びいなす終了クルーズ乗船録
- ぱしふいっく びいなすのクリスマスキラキラクルーズ(12/11〜13)乗船録である。2泊3日で横浜港から四日市港までを往復する。就航24年になるびいなすが、今年いっぱいで運行中止となる、横浜発着便はこれが最後らしいというので急遽乗船を決めた。で、部屋の選り好みはあまり出来なかったが、旅行会社は、シアター入り口前の隣は船首側だけの端部屋で、エレベータも近いという好条件の部屋を取ってくれた。政府のGOTO支援金はこの旅行にはつかなかった。今回航海では、ほぼ定員一杯に船客を乗せたのではなかったか。
- 千葉からクルーズ船までの道筋。今回は要支援になった家内の足を考えて、建物を上下するのに出来るだけエスカレータを避けることにした。日本大通り駅では地上に出るためにいつもとは反対の県庁側に出た。大桟橋へは大回りになるが、そこにはエレベータがついていた。ただ横浜駅ではJR駅からみなとみらい地下鉄駅に降りるエレベータが見つからず、やむなくこわごわだったがエスカレータにした。復路でもそのエレベータ・ルート発見に苦労した。駅横の商店街のエレベータだったが、改札口への道は判りにくかった。後述のように四日市の近鉄百貨店でも似たような経験した。
- 大桟橋に12:30集合。1室2人を一組とする唾液によるPCR検査の結果判明に90分の待ち時間。ともかく昼飯の余裕がない電車旅だったから空腹。7階のオープン・バーに行き、サンドイッチを食べた。一息ついてから、すでに到着していた宅配便のスーツケースを荷ほどきし備え付けの引き出しや衣装箱に整理する。セールアウェイの時は、最後だからか、さすがに大勢が大桟橋に集まってペンライトを振っていた。私も船が準備したペンライトを振った。桟橋側では鼓和-CORE-と言う打楽器の楽団が演奏し、こちら側も楽団演奏といつもの出航の時のダンスで交歓した。
- その日の夕食がクリスマスディナー。今回は朝昼晩とも2回制で、OT(なばなの里)参加組と自由行動組に分けられ、我ら自由行動組の夕食は7時半頃からだった。ノンアルコールビールで乾杯。北川料理長によるよく吟味された洋食コースだった。肉料理もよかったが、魚料理「石川県輪島産河豚のカダイフ揚げと鹿児島県垂水産アカバナのポワレ2種のソースと共に」はなかなかの美味であった。
- 2日目の夕食は和食。「里芋饅頭の茸餡かけ」「蓮根の挟み揚げ」は気に入った。2日目の昼食にマグロの二色(刺身とすり身)丼もよかった。最終日の昼飯は恒例のびいなす特製ビーフカレーで、そのレトルト品を何個かロゴショップで買い入れた。
- レストランはもちろん船内のどこもがコロナ対策を徹底していた。マスク徹底、大声禁止。食卓は丸も角も隣とはアクリレート板で隔離するかあるいは席を作らないかで、原則2人でしか会話が出来ないようにしつらえてあった。展望浴室ではカードチェックで入場制限をしていた。カードチェックはすべての催し物で行われた。
- 2日目、殺風景な四日市港に11時頃入港完了。13時のバスで近鉄四日市駅に出た。14時半のバスで船に戻る。百貨店の土産物店や食料品店をうろうろしただけだった、横浜駅もそうだったが、継ぎ足し継ぎ足し作ったような構造で、店内を巡っている内にバス側出口へエレベーターを使ってたどり着くルートが判らなくなった。エスカレータなら簡単だったが、えらくスピードがある上に助走距離があまり取ってない窮屈な作り方だった。これでは家内には危険と悟り大回り。時間の余裕はあったはずなのに結構焦ってしまった。
