国際通貨としての宋銭
- 井上正夫:「東アジア国際通貨と中世日本〜宋銭と為替からみた経済史」、名古屋大学出版会(2022)を読む。先に「飛鳥〜戦国のお金」('22)で、同じ著者による我が国のお金の変遷に関する少年向けの著書を紹介した。本書は600ページに近い貨幣と金融の歴史専門書である。門外漢の私が読みこなせる内容では無さそうだし、読み切るほどの強い関心もない。以下は序章と目次あたりからピックアップした興味ある収録事実と浮かんでくる著者の問題意識を、私本位に記録したものである。
- マルクスの貴金属通貨に対する見解が紹介してある。「イングランドでの銀、古代ローマの共和国、スェーデン、スコットランド等での銅のように、多くの国々では、はじめは価値の小さい金属が貨幣として通用していたのに、あとになって流通過程がそれを補助貨の地位に引き下ろし、そのかわりにより高貴な金属を貨幣とした・・・諸国民は、彼らが豊かになるのに応じて、価値の小さい金属を補助貨幣に、価値の大きい金属を貨幣に転化させた」。貴金属貨幣の社会はより高次の経済水準にあるとする。
- 日本の古代では無文銀銭、和同開珎の銀銭が通貨のスタートだ。江戸期に入っての小判や丁銀は貴金属貨幣。しかし国際通貨としての宋銭は銅の「物品貨幣」ではなく「信用貨幣」(素材価値以外の信用部分がある通貨、信用部分は貨幣発行者の利得の源泉で、国家が独占する理由であり偽造があとを絶たない理由である。銅ではその割りは大きかったろう。)で、金銀が貨幣の価値を決めていたのではない。それが宋の滅亡後も、すべてではないにせよ国家間ですら400年近く通用する。マルクスの話はアジアでは修正せねばならないのでは。
- 宋は960〜1279。そのあとは元が1271〜1368、続いて明。それにもかかわらず宋銭は東アジアでは息長く流通し、1600年前後まで主要国際国内貨幣であった。日本では1570年を境に利用が後退した。しかしベトナム等の地域ではなお通用し続けた。17世紀鎖国下の日本では、「長崎貿易銭」という模造の宋銭を鋳造し、ベトナムへの支払いに充てている。宋銭の銭文こそがベトナムにおける貨幣の信認に関して重要であったこと、宋銭の価値は中国の権力の実体と無関係であったことは、とてもじゃないが、西欧流の理路整然の経済学だけでは理解できない出来事であろう。日本からの遣明使節が、明での銅銭の受納に関しては、滅亡した宋の銅銭を要求し、明銭を忌避したという記事も載っている。
- 日本では、和同開珎以来の理解で、価値交換媒体としての貨幣理念が一般に理解されていたから、「宋銭も可なり」と言う銭慣れにも助けられたろうが、宋周辺のその他の国ではどうだったか。高麗では流通しなかった。高麗を服属させた大陸の各王朝への貢納義務が重く、貿易黒字の創出が困難であったため、国内に浸透しなかったからだと書かれている。時代は過ぎて17世紀には銅銭が流通する(第16章)。一方遼は、宋とは対峙関係を続けながらも、宋銭は主要貨幣として流通していた。遼の莫大な貿易赤字にもかかわらず、宋から遼に支払われる貢納銀によって、赤字が補填され、貿易による赤字のための宋銭還流が弱まったためとされている。
- 日本は対外的に独立を保ち、収奪を受けることも歳賜を得ることもなかったが、貿易全体で黒字が確保されたことと、宋銭の密輸の際に使用される砂金が豊富に存在したことにより、宋銭が確保され、国内に大量に流通した。
- 宋銭は貿易商が自己の利益のために移動させ、人々も自らの利便のために使用したもので、国内の権力はこれを制御できなかった。中国の歴代王朝は、貨幣供給量に関しては、莫大な銅銭備蓄に比較すれば、僅少な追加供給しかできなかったのだから、流通銅銭に対する影響力も限定的であった。「中立」の根本をなす背景である。
- 紙幣は究極の信用通貨で、刷れば刷るほど発行元はほぼ丸儲けである。来年の日本政府はおそらく40兆円以上を銀行からの借金にするのだろうが、貨幣改鋳どころでない「国家への信用」への悪乗りである。その紙幣は北宋10世紀末期から11世紀初期に四川地方の民間の為替文書から発生し、のちに気付いた国家が発行権を接収した。金や元でも紙幣流通に成功するが、末期には崩壊。明代には、紙幣復活のための強制的政策がとられ、かえって幣制は混乱し、銀が貨幣として流通して、宋銭は貨幣の地位を失うとある。
- 日本では、為替のしくみが宋銭流入以前から独自に発生していた。経済の発展に金融は重大で、12世紀以降の宋銭流入を基盤として為替が本格的に発達し、14世紀初頭には、より流動性の高い割符が登場する。現物の現送によらずに文書を介在として価値を移転させる手法の登場〜為替には、参画者の不安を軽減するしくみが必要で、その事例の検証がなされている。割符についても1章儲けている。時代劇によく密輸と割印が出てくるが、こんなもので代金と商品のやりとりをする昔の商人は、よほどの剛胆さと信用への見極め眼力が必要だっただろうとよく思う。文書を駆使して価値を移転する技術を理解し受容する感覚は、私札や藩札の原点だし、近世の紙幣発達の基盤でもある。
- 最後の第V部は「宋銭の時代の終焉」。以下少し長いがその裏ページを引用する。明代になっても旧銭優位だったから、我が国では明銭が悪銭として扱われ、悪銭問題が発生することによって、それまで安定的であった割符のしくみが崩壊する。割符では、信頼関係のない持参人に対する割符屋からの払い出しにおいて、悪銭問題が克服できないからである。割符の崩壊により、金融は縮小し、銅銭価値が上昇し、銅銭私鋳の追い風となって、悪銭問題は激化し、当然にして割符は完全に消滅した。一方、東国では、悪銭たる永楽銭は、宋銭の代替として残留蓄積し、のちに標準的貨幣となった。
- 織田信長は銀米の貨幣的使用の排除を断行したが、かえって銅銭流通は崩壊した。宋銭が「中立貨幣」であるために、支配者の政策的介入は流通途絶が宿命だったとある。銀米の貨幣化は、支配者の強権的介入に対する市場の逃避的選択であるともしてある。石高制もその流れの一つだ。のちの江戸幕府は宋銭(鐚銭)の代替として寛永通宝を発行し、幣制確立を模索した。だが中立貨幣ではなく国家貨幣。宋銭とは違う金貨基準の補助貨幣として役割を果たした。近代的支配体系の到来で「中立貨幣」の流通は当然に終焉した。その一方で現在我々は新しい厳格なる「中立貨幣」としての、電子を利用した新貨幣:暗号資産別名「仮想通貨」の挑戦を受けている。
('22/12/20)