大人の休日パス('22/9)

Web限定大人の休日パス東日本スペシャルによる旅行談である。Web限定とは「みどりの窓口」では変えず、「えきねっと」で買わねばならないという意味。このパスをえきねっとで買うのは2回目だが、普通のネット購買と違って画面の操作法が判りにくく、決まるまでかなりの労力と時間を要した。それにどう漏れたのか、その後「えきねっと」を名乗る迷惑メールがドンと来た。
8/10の大雨による不通箇所(米坂線の今泉―坂町間、磐越西線の喜多方―野沢間)を経験し、あと荒砥の山形鉄道に初めて乗る。只見線の代行バス乗車も最後の機会だ。10/1復旧予定だから。今回旅行の趣旨である。旅行期間はなかなか決まらなかった。台風11号が接近し天候不順が続いた。ホテルの予約もままならぬところが出て、結局10〜13日になった。
10日、つばさ133号で米沢12:08着。米坂線の今泉から坂町までは代行バスだった。米坂線はジーゼル車が走る区間。今泉からの長井盆地にある線路は草ぼうぼうで廃線さながらの風景であった。山地に入り日本海に注ぐ荒川に沿って走るあたりからだったか、国道113号線の工事のための片側通行が頻繁になった。道路が削り落ちた部分や、山肌が土石流となって崩れたのだろう、裾部分に土砂を堆積している場所もあった。線路が埋没した場所もあると聞く。まだ復旧工事は着手されていない。
思いもかけず米沢藩の台所を支えた豪商豪農・渡邉家邸宅の脇を、国道からステップアウトしたバスが通り抜けた。この邸宅は一度見学を志したが、あまりにも交通不便な位置であるために、後の機会にと取りやめた記憶がある。坂町に近い関川村の越後下関駅近くだった。上杉家の支配地は時代とともに縮小したが、出羽国置賜郡は最後までその領地であった。
新潟駅でお土産を買う。この日は十五夜で中秋の名月が天に掛かるはず。あいにくと曇り空だった、田中屋本店に行くとちょっとした行列になっている、笹団子より人気があったのはごま大福とウグイス饅頭。それにして持ち帰ったら好評であった。
11日10:40東京発とき317号長岡12:14着、信越本線小出13:08着、只見線に乗り換えて会津若松に向かう。途中只見と会津川口間が代行バス。マイクロバスの座席は満席で20何名かが乗った。こんなに大勢なのは初めて。河合継之助記念館が窓から見えた。彼の終焉の地だそうだ。なお同じ名の記念館が長岡市にも建てられている。どんな偉人であっても近くに2館は必要ないのではか。どちらも建設費用には公費を活用しているのだろう。会津若松には17:21到着。
新幹線の中のテロップで、磐越西線は間引き運転中らしいと知った。ダイヤ変更は、私が愛用するヤフーの乗換案内では判らなかったのである。駅で、日本海側新津経由で我が家にあまり遅くならない時間に戻るには、朝5時台の1本しかないと判る。車両(磐越西線はジーゼルカーによる単線)に水害が及んだため運行出来る車両が少なくなったようだ。次の日を喜多方観光に切り替え、戻りの指定券を確保した。新型コロナでの自粛が終わった今では、知らない土地へ行くときは指定券が必要である。前日の山形新幹線ではそれを感じていた。喜多方と会津若松間のダイヤも臨時になっていた。
12日9:48会津若松発、10:10喜多方着。観光案内所で散策コースを相談。まず喜多方うるし銀座の木之本漆器店を覗く。次、喜多の華酒造場の前を過ぎて北上すると大和川酒造北方風土館の売店に出た。辛口甘口いろいろ。試飲は遠慮。だが酒造用水は味わってみた。軟水。玄関に回って昔の蔵と昔の酒造設備の展示品をざっと見物した。この会社の現在の醸造所は別の場所に移っている。酒造りは冬で、夏に冷凍装置を動かして酒造りをしたりはしていない。酒造米を自社農園で作っている。この醸造所を取り囲む地域は蔵の町の雰囲気に優れている。正面入り口から見える平屋建て和風建築建屋の、駐車場を囲む雰囲気がことによい。中央通りに出たところにリオンドールというスーパーがあったのでちょっと覗いてみたが、別に特記するものはなかった。そのレトロ横丁商店街が推薦の蔵町通りで、あちこち写真を撮りながら北上した。
古峯神社の灯籠が2基ほど見つかったので、旧甲斐家蔵住宅の見学受付でお宮の所在を聞いたが判らない。かえってからGoogleマップで調べたら、この地区に古峯を名乗るお社が随分あると知った。でもストリートビューで見ると、石碑ばかりできちんと鳥居や社殿があるお社は見当たらなかった。少し広めに調べると石碑は古峯神社でも鳥居は別名になっているお社があったりする。小さなお社は地図にいっぱいあるが、どのお社ももう信仰の対象としては影が薄くなっているのか、社の概念を満足させる建造物が見当たらなかったり、遊具があったり境界など判らない姿だったりしていた。信仰はともかく、土地の文化は守るという意識がないのかと思った。
