にっぽん丸"春の船旅"(その一)
- 3/26~3/31の間「にっぽん丸 春の船旅〜宮崎・音戸の瀬戸・徳島〜」に出かけていた。船で卒寿の誕生日を迎える。にっぽん丸はなぜか久しぶりである。「春の八丈島」('10)以来だから13年ぶりだ。
- 私のパートナーは、平地は何とか歩けるが、乗り物の乗り降り、勾配のある路、階段、エスカレータには神経を使う。特にエスカレータは階段が勝手に動くから、万一足が前へ出ない場合を想像すると恐ろしい。本人のダメージも大きいが、後続の人たちにも大変な迷惑をかける。だからエスカレ−タを回避できるコースを調べる。横浜駅構内のJR線とみなとみらい線の接続は困難だ(「びいなす終了クルーズ乗船録」('22))。都会のJR駅内上下移動にはエレベータが必ずあるので、オールJR利用とした。桜木町駅からはタクシーのはずだったが、雨のせいか長蛇の列。循環バス「あかいくつ」が大桟橋まで来ていたのを覚えていたのでそれに乗る。「あかいくつ」は大回り(約50分)。最後に大桟橋に着いた。横浜の観光名所をぐるりと巡るバスツアーになった。集合時間ぎりぎりにチェックインした。1時間ほど余裕をとって出発していたので遅れずに済んだ。
- PCR検査に小1時間。全員パス。避難訓練後食堂へ。にっぽん丸にはスイートクラスの主食堂・春日と我らステートクラスの主食堂・瑞穂がある。夕食にはクラス別があるが、朝、昼にはクラス別がない。これは気に入った。乗客数300名弱でステートクラスの夕食は2回制。私は船客満載のわんさか船は嫌いだが、船客数よりも船員数の方が多いという淋しい船旅も好かぬ。レストラン前の列でだいたい解るが、今回のクルーズは丁度良い加減の船客数だった。
- 「びいなす崩れ」の何人かに出会う。ぱしふぃっく・びいなすが運行停止になった。ここ何年間か、我らのクルーズはたいていがこの船利用だったから、知り合いはどこに行くのか気掛かりだった。びいなすは関西に拠点があったからどこへ流れるのだろうか。船客に何組かいた。その中に気軽に口をきける夫妻が乗っていたのはうれしかった。乗組員には船長と食堂のスタッフ2名。航海中船長とは顔を会わさなかったが、食堂の2名は馴染みのお人だったから、助かった。実習見習い中のマークをつけていた。
- 美食のにっぽん丸という。看板倒れではない本物の美食だと最初のディナー(和食)で感じた。クルーズ中のレストラン食はほとんどいつも完食したが、我が家に戻ってから体重を量ると、出発前と同じだった。
- 献立カードの裏の絵は大阪商船時代のポスターの縮小版のようだった。太平洋戦争で壊滅したが、戦前の世界に雄飛していた頃の大阪商船が収まっている。食事の時間が来るごとに違ったポスターが見られる。それが愉しみになり出す。内容を少し紹介しよう。
- 1つ目は、「世界一周大航海 年十回出帆 南阿 南米 パナマ 北米経由 一周運賃 百五十磅 百三十五磅 最良の客船 さんとす丸 らぶらた丸 もんてびでお丸 はわい丸 まにら丸 大阪商船株式会社」なる案内広告。最盛期だったのだろうが、大阪商船1社で年10回も世界一周していたのだ。もっとも描かれている客船はどう見てもせいぜい1万トン程度の船で、貨客船に見える。世界一周とは何日かかったのか、一等運賃百五十磅は今だったら300〜400万円ほどか。2階級なのは現在とは大違いだ。
- 2つ目は、ばいかる丸(これは客船)のスケッチで下に大阪商船主要定期航路図がある。世界を股にかけた定期航路を運営していた。3つ目は、弁天さんの絵と大阪商船の明治38年での所有船、定期航路のリストなどがある。台湾航路、中国航路がとりわけ目を曳く。文字がはっきり読めないのが残念だった。
- 4つ目は、「台湾航路の三巨船」という1万トン級3船の紹介だった。2週3回出帆で、船賃は神戸からの船賃は1等65円、2等45円、3等20円となっている。当時の貨幣価値は今の4千倍だとしたら、今のカジュアルクルーズ船ぐらいの値段かな。亡父は何度かこの航路を乗った(最後は米潜水艦の雷撃で沈没)。1等船客だったらしいが、かなり快適な乗り心地だったようだ。内地ではそろそろ食糧難になりかかっていたが、船にはその影響がまだ及んでいなかったようだった。5つ目は、「海へ」のポスターの縮刷版のようで、横浜・神戸・門司間の1~3等夏期割引運賃が載っていた。1等と3等の差は4倍前後。1等で1泊16円。
- 主食堂以外で良く出かけたのは、プールサイドのリドテラスで、昼の軽食を取るときもあったが、たいていはゴディバ社のショコリキサーがお目当てだった。入れ物は普通のプラスチックだが、ストローが紙製でしかも直径が倍近い。ちょっと変わったチョコレートドリンクである。「にっぽん丸ボボティーサンド」なるマクドナルド型のサンドがあり、南アフリカ共和国の国民食という触れ込みだったが、私には今一だった。飲食できる場はほかにもいろいろあったが、開放感あふれるこのテラスが一番のお気に入りになった。
- エンターテイメントでは三遊亭歌奴の古典落語がよかった。偶然だが、冒頭に紹介した「春の八丈島」('10)でも彼の落語を聞いている。背が高いのにえらく腰が低いのが印象的だった。高座に上がるまでは何を噺すか判らないのがいい。古典だからうら覚えでも筋を知っている噺が多い。でもそれに自分だけの小話を混ぜたりして、歌奴だけの噺に仕上げるのだから、落語家とはたいした才覚の持ち主だと思わせた。立て板に水という雰囲気は作らす、しかも淀みなく噺す。出演の5回全部を聴いた。「(甚五郎の)雀」、「ちりとてちん」、「(谷風と)佐野山(の100両)」、「大岡政談(五貫裁き?)」などがあった。琵琶奏者・川嶋信子のコンサートでは久しぶりに平家物語を聴いた。水谷川優子のチェロコンサート、ジャズクラリネット奏者・花岡詠二のコンサートにも顔を出した。BINGOゲームにはまたも完敗。
- クルーズ歴は1/4世紀近くになった。でも幸いなことに一度も診療所の先生のご厄介になったことはない。航海日は暇なので、船内見学をすることにした。診療所は1Fの奥にあり、おそるおそる覗くと丁度そのときは暇そうだった。医師(内科)1名、看護師2名の陣容だった。昔船内の講演で聴いた「船でのお産」にあった、初めてお産に立ち会う船医の話をしたら結構興味を引いたようだった。私はダンス会場で起こった脳梗塞事件や階段での骨折事件の処置現場を見たことがある。昨年のアジアクルーズで脳梗塞事件を起こした船友がこの船に乗っていた。ロングクルーズでの外国の現地病院は心細いから、基本的には船医の腕におすがりせねばならないのだ。
- 見学はこれで終わったのだが、なんのことはない、その翌日に、我がパートナーがアキレス腱あたりの炎症で足を引きずりだし、この先生にお世話になってしまった。昔々先輩がお医者さんとはintimateであるべしと言ったことを思い出した。船客には医師が乗っていることが多く、彼らはいざというときは積極的に救助の手助けをするのを見ている。しかし公式には医師は船医だけだから、このintimateは大切だ。
('23/4/22)