飛鳥〜戦国のお金

井上正夫:「ビジュアル 日本のお金の歴史 飛鳥時代〜戦国時代」、ゆまに書房(2015)を読む。写真、図表の多い、子ども向けの冊子のようだ。このHPの「貨幣博物館」('03)に、日本銀行本店近くの貨幣博物館で実物を見学したときのメモを残している。著者は「東アジア国際通貨と中世日本―宋銭と為替からみた経済史」(2022)で、本年第34回「アジア・太平洋賞特別賞」を受賞した。受賞著書の購入依頼をしたついでに、この冊子を借りだした。
大型の絵本のような製本だが、45pしかないから一気に読める。「日本のお金の歴史」は全3巻であとに江戸時代と明治時代〜現代が続く。あとの2巻もそうではないかと思うが、お金が欲しい権力者と、お金の価値とその見通しに敏感な民衆との駆け引きといった視点で本書は纏められている。江戸時代は貨幣の流通は維持されたが、基本通貨の金含有量は改鋳のたびに減らされて、幕府の懐は一時的には膨らんだが、やがてインフレが追っかけてきて次の改鋳に繋がった。織田信長までゼニは銅銭である。政権が貨幣価値を再々操作すると、市場が拒否して通用しなくなったりする。
お金に関する漢字には「貝」がつく。中国では貝貨から貨幣が始まった。殷王朝頃には貝貨が使われていた。甲骨文字が始まった頃である。紀元前4世紀(春秋時代)には金属の硬貨が出現。本書は飛鳥時代の日本から書き始められる。1400年前頃。お金は布と銀。布は麻:苧麻(ちょま、まお、からむし)を指す場合が多い。「ワッフルランチ」('16)に塩沢つむぎ記念館で、正倉院にもある越後上布が、ちょまを材料にしていると説明されていると記している。租庸調での布による税納付の証拠であろう。
銀銭が高級品の売買に使われていたとは知らなかった。単位は文。1文10gほど。無文で、摩滅してくると銀片を継ぎ足す。これは貨幣の絶対価値を一定にしていると言うことだ。貨幣改鋳とか政権の価値強制政策とかが通らないという意味で重要だ。江戸時代には、江戸は金貨による計数貨幣だったが、上方では丁銀や小玉銀などの銀の秤量貨幣経済だった。商人が貨幣の絶対価値に軸を置くのは当然だ。金貨同様、実際は幕府による銀貨の悪貨への改鋳が行われ、幕府と経済界は利を求めて化かし合いをやる。海外貿易ではより純粋で、金銀貨受け取り拒否が出て、物々交換のような姿に収まるケースも出ている。
7世紀になって政府は銀銭流通を禁止し、新しい銅銭・富本銭を市場に投入するが、通用しなかった。8世紀に入って和同開珎をただし銀銭から始める。いきなり銅銭では民が受け入れないと富本銭で学習したから。ただし昔の無文銀銭10gと和同開珎銀銭5gを等価値で交換させた。政府は5gの儲け。これは受け入れられた。5gは強い政権への信用代だったのだろう。だが政権が本性を出してサイズ、形とも銀銭と同じ和同開珎銅銭を出すと、使われない。政府はおまけとして「位」を流通貢献人に贈る。そのころからおいおいに銅貨が使われるようになる。銀と銅の絶対価値はどれほど開いていたか知らないが、またも政権側は莫大な儲けを手にした。
政権は10世紀末までに11回新通貨発行を行う。2回目3回目の新貨幣は和同開珎の10倍の価値と設定する。でも発行後10年も経つと庶民はどの通貨も同じ価値の1枚1文として扱うようになる。刻字は違っても同じ銅だから価値は同じとされてしまった。インフレの様子がグラフで示してある。銀換算米換算を強引に結びつけると、無文銀銭に対して同じ1文でも1/750ぐらいの購買力にしか持たなかった。これが770年頃。
桓武帝は京都遷都の財政逼迫に対し、8世紀末またも10倍価値公称の新通貨を発行。市場では新貨の価値が下がる一方、使われなくなっていった。通貨不安だった。それが収まった20年ほどのちまたも10倍価値と銘打つ新通貨を投入。通貨暴落。これを9世紀に6回繰り返した。10世紀またまた新貨・延喜通宝発行。通貨価値維持のために今度は物価統制に入る。そのため検非違使(放免)を投入。物価は安定した。だが銅銭を使う生活は、検非違使の監視対象になって「怖い」思いをせねばならない。結局これから200年ほどは銅銭は使われなくなった。布と米がお金になる。
宋銭がやってくる。京都では12世紀中頃から使われ出す。こちらは政権が勝手に値を弄くることは出来ないから信頼感があるのだろう。宋銭の流通に乗って、安い銅材料で日本の新貨を作ろうとしたのは後醍醐天皇だった。天皇は紙幣も作ろうとした。でも庶民には新しい日本の通貨へのニーズは生まれなかった。成功すれば大きな収入源になっていただろう。
室町時代に入っても元銭、明銭と名は変えながらも中国の銅銭が幅を利かす。室町時代も1500年頃になると、鎌倉時代にはなかったニセ宋銭が出回る。銅採掘製錬技術が進歩して銅材が安くなったためとある。銅貨は計数貨幣だし、本物は外国からの輸入品。多少品質は劣っていただろうが、偽物も銅は銅。なぜ本物と偽物で値打ちに大きな差がついたのか不思議と言えば不思議である。宋銭への信頼性はなぜ高かったのだろう。国内では問題がないとしても、貿易では兌換できないからというのが最大の問題なのだろうか。16世紀の戦国時代に入ると、ニセ金抑制のための撰銭令が幕府からも各大名からも発令される。
信長が強い政権を打ち立て、1569年に撰銭令を出す。ニセ金を公認する代わりに本物との交換比率を公定化した。これは不評だった。交換比率は商売の秘中の秘だったから。ニセ金の相場は1/2から1/3と言ったところだったらしい。またまた民間は経済の銅銭依存をやめてしまう。物の価値は銀で計られ、お米と銀が大型の収支決算に用いられる。銅銭が日常生活から消えたわけではない。洛中洛外図屏風には、銅銭が支払いに用いられている小売りの現場が描かれている。700年頃と同じ状態になった。
本書は信長時代で終わり。シリーズの次の本は江戸時代だから秀吉時代まで書いて欲しかった。

('22/11/21)