住まいの変化


新しいマンションを検討する機会があった。住まいの変化は激しい。一度要点だけでも纏めておこうと思った。
親元の家は、三回替わったが、いずれも純和風木造建築だった。便所はどれも汲み取り式だった。会社(昭33入社)の独身寮、社員アパートはコンクリート造りの畳部屋で、便所は和風だが水洗式であった。独身寮では共用であった。風呂は独身寮では銭湯型で、社員アパートも昔はそうだったらしいが、私が入居したときは家ごとに設置されていた。
松戸市立博物館に行くと、公団アパートの1戸が実寸大模型で展示されている。長い間全国の社員用公務員用アパートの標準となった、今となってはなつかしいよく似た構造である。お心当たりの方は一度ご覧になると良い。持ち家制度ができたのはいつ頃だったか、私がアパートの一室を買って社宅を出たのはもう20何年も前の話である。和洋折衷住宅であった。リビングがしっかり空間を取り、和室1、洋室2だった。風呂は和風で、便所は洋式水洗になっていた。
さてこの新しいマンション、間取りは私のアパートとよく似ている。3LDKで、3の内訳は和1洋2である。風呂は和風、便所は洋風なのも同じである。廊下とリビングは板の間で、靴は玄関で脱いで、下駄箱にしまい込むようになっているのも同じである。ヨーロッパやアメリカで個人の家を訪れたとき、靴を履いたままで上がったが、何とも落ち着かなくて弱った。外の泥を家に持ち込まない習慣は幼い頃からのものだから、我が家の中を靴を履いて歩く風にはなかなか成らないだろう。和室が完全になくなったら別だが、単身者用は別として、あまり起こりそうにない。私の世代以降はどうやらこんな生活に落ち着きそうなんだなと思った。
和室には定位置が無い。少し後退気味である。台所が進歩したのと対照的である。私のアパートでは日当たりのよい窓際に設えてあるが、新しいマンションではリビングが南向きの全域を占めていて、和室は台所の向かいの窓のない位置である。和風建築では外の明かりが入らない部屋は滅多に作らない。明治初期の大名屋敷徳川戸定邸を見たが、あの広いお屋敷に一部屋あったかどうか。中山道の奈良井で宿を取ったときにそんな部屋を宛てられて憂鬱だった経験がある。そのときは街道に面した部屋に代えて貰った。リビングを挟んで明かりはあるが、ちょっとこの和室は住み難くなっていると思った。
各室にTVと電話のケーブルが来ている。個人の独立性を大切に暮らそうというのかもしれない。それだけファミリーの交流は薄れて、家族の絆は細まる方向だろう。親も子もますます自立心を要求される時代へ進むことを、この建物は物語っているようだ。冷暖房機設置を予定しているのも進歩である。

('98/05/16)