北条政子
- 「永井路子 歴史小説全集九 北条政子」、中央公論社(1995)を読む。600p余の長編である。作者の訃報を知り、代表作としてこの作品を取り上げた。新聞には「北条政子」と「炎環」がNHK大河ドラマ「草燃える」の原作になったと紹介されていた。昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にたいして、本HPの「小説・鎌倉殿の世界」('23)では、永井路子が「覇樹」で2代執権・北条義時の視点から覇権の移り変わりを描いており、三谷幸喜の脚本は粗筋において永井の小説とそっくりであると紹介した。
- 「あしおと」から「白玉の・・・・」までの150pほどを一気に読んだ。政子21歳の頃から物語が始まる。縁遠かった政子が、父が京都警護役(大番)で不在であったとき、女癖にとかくの評判をとっていた頼朝に惚れ込み妊娠。父・時政は激怒。だが弱味があった。都から牧の方という後妻を連れ帰っていた。すでに一子設けており、おまけに牧の方は政子と同い年。それに政子はもともと煙たい存在であった。時政は事実婚を認めざるを得なかった。頼朝が挙兵し平家一門の山本の館は攻略したが、石橋山がの合戦で一敗地にまみれ、行方不明。政子は隠れていた伊豆山権現から追っ手を避けるために、味方の土肥領の熱海あたりを指して落ちようとしている。総領の三郎は戦死。
- 婚期を逸しそうな政子が家事情さらには社会事情の中で右往左往しながら、それでも勇気を出して、後世から見れば正しい判断をしていく当たり前の人間政子像が描かれているが、「鎌倉殿の13人」で見た政子とよく似ている。それまでの男勝りの冷徹な女という史観からは転換している。三谷幸喜の脚本は、「覇樹」だけでなく、永井路子のこの小説にも負うところが大きいようだ。
- 次の150pは「海光る」から「甲はじめ」まで。本小説の視点は政子にあるから、彼女の行動範囲での彼女の見聞による物語になっている。頼朝が安房へ船で逃げ、そこから再起して源氏の棟梁として鎌倉に本拠を置くようになる長い経過は、政子が避難先から御台所として迎えられて知った短い文章に纏められている。平家の都落ち、壇ノ浦での滅亡などはごく簡単に紹介されているだけだ。それとは対照的に政子の身辺に起こった出来事は、顛末を詳しく述べてある。
- 木曾義仲の長男・義高(11歳)と慕っていた長女・大姫(6歳)の、政治的配慮から来た悲劇(「鎌倉殿の13人」でも描かれていた)、囚われた義経の思い人・静御前をかばう政子の心痛、亀の前に対する後妻打ち(うわなりうち)に続いて起こった侍女・野萩をめぐる夫との確執などは、頼朝一途の政子の愛と、ときには暴走しかねない政子の烈情を表現している。長男・万寿は、乳母と比企能員の一族に取り込まれそうになっていた。この全集の付録に「乳母(めのと)の時代」という1節があるが、比企一族のバックアップぶりは、将来投資のためとはいえ、強引な面が目立っていたようだ。政子は、万寿がわが血を引いた強い性格で、母に対しても我を通そうとする姿に気付く。
- 「灯の祭」から「柳の庭」の150pは、奥州の九郎義経から始まる。藤原三代100年の奥州はたちまちに鎌倉勢に制覇された。この強さは組織と統制力の勝利としている。封建制は当時の新思想で、平家にも奥州藤原にもなかった一所懸命の縦に繋がる新体制であった。影の存在でしかなかった正妻・小菊と娘4歳が黙々と九郎に従って死んだとある。政子がそれに板東女の心根を見ている。