吉の川酒造を見つけた。'22年前(「蔵の町:喜多方」('00))に横を歩いた記憶がよみがえった。旧甲斐家蔵住宅もそのとき見学している。昼頃になったから、受付で喜多からラーメンを食べたいがいい店を紹介してくれと言ったら、市役所近くの松食堂を、地元の人がやっている店と推奨してくれた。だが本日休業の札が下がっていた。二本松でもそうだったが、福島の食い物屋は月曜日休業が多い。隣の坂内食堂には30人ほどが並んでいた。坂内食堂はホテルに広告ビラがあったし、地元でも有名らしい。時間が気になるので、真っ直ぐ駅に向かう。
駅前の和菓子屋でみやげ(看板にあった大福)を買い、推薦してくれた桜井食堂で喜多方ラーメンを食べた。疲れていたのも手伝ってか、その醤油味が旨かった。まだ20分はあったので、昔この町を見物したときの記憶に下駄屋があったと思い出し、それをラーメン屋で聞いて探しに行ったが判らなかった。近所のローソンで聞き直し、それが黒沢桐材店だと知った。記憶に残っている下駄屋はごく普通の貧相な和風の店構えの、それでも棚いっぱいに色とりどりの鼻緒(はなお)をすげた下駄が並んでいるお店だったが、間違うはずだ、立派な外観の建造物になり、「桐匠黒澤」の看板もデンと座っていた。中を覗くと誰もいなかった。下駄の未完成品がたくさん積まれていたが、完成品はあまり展示されていなかった。旧甲斐家蔵屋敷駐車場の前に桐箪笥や桐下駄の木工所の看板があったので、受付の女性に聞いてみたら、その木工所は廃業して久しいと言っていた。桐工芸製品の需要がグンと減った結果だろう。13:47喜多方発会津若松14:03着。すぐ郡山行きに乗り換えた。
13日、東京発10:00のつばさ133号で赤湯に12:21到着。山形新幹線は電圧が違う。架線の碍子を見れば判る。後で調べたら、20kv(交流)で東北新幹線の25kv(交流)と異なるとあった。米沢の1つ手前の関根から赤湯までは単線だ。赤湯から先は知らないが。米沢―関根間では紅花をシーズン(7−8月か)には車窓から見ることが出来るとテロップに出ていた。
赤湯駅で新幹線から山形鉄道フラワー長井線のへの乗り換え時間は4分しかない。陸橋を跨がねばならないし、切符は買ってない。大人の休日パスの利用範囲に入ってない。ところがよくしたもので、改札もなければ切符も売ってない。単線の1両列車(ジーゼルカー)のワンマンカー。乗客は整理券を取って料金は降りるときに支払う。私は初めての路線だから一番先頭の座席に座って車窓を楽しんでいた。料金箱が近くにある。地元民は整理券などなしで支払って行く。料金を誤魔化そうとするような人は誰もいない。古き良き時代の日本の風景が残っていると感心した。赤湯から荒砥(終点)まで小1時間かかる。便所は付いていなかったので少々辛抱させられた。途中の駅は皆無人駅で、簡単な待合室はあるが便所など付いてない。終点にもなかったら大変だと思ったが、終点だけは立派な駅舎で便所も近代的だった。駅員はいなかったが、駅舎はモダンな建物で、その中には白鷹町観光協会(観光案内や物産の展示販売)や公民館が併存している。「秋もクマに注意!」のビラに目が停まった。
白鷹町歴史民族博物館が手頃な距離にあった。でもこの日は開館していないと判る。次の列車までの小1時間を使って駅近くの荒砥城趾に登ることとした。観光協会の係員は親切だった。外に出て登り口に通じる小路まで教えてくれた。荒砥城は平安時代11世紀末に奥州・藤原氏の家臣が築いたのが始まりと立て看板に出ていた。最上川に近いから舟運による物資集積地として栄えたようだ。後世の領主:伊達氏、蒲生氏、上杉氏にとっては領地の境界線に近い守りの要であった。
城は土塁と濠による縄張りだったろうから、廃城とともに姿を失っていったろう。わずかに井戸跡を見ただけだった。今この低い独立丘には八乙女八幡神社が鎮座している。荒砥郷12村の総鎮守だったとある。拝殿本殿とも立派だった。無人だったが社務所もあった。奥には庚申塚が見えた。拝殿近くに八乙女種まきザクラという大きなエドヒガンがあった。種まきとは開花の頃が種籾を苗代にまく目安の時期だったからという。往復の路で、赤トンボ、バッタ、カマキリなどを見た。都会住まいになってからこの方、ほとんど直に目にしたことがなかった昆虫である。ついでながらこの盆地では、車窓からだが、ときおり白鷺が田畑に降り立っているのを見ている。駅の観光案内所売店でお土産にと、「ふきのとう味噌」を買った。つけ味噌の一種でめしの友。
荒砥駅や近くの無人駅には祝100周年記念ののぼり旗が見られた。新橋駅〜横浜駅間に鉄道が開業してから150年だから、山形鉄道の歴史は長い。無人駅のいくつかには昔のままの木造の駅舎が残っている。

('22/9/16)