金閣寺
- 三島由紀夫:「金閣寺」、新潮文庫(1960)を読む。TVで、金閣寺放火炎上と再建の物語をやっていたのに触発されて、読むことにした。実際の炎上は1950年、敗戦後の混乱がようやく収まりかけていたが、放火直前に朝鮮戦役が始まった。
- 私は少年時代を金閣寺とはそう遠くない町で過ごした。父に美術の趣味があり、戦中だったがそのお供で、同好会の面々と焼失前の金閣を最上層まで見学したことがある(「京都の歴史U」('08))。外面の金箔は大半が剥げ落ちて地肌の色に戻っていたが、3Fの内壁上側には幾分かは金箔が残っていた。1Fには仏像、義満の木像(維新の時に勤王の志士によって首がはねられたという史実は知っている。でも像が首なしのままだったかどうかは思い出せない。本書ではこの事件は触れられておらず、実際は首がある姿の国宝だったらしい。)があったが、2、3Fはがらんとした空間だったと記憶する。私はまだ小学生であった。創建当時の金閣を我が目で見た人は、もうほとんどいないのではないか。今では私はその金閣の数少ない証言者に入っている。
- 放火犯・林養賢の生い立ちは成生という日本海に面した寒村である。そのころは海軍の舞鶴要塞に含まれていた。私は小6の時集団疎開で舞鶴市北80kmほどの寒村のお寺で半年ほど過ごした。成生は西20kmほど。TVで出てきた漁村風景は私の疎開先とよく似ていた。養賢は部落の西徳寺で生まれ育ったという。疎開先のお寺は今は無住職だが、疎開時は在職していて、私は少年のお寺の生活の雰囲気は、感覚的にすぎぬが、少しは判る方だと思う。Webに「三島由紀夫と水上勉の「金閣寺」を歩く」があって、小説を読む手助けをしてくれる。
- 第1章に、あこがれた娘が脱走水兵に射殺される、実は看護婦勤務の時に彼と割りない仲となり子を孕んでいたという挿話がある。「おしん」にも脱走兵を匿う話があった。性格形成の材料としてよく使われた小話だ。
- 第2章は敗戦前の年、昭和19年。金閣は永遠の手の届かぬ崇高な美しさを備えていると信じてきたが、戦況の悪化は、米機の焼夷弾の雨で京都が焼き尽くされ、金閣も運命をともにすると言う想念に現実味を与えるようになった。金閣が灰燼となって人と同じようにこの世から姿を消すかも。終戦までの1年は、金閣が養賢と同じ高さまで引き下げられ、彼は怖れげもなく金閣を愛することが出来た。
- 彼のその頃の生活が記されている。金閣寺住職の計らいで臨済学院中学に入れて貰ったが、僧院にも学校にも戦争協力の風が吹いていた。経も習わず、本も読まず、来る日も来る日も、修身と教練と武道と、工場や強制疎開の手伝いなどで一日が暮れた。中学と小学では役割に雲泥の差があった。小学生にはさすがに農作業ぐらいの協力業務しか回ってこなかったことを覚えている。お寺の壮年男子は兵役に取られ、在職は老人に少年、それにお手伝いなどの少人数で寺を切り盛りしていた。
- 第3章は父の一周忌を挟んで母と養賢の間の愛憎の葛藤心理が物語られる。養賢には慈母の面よりも負の裏面を許せなかった。貧窮のあげく寺をたたんで叔父の世話になるという母を拒絶していた。老師を敬愛するというよりも白けた思いを重ねて眺める風だった。やがて敗戦。一旦は手元に下りてきた金閣の美は、再び手の届かぬ永遠の崇高さに輝くようになる。老師は昭和22年、18歳の彼を大谷大学予科に入学させる。
