ある女(UNE FEMME)
- アニー・エルノー作、堀茂樹訳:「ある女 UNE FEMME」、早川書房(1933)を読む。先に上梓した「場所(LA PLACE)」('22)は作者の父への追憶が著作の動機だったが、本書のそれは母への追憶が中心である。前者が父の葬儀から始まったように、本書も母の葬儀から始まる。一気に父母の結婚(1928)までのページを読む。全130Pのはじめの1/4ほどである。生活環境も歴史環境も全く異なるフランスの話なのに、次々と出てくる細やかな家族の心の交流の話についつい引き込まれる。私の両親もほぼ同じ頃に結婚した。同じように子だくさんだった。私は少々彼女(作者)より年を食っているが、同世代だから、同感できる場面も多いのだろう。
- 病院付属の養老院で痴呆症の母が死ぬ。作者(文中は私:以下娘または作者と書く)が預けて2年目だった。(私もそうだったが)死に目には立ち会っていない。遺体に面会したときすでに死化粧されていた。それから父の隣に掘って貰った墓地に遺体が埋葬されるまでの始終が淡々と描写されている。儀式の賛美歌のパイプオルガンがテープレコーダーだったとか、棺桶選びの話や、墓堀人夫への100フランの心付けの話とか。参列者が近親者だけの淋しい葬式だった点も私の母の場合と似ている。親族の慰めの言葉、「お母さんも、あんな状態で何年も生きていたって意味がなかったじゃないの」は心に刺さった。3週間目に本書を書こうと決心する。
- 母の一生の記述が祖父母の結婚から始まる。イヴトーという北フランスの田舎町。でも村育ちでないことを母は自慢していた。祖母はしっかり者で、堅実に家を切り盛りし、怒鳴り声とピンタで6人の子どもを「躾け」た。母は13才で父を失う。祖母は晩年は末娘(母の妹)の夫婦と電気の通じていないバラックに居住する。母とこの妹のほかはほぼ深酒が原因となって若死にした。その祖母を娘は母に連れられて日曜ごとに訪問する。親子孫(女系)の緊密な繋がりは、無遠慮な評判にもかかわらず、ほのぼのと暖かい。
- 母は公立小学校は12歳半でやめさせられ、周囲と同じようにマーガリン工場の女工になる。労働環境の悪い場所だった。一次大戦後の工業化で大きな製綱工場が出来、一家はそこに職を得た。大工場女工としての、周囲同年配者らの、雌牛の世話の田舎娘、ブルジョワでの家の女中に対する優越感とお店の売り子嬢への劣等?対抗?意識など自分の立ち位置への繊細な意識が述べられている。母は一段と自意識が強かった。
- 結婚は一生の大事、母はもてる方だった。同じような境遇(「場所(LA PLACE)」('22))の父を選ぶ。イケメンだったらしい。父は彼の姉妹から「もっといい相手を見つけられたはず」といわれる。商店の店員を選んだ彼の姉妹は女工風情を貶す傾向が強かった。微妙な社会階層感覚が出ている。母22才、父29才。何とも我らとよく似ている。
- 父は境遇に甘んじる保守的消極的な性格だったが、母は向上心が強く(「夫婦の社会的意志は母が担っていた」とある)、少し離れた労働者の町にカフェ兼食料品店を開く。賦払いで買った。きつい労働で自分の時間などない生活だったが、次第に社会人として磨きが掛かる。女児に恵まれるがジフテリアで失った。1940年ドイツ軍が侵攻開始。母は避難地から一人で、自転車に乗りドイツ軍のいくつもの警戒線を突破して我が家に戻り、1ヶ月のちに出産したとある。母は強い人だったのだろう。
