戦時外交官 加瀬俊一論
- 福井雄三:「開戦と終戦をアメリカに発した男―戦時外交官 加瀬俊一秘録」、毎日ワンズ(2020)を読む。「真珠湾の代償」と改題した新書版が最近発売された。その広告を見たので原著を読んでみることにした。著者は東京国際大教授、歴史学者。
- 第1章は「生い立ちと留学」。恵まれた生家、婚家。抜群の才能、ことに語学。一中から東京商大(今の一橋大)に進学。外交官には東京商大出身が多い時代だった。外務省採用が決まったとき大学2年だった。公費留学でアマースト大、ハーバード大大学院に通う。初出仕はワシントン大使館の東郷主席書記官(のち外相)補佐役だった。東郷についてドイツに転勤、1次大戦敗北からのドイツの立ち直りを見た。ロンドン軍縮会議に派遣される。日本政府は軍部の暴走に引きずられ、国際連盟脱退。
- 第2章は「外交の中枢へ」。7年の外国生活を経て帰国、外務省情報部に配属となる。広田外相(2.26事件後の首相)、重光次官。広田外交は日米友好の回復、満州国独立を維持するが、中国本土には一切干渉しないというものだった。主力艦比5:5:3を否定する海軍の主張でロンドン会議脱退。世界は建艦競争に入り、昭和10年代には海軍が国家予算の半分近くを使う。日本は陸軍と海軍という2統帥系統を並立させてしまった。国家の勝敗は陸軍が最後を決める。陸軍の仮想敵国は中ロ。ところが海軍が米国をも仮想敵国に仕立てたために、日本は2面作戦を強いられることになる。
- 満州事変から支那事変へと、中央(近衛首相)の収拾方針を無視した軍の暴走は停まらなかった。加瀬はロンドン勤務となる。船旅では国民使節・石井菊次郎(外務省のレジェンド)の薫陶を受ける。彼は北京で義和団の洗礼を受けていた。
- 過去において清国同然の不利な対外状況にありながら、日本はいたずらに排他行動に向かわず西洋文明を受け入れ、国際的に認められる国家に成長してから、外国列強に不条理是正を要求した。だが義和団は自国の不条理不合理を一切問わず、すべてを外国の責任に転化する。中国が声高に遵守を叫ぶワシントン体制は、中国は外国人に対する原始的な増悪を克服した近代国家であり、国際的な義務を進んで守りかつ遂行できる、ということを前提としている。これが石井の中国論だった。筆者は現代の中国もなす事やることが、いっこうに義和団の論理から進歩していない自己中的非近代国家だと看破する。ロシアもその部類だ。
- 第3章終わりまでで本の約半分。その第3章「動乱のヨーロッパへ」は加瀬がロンドンの日本大使館員(大使は吉田茂から重光葵)時代の物語だが、米英仏の、二次大戦前の対独姿勢の腰の引けようとアメリカの戦後の東欧放棄政策など、今日のロシアの侵攻体質を招いた多くの欠陥を指摘している。加瀬は日米開戦直前に、松岡外相の要請で外相主席秘書官として日本に帰還する。西園寺、松岡、吉田、重光などは愛国的自由主義の系列に繋がる政治家だった。
- 第4章は「日米開戦へ」。大戦前夜の外交戦が描かれている。まさに狐と狸の虚々実々の戦いで、松岡外相の秘書官として2人3脚的に行動した加瀬からの情報は、生々しくかつ松岡を戦犯とする従来の史観が正しくないことを示す。松岡はヒットラー(&ムッソリーニ)と三国同盟を結び、スターリン(モロトフ)と中立条約を結ぶ。大切なのはその2条約を武器に、アメリカとの友好関係回復を計画していたことだった。
