ゼロの焦点

BS日テレから旧作ドラマの再放送があった。映画は随分昔にビデオを購入して繰り返し鑑賞していた。Wikipediaによると、松本清張のこの著名な作品は、ドラマ化6回、映画化2回。私が見たドラマは、5度目の真野あずさ主演の1991年の作品、映画は最初の久我美子主演の1961年の作品である。
市の図書館から光文社刊の原作を借りだした。カッパ・ノベルス創刊50周年特別版と銘打ってあり、2009年の刊行であった。だから1959年に原本の初版が出ている。もう63年も経っているのに中身は輝きを失わない。名作といえるのであろう。小説の舞台は、私の土地勘が働かない場所(石川県の金沢、能登半島)で、しかも時代(敗戦後13年の'58年)が変わっているから環境の変化も大きかろう。北川清ら:「地図で読む松本清張」、帝国書院('20)も借り出して、何とか正確に読もうと心がけた。
「ゼロの焦点」は「虚線」という題名でまず発表された。ゼロとか虚は実体がないことを意味する。焦点は犯人で、線は捜査の範囲とか方向を指すのであろう。本書の最後の章は「ゼロの焦点」。作者が意図した題名の意味がよりはっきり出ているのだろうと思い、この章から読み始めた。ドラマや映画でおおよその筋は判っているし、現れる人名もほぼ同じだろうから最後から読んでも理解できる。
最終章は8節からなる。関係者4人が殺され、真犯人捜しに主人公・鵜原禎子が執心しているところから始まる。彼女は夫・憲一に新婚早々失踪された。最終章に入った時点では、失踪ではなく殺されたことが確実視されている。彼女は殺人犯が夫の勤めていた広告代理店のお得意先・室田耐火煉瓦(株)の社長・室田儀作と想定していた。七尾に本拠がある。Webで調べると耐火煉瓦の会社が当時確かに七尾に実在するから、作者はそれを頭に入れて書いたのだろう。九谷焼の石川県だから、そんな特殊煉瓦の会社があってもおかしくない。
禎子に入っている情報は、憲一殺し儀作犯行説で説明が付く。残りの3人のうち憲一の兄・宗太郎と憲一の同僚・本多良雄は田沼久子に殺された。2人とも調査で真相に迫ったのが仇になった。殺害の裏で久子を操っていたのが儀作だと禎子は思う。その久子が滝から墜落死する。儀作が背中を押したのではないか。儀作と久子には暗い関係があったと想定。久子は内縁の夫・曽根益三郎を憲一失踪の頃に亡くしていた。曽根益三郎は憲一の偽名だった。鵜原憲一に結婚話が進み、彼が現地妻から逃れるために、崖からの投身自殺に見せかける工夫をどちらかがが持ちかけ、儀作は実際に殺したと考えた。憲一は自殺を示す証拠品を残していた。曖昧な遺書とともに遺体を久子が引き取った。禎子はその遺体を見ていない。
ラジオ番組で悟ったヒントが、禎子を儀作説から佐知子説に転換させる。彼女は室田の年が離れた後妻で才色兼備の金沢名流夫人である。ヒントとは立川のパンパンのその後の話で、アメリカ兵相手のパンパンの中には、女子大を出た優秀な才能を持つ女性がいたという話だ。佐知子も久子も憲一も立川での知り合いだ。佐知子と久子はパンパンとして、憲一は風紀係の巡査として。
和倉温泉の旅館に禎子は室田夫妻を訪ねる。佐知子はすでに羽咋方向へ出発、半時間ほど遅れて儀作が追いかけるように旅館を出ている。禎子はハイヤーで能登半島西海岸の高浜を目指す。ハイヤーの中で聞いた歌番組で、録音を使えばラジオ放送時間の声はアリバイにならないと気付く。今ならすぐ思いつく話だが、生放送が当たり前の時代だったのである。室田夫妻はJR七尾線の羽咋駅から北陸鉄道能登線で北上する。結構大回り。禎子のハイヤーは能登半島中央の山脈をほぼ真っ直ぐに高浜に向かうコースで、出発の遅れを現地の自殺断崖で2人に追いつこうというものだった。
