怪我と弁当


御柱祭の花乗りが、インタビューで、怪我と弁当は本人持ちの祭ですと笑ったのが印象的だった。花乗りとは、御柱の先頭に乗って山出し坂を滑り落ちる命知らずを指す。御柱には我も我もと乗るが、ほとんどが振り落とされて最後まで乗れる人は滅多に出ない。先端には曳き綱が付いていて、坂を滑り落ちるときに振り落とされた人を巻き込む。その可能性は先端ほど高い。だから花乗りは一番危険なのである。
安全設備に頼らず、危険と背中合わせに仕事をするのを職人の誇りとした時代があった。高所作業などその典型である。芸人も同じで、例えば空中ブランコなら安全ネットなしが本当のブランコ乗りであった。そんな時代の気概が祭には残っている。安全は己の勝手で、安全帽をかぶれなどと言ったら職人が怒って帰ってしまう時代であった。
今では安全に万全であるのを誇りとする。私がいた会社は、世界的には中小の部類だったと思うが、安全だけは世界一を目指したものだった。安全は自己流だけでは限界がある。だから標準的方法を身につけさせるべく訓練をやる。昔と違っていつも同じ仲間と仕事をしているわけではない。人が変わっても共通の方法でないと困る。また、一人の不安全は全体の不安全である場合も多いから、精神的しつけも大切である。ともかく就労時間のかなりを割いて安全教育安全運動をやっておった。
親や先生が我が子に生徒に願うのは社会に出てからの安全である。いつもいつも安全志向ではその社会は腐ってしまうから、堂々と立ち上がって戦いを挑まねばならぬ場合もある。だが99%は安全志向で無事に過ごさねば身が保たぬのが人生である。第一社会改革できるほどの才覚を持って生まれる人はごく例外的である。あとはいままでのルールをできるだけ踏襲するに越すことはない。親や先生はそのためのK/Hを、しつけという形で次代へ伝えようとする。
前に高校生の意識比較で、我が国では、親や先生への反抗は自分の勝手と思う割合が、飛び抜けて高いことを紹介した。だが、経験のない社会に順応するためのしつけに「自分の勝手」では自分からアウトローを目指すのと同じである。社会人になったら「マニュアル」を読んで(!)シャンとやりますと思っていても、身に付いていなければたちまちボロを出す。しつけの放棄は後で大きなツケを被る結果となる。
親、先生はしつけの努力を続けねばならぬ。そのためには云うだけの価値ある人間に親、先生がならねばならぬ。云う方に価値がなくても、しつけを受けるのは生きる条件と思う価値観を子供に持たせる必要がある。上司から仕事を指示されて(やるかどうか)考えておきますと「自分の勝手」を発揮したら、リストラの一番候補になるのは云うまでもない。そんな話は尾ひれが付いて上司グループの中に広まることも請け合いである。

('98/05/01)