障アジェンダGHSAを立ち上げ、60ヶ国以上と協力して、大量の資金を投じて現地での防疫業務を指導・実施してきた。だがトランプ大統領(当時)がGHSA予算の大幅削除に踏み切った。気候変動による感染症の大暴れが起こりそうな時期なのに、心配な方針転換である。

('23/11/20)