NHK松本清張ドラマスペシャル「顔」を見た。'09年暮れに初放送されている。現在に通じるいい仕上がりだった。興が乗って原作小説(1956)を読み、買ってから20年ほど死蔵したままだったVHSの映画(1957)も見た。ドラマは原作にかなり忠実だ。ただ原作は30pほどの短編だから、脚本家はストーリーを膨らませ、エピソードの追加もやっている。映画は大幅改作で、作品の芯が、かろうじて清張の「顔」に繋がっているといった塩梅である。「顔」は、繰り返し繰り返しドラマや映画にリメークされた。それだけ原作は味が深いのであろう。
スペシャルドラマでは登場人物は原作と同じ名だ。主な配役は犯人:劇団俳優・井野良吉に谷原章介、被害者(絞殺):山田ミヤ子と劇団のトップスター:葉山瞳の2役を原田夏希、目撃者:石岡貞三郎を高橋和也、福岡の黒崎警察署:田村刑事に大地康雄。時代設定は昭和22年という敗戦間もない混乱期。私も通ってきた時代だけに、あの頃の風景が目に生々しく浮かび懐かしい。満員列車に復員者らしい兵隊帽の男、闇物資を背負うおばさんたち、その一斉取り締まり。
原作と違う点と膨らませた点を重点に以下ストーリーを記す。井野が戦地敗走の途中で背負って逃げてきた戦友を絞殺する。彼が殺すように懇願したためである。だがそれはミヤ子絞殺の予行演習になってしまう。井野の俳優としての資質になったニヒルな個性の醸成に、実は彼が赤紙出征で長崎に残した家族を、原爆で全員失った悲劇的背景も加わっている。
上記買い出し列車で一斉取り締まりに掛かったミヤ子を、警官に袖の下を使って救ったのが深い仲に進んだ。ミヤ子は初々しい少女だったが、バー初花の女給になり、進駐軍兵士としけ込む姿を井野に見られる。井野はスターダムに登るにはミヤ子は邪魔と感じ出す。瞳が自分に傾きかけているのもその理由の一つである。絞殺現場に向かう列車で、ミヤ子が偶然同乗の知り合い石岡と話す。目撃者の存在として井野の心に重くのしかかる。
9年後実質主役となって演じた映画を見た旧友が電話をよこす。それが暗い過去を消す決心をさせる。実現はしないのだが、石岡と井野の待ち合わせ場所が、原作の京都駅から知恩院三門に変わった。京都の観光名所で暗い内容の映像を飾り付けるのには、この方がよいのだろう。想像上の石岡殺害予定場所の比叡山は、ドラマにも組み込んである。
待ち合わせが実現しなかった理由は、その前に偶然同じ場所でしかも隣り合わせで昼飯を食ったためだ。原作でも同じ祇園の「いもぼう」。横長の畳座敷に1列のおでん(お膳)が並んでいる。「いもぼう」だったかどうかは忘れたが、京都の料亭の懐かしい風景だ。和風中型食卓をおでんというのは、丹波篠山や和歌山地方の訛りだという。私の両親は丹波出身であった。井野は気付いたが石岡は気付かなかった。井野は記憶されていなかった。
彼は安堵してスターダムへと突き進む。だが顔だけでの記憶は石岡になかったが、列車で目撃した彼の、タバコを吸いながら見せた横顔の雰囲気は記憶に残っていた。石野は映画に井野演じる類似のシーンを見てはっきり犯人を思い出した。それ以後のストーリーは原作には一切描かれていない。映画脚本家の創作である。
絞殺前に井野にすがりつこうとするミヤ子は、井野を逃さないように妊娠していると告げるが、解剖結果にはその事実はなかった。原作には妊娠しているとあった。井野は堕胎を要求してはねられている。井野は、劇団に入った理由が、スターの葉山を喫茶店でちらと見たとき、その風貌がミヤ子に似ていたからと取り調べで告白している。その葉山は、主役を取られるころには、監督との縁を切って井野に傾きだしていた。男と女のもつれ具合を示唆する小話で、映画「駅STATIION」で、警察に情夫の殺人犯を通報した、倍賞千恵子演じる飲み屋の女将が口にした言葉に通じるものだった。葉山は原作にない人物。
映画の監督は大曾根辰夫で配役は目撃者・石岡三郎が大木実、犯人の水原秋子が岡田茉莉子(主演)、長谷川刑事が笠智衆。被疑者の「顔」を目撃者がどう認識したかがストーリーの中心であることには変わりがないが、原作とはだいぶ違った物語になっていた。時代はおそらく映画制作の頃に近いだろう、もう戦後ではなくなっている。
水原は売り出し中のファッションモデルである、列車でもめて転落したのは無免許の堕胎医・飯島。水原とぱったり大阪発東京行きの列車で出会い、彼女を脅迫している現場が目撃される。飯島は意識を回復することなく搬送先で絶命した。その夜、死体置場に花束が届く。贈り主は水原だが、花屋には名乗っていない。水原には、二人の男がいた。一人はプロ野球二軍選手の江波。水野は彼と結婚したいが、これを阻むもう一人がであった。飯島は酒場時代の古傷をネタに彼女を脅していた。事件を追いかける長谷川は東京の刑事である。
石岡はいっぱしのワルである。列車で水野が落としたコンパクトを現場から持ち去っていたが、警察には渡していない。目撃談をネタに警察やマスコミから小金を得るとともに、水野との接近を計る。水野の目撃者殺害の計画は比叡山ではなく東京の高い鉄塔である。呼び出しの理由はさすがに原作に似ているが、目撃者が呼び出しに応じる必然性の描写が弱い。目撃者誘い状に水野が使ったトレーシングペーパーに、うっすらと以前に鉛筆を使って描いたモデル衣装のスケッチの筆圧跡が残っていたため、警察鑑識が絵を再現して容疑者の職業の見当を付ける。
長谷川刑事が石岡を連れ、飯島殺し犯人の首実検に来た。しかし石岡は犯人はいないと刑事に告げた。水野を認識したが、あとの脅迫材料にと思ったか、素知らぬふりをした。警察でモンタージュ写真を作ったときすでに、本物と異なる証言で悪意は明らかだった。石岡が疑われ出す。石岡は、モデル界からの引退を決心した水野を追い詰めるためだろう、江波のアパートを訪ねるが、直後に交通事故死する。水野はファッションショー会場の舞台に、一人呆然と立ち尽くしているところを逮捕される。
岡田茉莉子はその後NHK大河ドラマで淀殿として見た。今一表情の乏しい女優という印象だったが、この映画でも職業上の笑顔はいいが、日常では表情に乏しい姿で演じている。この映画の主役としては個性に合っていただろう。
原作者・清張は戦後しばらく九州に住んだらしい。地元文化に詳しかったのだろう。「顔」の事件担当は福岡県警である。「顔」と同じころに執筆発表された「張込み」の舞台は佐賀である。「顔」にはなかったが、九州の民俗芸能が他の作品に出てくる。映画「張込み」には、松原神社前の浮立(ふりゅう)面踊りが出ていた。「男はつらいよ」シリーズで有名な山田監督は「張込み」では助監督であった。「男はつらいよ ぼくの伯父さん」には佐嘉神社の天衝舞が出てくる。ちなみに佐嘉神社と松原神社は隣り合わせである。踊りはちょっと異なるがどちらも「浮立」で、調べてみると「浮立」には「面浮立」、「舞浮立」、「天衝舞浮立」、「その他」の4種に分類されるとあった。

('22/8/3)