- 第4章は、養賢が、ジープで乗り付けた米兵に半ば強制されて、その連れのパンパンの腹部をけり、堕胎させ、彼女が老師に怒鳴り込む事件の後始末から始まる。老師は慰謝金を渡し、寺内不問としたが噂が広がる。吃音の彼のために弁明に立ち上がろうという友がいた。この友・鶴川(同年の修業僧)は、養賢を周囲から孤立させてきた吃音を意に介しない、一見、健康な常識人だった。だがそれを断る。大谷大学の同級生に内飜足の不具者・柏木がいた。彼から片輪ものの哲学を聞く。私には随分と病的と映る。彼は養賢に「吃れ! 吃れ!」とけしかける。彼は不具を種に美女をものにした経験を話す。チンバと陰口をたたかれていた中学の先輩が早々に結婚して、彼女の同情結婚だと妬まれた例を思い出す。
- 第5章と第6章は鶴川の事故死と柏木の誘いを記す。鶴川は、その明るい善意でもって、柏木との交際に警告を送っていた。養賢は1年を喪に服すように元の孤独な生活に戻って暮らす。柏木は養賢を嵐山散策に誘う。生け花の師匠と下宿の娘の4人連れの遊山だった。女2人はかっては柏木の情交相手だった。2人の養賢への関心は、養賢の行為寸前の逡巡でたちまちに醒めてしまう。逡巡は、威厳に満ちた憂鬱な繊細な、はげた金箔を残した豪奢の亡骸と表現されている金閣の建築が脳裏に現れたことによる。金閣が人生への渇望のむなしさを知らせに来たとある。生が我々に垣間見せる瞬間的な美しさは、たちまちにして崩壊し、滅亡したともある。
- 第7章の終わりで養賢は「金閣焼くべし」と決心する。第8章には実行の期限を自覚させる出来事が並ぶ。第9章は五番町の遊郭。第10章は放火、燃えさかる金閣をあとに左大文字山に駆け上り、生きようと決心して小説は終わる。
- (読者から見ればだが)養賢は亡父の縁で、金閣寺の老師の手厚く親密な保護を受けていた。しかし養賢は老師を敬愛できない。偽善とするひがめが先行する。老師には祇園に馴染みがあり、たまたま新京極をうろついていた養賢が目撃する。馴染みの妓のプロマイドを手に入れ、憎悪の証のように老師の読む新聞に挟んでおく。破滅を望むように、学業はサボり、返済のあてもないのに、柏木から借財を重ねる。出奔して古里を歩く。鶴川が自殺をほのめかす手紙を、自分ではなく柏木に幾通も届けていたことにショックを受ける。本書にはないが、母は事件後面会すら出来ず、列車から保津峡に投身自殺する。本書には養賢の心からは母は完全に除外されていたかの如く何も触れられていない。醜悪と認識されたままだった。
- 柏木が老師に返済を訴えると、老師はその肩代わりをする。養賢は老師からの破門宣告を心待ちしている。老師は、これ以上の不行跡にはとまでは口にしたが、さらに多くは云わず、一縷の望みを彼の改心に掛けているような雰囲気だった。老師は彼に大学通学次期経費を渡す。彼はそれを放火準備費と遊郭登楼費に当てる。登楼は自分に打ち勝つために必要だった。何度も金閣の永遠の美という幻に妨げられた一線を、ついに越える。2度登楼した。2度目は確認だったろう。心理認識上はとても大切なプロセスであった。
- 火を放つ直前、養賢の脳裏には、またしても、雨夜の闇の金閣に類なく美しい幻の金閣が浮かび上がる。焼火による世界変革を認識するだけで行為に及ぶことはない。周到な準備で燐寸をする前まで来たことで十分だと観念する。だが幻の金閣を追い払ったのは、臨済録示衆の章の名高い一節だった。「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、はじめて解脱を得ん。物と拘わらず透脱自在なり。」これは多分ヘーゲルの「aufheben」を指している、過去や周囲との因縁から解き放たれた時、大局が見えるといった意味だろう。犯罪の免罪符ではないことは明らかだ。
('23/10/31)