- 四日市市は人口30万ほどの三重県一の大都市だが県庁所在地は津市になっている。東海道宿場として栄えた。港で貰った「今昔マップ」には多くの寺社城跡陣屋跡などが載っている。なぜか和菓子店が数多い。駅前を旧東海道が通っていた。しかし大戦で景観は一変しているようだ。我々世代には石油化学コンビナート地区として有名だった。駅周囲には鵜森神社、諏訪神社がある。鵜の森公園、諏訪公園が隣接しているから、多分昔は公園敷地全体が神社の敷地だったのであろう。それらは駅から何100mかはなれているだけなので、簡単に訪問できる位置ではあった。それから市立博物館(臨時休館中)とじばさん三重。じばさんとは地場産のことだろう。
- 三重県には何度か足を運んでいる。一番はじめは大学院で学会に出席したときだから、もう60年ほど昔だ。まだ近鉄名古屋線が狭軌だった。お伊勢さん、関宿、津市。湯の山線で終点まで行き樹氷を見た記憶もかすかに残っている。今回のOTのなばなの里には昨年末に出かけた(「Xmas四日市クルーズ」('21))。
- 2日目のメインショーのセント・トロペス&シャーロット(フィリッピン人の専属楽団)のクリスマスソングを聴いた。初日にはテノール(樋口達哉)、ソプラノ(秋津緑)、ピアノトリオによるクリスマス・スペシャルコンサートがあったが、聞きそびれた。大道芸パフォーマンスは3回とも見た。このHPを大道芸で検索すると結構出てくる。クルーズ船にもよく出てくる。今回の演者は松鶴家天太といった。1回15分。3回とも内容はあまり変わらなかった。そう芸達者な感じはなかったが精一杯やっていた。松鶴家千とせ一門だそうだ。今回乗船者には幼児が結構いて、大道芸人の最前列の床に座ってあれこれ芸人とやりとりしていた。見ていて微笑ましかった。
- 新型コロナ禍が出て以来3年ほどクルーズ船ではダンスタイムがなかった。今回もやらないはずだったが、乗船確定後送られてきた日程表に「社交ダンスイベントについて」というページがあって、ダンス教室、ダンスタイムを開催すると出ていた。出席してみた。ダンス中もマスクをせよ、同室者以外とペアを組むなとある。私の今回のように相棒なしで参加したものにはダンス講師かアテンダントが相手するとある。でもその女性はたったの1人。何とも奇妙なパーティだった。チーフの講師には、こんな条件では「社交」ダンスなど無理だねと言っておいた。
- 最終日は5時半頃目覚めた。外は雨模様で暗く7時頃になって明るくなったが雲が厚く視界が開かなかった。持参してきた望遠鏡は富士山を見るためだったのに残念だった。あちこち白波が立ち少し揺れを感じた。10時頃伊豆半島先端あたりであったか、西に向かう飛鳥Uと出会う。船内放送で汽笛の交換をやるというのでともかく8階デッキに出てみた。海上は右側通行だから、相手は左を通過する。洋上で遮るものなしに間近に見るのは初めてだった。飛鳥Uにも同類がいて盛んに手を振っていた。
- 荷造りをしてビンゴに臨んだが全くついていなかった。ショップは20〜50%値下げの大売り出しをしていた。
- 本HPの「ぱしふぃっく びいなす」('01)は見学会で初めてこの船に上がったときの記録で、以来今日まで21年のお付き合いだった。日本船3隻(ほかに飛鳥とにっぽん丸)それぞれにお世話になっているが、泊数では3割強がこの船であった。最近ではこの船に乗る数が多くなっていたので、びいなす突然の引退は残念であった。レピーターたちが顔なじみになった乗組員と別れを惜しむ姿はあちこちで見られた。船長と機関長は最後まで顔を見せなかった。
- 16日の毎日新聞に、インド洋のモーリシャスを目指すにっぽん丸が「明るいみらいへ」と題して写真入りで紹介されていた。新型コロナウィルス禍で停まっていた日本船の国際クルーズ再開の第1号である。
('22/12/16)