- だがルーズベルトとの会談約束まで取り付けていたのに、近衛首相―野村アメリカ大使が、民間ベースの日本諒解案なる甘言にのって、アメリカの戦争準備期間延長に荷担していた。松岡は独ソ開戦で、まず中立放棄で北進し石油資源確保を進言するが、政府は南進(仏印侵攻、スターリンの期待だった)し、アメリカはハル・ノート(最後通告)提出にいたる。外交素人の野村海軍大将の鈍感ぶりが描かれている。アメリカの読み通りになった。松岡は辞任、東条内閣になって東郷外相は加瀬を秘書官に復帰させた。
- 第5章は「終戦工作に向けて」。山本五十六の真珠湾攻撃は何とも不徹底で手ぬるかった。私は最初の奇襲が成功しているのだから、なぜ次々の波状攻撃でハワイを占領するところまでやらなかったのかと思う。本書も同意見だ。だいたいそれまで海軍が練りに練った漸減邀撃作戦(長駆出撃はせず、近場で邀撃して敵艦を減らす)を無視したところからして、常軌を逸している。
- 敗色濃厚になったころ加瀬は重光外相の下で働いていた。大東亜共同宣言発表。東京裁判に沿って、これがまやかしの旗印のように言う史家が日本にも多いが、敗戦後、最初のバンドン会議で、独立を果たした新興各国代表から、外相代理で出席した加瀬は、高い評価を聞かされる。戦中の公式発言にこの宣言があったことは、国民性の歴史的評価に非常に重要である。天皇は軍への信頼を失い、侍従長・鈴木貫太郎を首班に据える。東郷は外相就任にあたり、鈴木に現状認識の摺り合わせを行う。和平交渉が諒解された。すでに終戦工作検討Gが軍に隠れて活動を始めていた。
- 第6章は「託された天皇の親書」。ポツダム宣言は外交筋には予想外に寛大に見えた。無条件降伏を避けたい日本は、中立条約破棄宣戦布告を決めているソ連に、天皇親書を携えた近衛特使をスターリンのもとに派遣する算段をして、空しく会見拒否にあう。御前会議であくまで抗戦を主張する陸軍に対し天皇が和平方針を示す。連合国回答にまだ再照会をという陸軍に、即受託の聖断が下る。
- 第7章は「ミズーリ号の残照」。マッカーサーが親子2代に亘って日本通だったとは知らなかった。占領軍-GHQには許し難い問題もあったが、主たる占領統治者が、ソ連や中国あるいはイギリスでなくアメリカであったことは、我が国にとって幸運だったと言える。加瀬は吉田からは遠ざけられていたが(その間は文筆活動で国内はもちろん世界からも注目を浴びている。)、鳩山内閣の外相が重光となり、加瀬は国連大使に任命される。本書は彼の国連加盟工作と達成で終わる。
- 読みはじめてすぐ本書がかなり主観的に書かれていることに気付く。加瀬は外交官一筋の人生だった。彼が、大臣の演説の草稿や重要文書の草案、天皇に奏呈された和平への意見書の作製まで、超機密事項にまで深く関わり合ったことが具体的に示されている。女房役としてはこれ以上にない人物だったようで、各上司が重宝したさまが描かれている。人柄、育ち、見識、学力、知識。いずれの点も超万点のように書かれている。だから外務大臣になれなかった理由がかえってわからない。著者には太平洋戦争時代を中心に多くの著作がある。本書以外は読んでいないが、人々の読後感想文を読むと、多くの人が私のように著者の民族主義的傾向を感じるようだ。
- 戦後の若い世代に対しては、アメリカ迎合が高じて、アメリカの、番外州民のような扱いを、反発もせずに受け入れていると厳しい。私も幾分はそのような感覚を持っている。日本が「経済力低下「負け組」の代表」になった現実(「10月の概況」(2022))をみると、「日昇る国」であった時代に現役を去ったものから見れば、やはり歯がゆさを感ぜずにはおれないのは事実である。一番の問題は個優先のあまり利他の精神の欠如を招いている点だろう。
('22/10/16)