
- 世界一の長寿国で、人口再生産率が最も低い部類の國となれば、年金を支える就労年齢の人々の負担はますます重くなる。いま厚生省では、負担の増加と支給金の切り下げについていろんな試算がなされているが、どれもが憂鬱な内容である。
- 私の親の代は生涯の掛け金の10倍は貰えるという試算があるそうだ。昨年からの私の代は倍だそうである。しかし我が子の代は原資だけで云えば半分、孫の代ならもっと少ないだろう。年金を支えて行く若い層から見れば、これは不条理にも見えよう。
- しかしこのシステムには社会構造の変化の歴史ががっちり絡み合っている。親の代までは子が年老いた親の面倒を見るのが当然であった。金銭面だけでなく、終末に至る介護の世話までやっていた。家族の中に流れる情愛の深さ−絆−がそうさせるのかもしれないが、世話する方−大抵は外から来た嫁−の努力忍耐は並大抵のものではない。
- 私の代では個人が尊重されるようになった。嫁の犠牲で親の幸福に奉仕するスタイルが終わった。そのかわりに10倍の年金を贈って自由な老後を楽しんでいただく方式にした。家からの開放である。親の世代がこの解放に積極的でなかったら今の自由気儘な生活は生まれなかった。
- 私らは日本の経済を10倍に押し上げた。よく比較に出す数字だが、私の昭和33年の入社当時の学卒者の給料は、今の高専卒業者の初めての月給の1/10ほどだったのである。酷い年功序列で収入は新入りは定年者の数分の一程度だったと思う。今ではぐっと縮まって2-3分の1だろう。経済を10倍に押し上げた原動力は技術革新である。しかし、当時の改革を担った若者層は十分支払われなかったと云える。今の経済一流国を築いた功績ある世代が、積み立ての倍の年金をもらうのはまあ当然といえる。
- 我が子の代は年金負担問題を自身の責任で切り抜けなければならない。ではどんな手でと思う。もう我が国だけが世界一の活況を引き寄せるなんて話は流行らないし、世界的に見て危険な思想である。我々の現役時代に云われた、人の三倍働いて倍の収入を得る、というのももう時代遅れであろう。だが、一つある。それは人口再生産を正常に戻す方策を打ち出すことである。生物は有限の命を無限にするために生殖を発明した。生きる目的は子孫を生み育てることである。これは今更地球40億年の歴史を問うまでもなく永遠の真理である。日本人だけがこの例外ではない。
- 子孫を作りたがらない理由は次々に取っ払わねばならぬ。その方策は別の議論として、年金に関しては、子孫を作り育てる成人と子孫のない成人に明確な差をもうけるべきである。次の世代が我々の年金を払うというのに、次の世代を生みもせず養いもせず育てもしなかった人たちが、生命活動のかなりの部分をそのために当てて年取った人々と同等に扱われるべきではない。
- 今専業主婦も年金積み立てをせよという議論があるという。年金積み立てをする働く女性に比較して不公平だという。専業主婦が子のない有閑マダムで遊び呆けているのならその議論もよいが、専業主婦は大抵は子育てに専心するための選択である。誰が支えるのかを考えたら、子孫に努力を払わなかった人々が、より多くを負担するのが当然という視点が一番正しいように思う。
('98/05/06)