もう能登線は廃線になって久しい。地図を見ると羽咋県民自転車道という道路がJR羽咋駅から北に向かって延々と伸びているが、それが昔の能登線なのだろう。映画では、当時の木造の駅舎とか乗り換え状況とか車内の様子などを見せてくれる。羽咋駅までは列車、そこからは小さい電車と小説には書いてある。今はJR七尾線は電化され、駅は不燃構造の瀟洒な姿になっている。特急が走っている。小説では冬の雪深い山道を禎子が乗ったハイヤーが車輪にチェーンを巻いて走るようになっている。ドラマでは雪景色などない。小説では四季の移ろいを各所に取り入れている。最後の章は北国の陰鬱と事件の陰鬱を組み合わせているのだ。
ラストシーンは哀れにも詩情豊かだ。ドラマは、季節は別として、それを忠実に表現しようとした。佐知子は前夜に儀作に過去を打ち明けていた。佐知子が姿を隠すと、儀作はその意味がいかほど重大なものかすぐ察しが付いた。佐知子が櫓を漕ぐ和船が沖に向かって進んで行く。佐知子は房州勝浦の網元の娘として育ったとある。儀作は崖までは追いついたがもう手が届かない。断崖と和船の上から二人が互いに別れの手を振る。禎子が着いたときには船はもう遙か沖で、ドラマでは望遠レンズが佐知子が入水する姿を捉える。佐知子を演じたのは、増田恵子。山崎努主演の「雲霧仁左衛門」では密偵お京役で準主役級の演技だったのを覚えていた。
映画でのラストシーンは禎子が崖の上で夫妻に追いつき、憲一殺しの真相に鋭く迫る。佐知子は追いすがる儀作を振り払い、自動車を走らせてやがて転落事故死する。初老の儀作は若い妻を愛していた。それが切なくも悲しい。ロケの断崖は迫力満点の絶壁で、本作が世に出てから、そこが自殺名所になったという。佐知子役は高千穂ひずる。前歴暴露の恐怖に追い詰められる心理状態の表現に、シナリオは苦心していたように思う。
小説が書かれた頃は金沢に市電が走っていたらしい。私が初めて金沢を訪れたのは30年昔。記憶がないので調べてみたら、市電は'67年に廃止されたとあった。私が訪れたころは金沢城内に金沢大学があった。町の変化は激しい。映画の市内日常風景はもう過去の姿だった。それでも京都に育ったおかげでか、和風旅館中心の雰囲気は感覚的になんとなく判る。「名湯加賀温泉郷に宿泊!東尋坊・金沢・輪島朝市」というツアーで小松空港から能登半島をバスで走ったのは、22年前の夏だった。小説の「高浜からバスで20分の赤住」には事件に描写されたような断崖絶壁はないとWikipediaに載っていた。ロケに選ばれた断崖はさらに北30kmほどのヤセの断崖。一帯を能登金剛と言うらしい。遊覧船には乗ってみたが、ヤセの断崖までは行かなかった。
作者は、30才を越した元パンパンの暗い行く末を主題に込めて、重厚な推理小説に仕上げた。社会派という評価にふさわしい作品である。パンパンとはきつい差別用語なのである。今ではフリーセックスという表現があるほどになったが、当時の性道徳では、その過去がバレれば、本人は社会生命を失う、夫にも絶対に知られてはならぬ汚点であった。ここが判っていないとこの小説はただの推理小説になる。占領期7年が中心期のアメリカ兵相手の売春婦を指す。パンパン狩りの本当の目的はアメリカ兵の性病まん延防止だったろう。警察はMPのお手先だった。立川署巡査だった憲一が、忸怩たる想いで警察を辞めたという話はよく判る。
警察のパンパン狩りに、一般女性が巻き込まれ、彼女は性病検査を恥じて自殺した事件が確か大阪で起こっている。京都は比較的事件が少なかった方だろうが、近所では日赤病院がアメリカ軍に接収され、米兵は目に付いた。路上で黒人兵にパンパンが殴られていたといった類の話を耳にすることもあったし、「仏教徒の聖地の一つ」臨済宗東福寺派大本山・東福寺の境内が野天の岡場所のようになっていた。私はもう中生だったから、敗戦国の惨めさと踏みつけられる人々への同情、好き勝手な米軍側への憤りを強く感じるようになっていた。
改めて310pを越すこの中編小説を眺める。久子には「GIにも、世話女房みたいなところがあって、気に入られた」という証言が出ている。実家は高浜の漁師だが、早くに肉親を亡くした。だが育った土地の素朴さを失っていなかった。憲一がぎりぎりまで別れられない現地妻の背景である。読んだ松本清張の中では、やっぱり出色の出来ばえと言える作品である。

('22/9/7)