- 戦後一家は昔の田舎町に引っ越して同じような店を開く。戦中戦後の町の描写には、戦勝国であり我が国と違いひどい食糧難がないからか、転居当時は惨めだったが店を出す頃にはそう悲壮な雰囲気はなかったようだ。美人の評判のある女店主・母は客のもてなしを大切にした。太って89kgにまでなった。娘を私立の学校に通わせた。身の回り品、学用品など周囲に引けを取らないように気を配った。知識の吸収にも意欲的だった。勝ち気だったのである。父は労働者からカフェの主人になって、客の相手をするようになった。家では母が支配者だった。
- 娘は思春期に入ると母と距離を取り始める。学校が持つ(プチ)ブルジョアの雰囲気が、主人公の持ち続けてきた価値観とは異なるものを吹き込んだのも重要な理由だった。ルーアンの高等学校に入学し、多分下宿生活で物理的に離れて暮らすと、この傾向は後戻りできないものになった。大学文学部に進学した。学生結婚の承諾を母が与えたとき、「晴れの日」への準備が最後の共同の場になる。夫となる人は教養のあるブルジョア家庭の育ちで、何かにつけ母は階級差の劣等感を感じるようだった。新家庭への資金援助などで母は夫側とのバランスを取る。
- 父が死に、母がてきぱきと葬儀を取り仕切る。だが母はやがて気力をなくし、娘に引き取られる。共働きの娘夫婦の住居は実家とは離れていた。知人の1人もいない環境だったが、やがて母は順応していゆく。孫2人の世話とふさわしい仕事が生き甲斐となり、昔の母娘の活気ある口喧嘩も復活する。夫が新しい仕事を得てパリ近郊へ転居する。母はかっての田舎町イヴトーのワンルームに一人住まいする。親類もいたし昔の知己もいた。しかしもうこれといった仕事はなかった。母と娘は頻繁に行き交いする。
- 母が交通事故で1週間昏睡状態という障害を受ける。母の死を初めて意識する。生活に老人臭が漂う。身だしなみに構わなくなり、教養へのあこがれを失う。意識に異常が見られるようになる。親戚に対しても攻撃的になり、誰も彼も自分のお金に関心があると非難して、付き合いを止めると言い出す。本音の相手は娘だけかのようになる。離婚して2人の孫と暮らす娘が母を引き取る。母はアルツハイマー病を煩い、病状は悪化の一方を辿る。
- それからの何年間、後半の2年間は私立の養老院だったが、母は母にして母にあらずだった。アルツハイマー病患者の具体的な症状と娘の応対を書き綴っている。ときおり戻ってくる正気が何とも哀れである。夢や妄想と現実の境がなくなる。食欲を失い痩せて皮膚には静脈が浮き出てくる、でもがつがつと好物に手を出すこともある、物欲を失い所有品は失われてゆく。最後は娘すら区別がついているかどうか怪しくなり、「マダム」と呼びかけたりする。養老院は原則痴呆症の入居は認めない期間限定の入院だったという。母の葬儀後覗くと、その養老院のかっての母の部屋には、もう次の入居者が入っていた。フランスの介護施設状況も当時からすでに逼迫したものであったらしい。
- 父を失ったあとの、母一人娘一人の中の濃密な愛憎関係は、我が国では我ら世代では身に染みて判る話だ。我らの次の世代は、おそらくフランスでもそうだろうが、もっと表層的というかうわべだけの薄いものになるのだろう。女があの時代当然のように「第二の性」(cf.「脳と性と能力」('07))であった点もしっかり描かれていると思う。母は「第二の性」の著者シモーヌ・ド・ボーヴォワールより1週間先だって死んだ。作者はそれを意識して本書をしたためている。作者は今は支配階層に移っている。母の死で、自分の生まれ故郷にあたる被支配階層との間の最後の絆を失ったと最後に書き添えた。
- 私は就職と同時に実家を離れ、それ以後、親とは生活感のある交流はしていないと思う。だからか、健康な現役であった時代の父母しか感覚的に思い出せない。それ以後は断片的なのである。本書のような母への挽歌は、筆才があっても、前半しか書けないだろうと思うと心が痛む。
('22/11/25)