- 富士の巻狩りに起こった曾我兄弟の仇討ちには複雑な背景があった。作家は反主流派のクーデターと睨んでいるが、それ自体は不成功だった。異母弟・範頼が疑われ殺される。朝廷懐柔は頼朝の次の悲願であった。長女・大姫の入内(後鳥羽帝)は姫の死で挫折、次女・三幡(14歳)入内交渉は順調だったが、頼朝の落馬(脳溢血)死去(53歳)ののち、姫が大病で倒れ死去。頼家(万寿)将軍に時代になる。取り巻きが比企一族主体になる。頼家Gの無体な政道への反発が「鎌倉殿の13人」合議制を生む。
- 決定権を取り上げられた頼家の生活がすさみ始める。「京の舞姫」を女遊びのターゲットに選び、亭主・安達景盛を治国見回りに追い出してから、取り巻きに彼女を掠わせる。景盛は、藤九郎の嗣子であった。藤九郎は頼朝と政子の縁を取り持って以来の功臣で、13人に入っていた。頼家Gと景盛の武力闘争が起きようとしているとき、気付いた政子が景盛邸に駆け込み、頼家を詰問する。政子は頼家を突き放す時期に来たと悟る。「鎌倉殿の13人」では主役だった北条四郎義時は、まだほとんど本書には顔を出さない。一番下の弟・五郎が、頼家の鞠の会に出る付き合いで得た比企一族の姿を姉・政子に伝えている。政子は比企の筆頭・能員と黒幕の側室・若狭局に敵意を抱く。政子、北条対頼家、比企の対立はのっぴきならぬものとなってきた。
- 最後の150pは「妄執の館」から「修羅燃え」と「付記」まで。「付記」には、出来るだけ史実に忠実に、小説を展開しようとした作者の姿勢が記されている。先手を打ったのは比企だった。頼家の叔父・全成(僧、常磐御前の長子)とその息子が犠牲になる。頼家との破局を政子は思い知らされる。終止符を打つ「きっかけ」が来た。頼家が突然倒れ意識不明で回復の見込みが立たない。
- 将軍家の跡継ぎは決まっていない。世嗣を決めるためには枕元に立たねばならない。頼家、政子は御所、北条、比企はそれぞれの屋敷、若狭局とその長子・一幡6歳も比企の館。比企能員は北条時政に局と一幡の御所見舞いの了解を取る、それは北条の奸計だった、平行して出された北条時政の平癒祈願の催しの誘いに応じて、能員は時政の館を訪れ斬殺される。時を移さず北条勢が比企の屋敷を攻め落とす。局も一幡も落命した。誤算は頼家の病気回復だった。彼は伊豆の囚われ人となり刺殺される。このクーデター劇で四郎義時の際だった差配がクローズアップされる。頼家次男の善哉(のちの公暁)の乳母父としての三浦義村が、思慮深い武将として出てくる。彼も頼朝旗揚げ時代からの功臣である。
- 実朝(幼名:千幡)の乳母は全成の妻で政子の妹・保子だった。政子との繋がりに波風はなく、政治には淡泊でさしたる敵もなく、歌人としての才能を開花していった。順調すぎるほど順調に次々と高い階位を朝廷から賜った。その実朝が鶴岡八幡宮における右大臣拝賀の式から下りる雪の階段で、公暁と腹心の僧団に襲われ落命する。四郎は寸前の情報で難を逃れた。襲撃の黒幕・義村は、北条のたちまちの立ち直りに反応して、身の危険を察知し、公暁を切って捨てる。これで政子60歳はわが子わが孫のすべてを失う。実朝には都から迎えた正室がいたが、子をなさなかった。側室も設けなかった。頼朝側の血筋にも、将軍職を継げるほどの立場のものはもういなかった。
- それまでの政子の、不幸な孫・公暁に対する愛情は細やかだった。実朝の猶子とし、都に僧としての修業に出し、頃合いを見計らって八幡宮の別当に迎え入れた。だが政子に見せる彼の行い澄ませした表の顔は祖母・政子を籠絡するための仮面で、内心は報復と将軍家乗っ取りに懸命であった。三浦の子・駒若を色子とし、八幡宮の青年僧に熱狂的な支援Gを持っていた。公暁の男色をカモフラージュに使った策謀ぶりが書かれているが、これはきっと作者のフィクションで史書にはないものだろう。
('23/2/21)